9/30(火)。 京都市・下京区は、輪違屋(わちがいや)へ行って参りました。




いや、もう先々月に行った時のネタなので、どうかと思ったんですが、

せっかくなので更新を。 (^^;)





ちなみにこの日のお目当ては、コチラ。









下鴨神社27
京都市観光協会(公式サイト)が主催する、第39回・「京の夏の旅」
題した 非公開文化財・特別公開キャンペーン。



このシリーズでは、先日→社寺巡り 2014年・京の夏の旅 特別公開:下鴨神社
(しもがもじんじゃ) 2014/09/16
で巡りましたが、


1ヶ所だけというのはしいな~というのと、



あと、滅多に公開されない箇所だったので、この機にお伺いしようかなと。 (^^;)








島原・輪違屋28
ちなみにこちらも先日、→2014年 京都・秋季:非公開文化財 特別公開2014/09/07
でご紹介しました、

の特別公開も、もうまっているんですね。




と言いますか、あっという間に終了してたりして。 (^^;)






それどころか・・・、









島原・輪違屋29
来年1月から開催の、「京の冬の旅」の告知が早くも始まっているしで、



う~ん、次々と特別公開がっかって来て、



なんだかわれている感がハンパではない今日この頃だったり・・・。 (^^;)









島原・輪違屋1
そんな独り言はさておき、まずはさらっとJR・丹波口駅からスタート。 (^^;)


ひとまずはマップに従って進みましょう。





さてそんなワケで、ただいま向かっている特別公開箇所は、社寺ではなく・・・、


花街(かがい)。 (゚д゚)




「京の夏の旅」では文化遺産的に、この様なジャンルもカバーされているとは

ワタクシ的に嬉しい限り。 (^^;)








島原・輪違屋27
ちなみに京都では、現在でも妓さん・妓さんで華やぐ花街が現存しており、


「上七軒」・「祇園甲部」・「宮川町」・「祇園東」・「先斗町」の5地区を持って、



その総称を京都五花街と呼ぶんですね。




今向かっている島原は昭和後期に衰退し、京都花街組合連合会を脱会した為、
現在は芸・舞妓さんも在籍されておらず、「京都五花街」にもまれないそうな・・・。









島原・輪違屋26
でもでも、こちら島原には他の五花街には居ない、太夫(たゆう)さんが現存されて
いるというのが最大の特徴。 (゚д゚)




と言いながらもワタクシ、まだまだ京の花街初心者なので、本物の太夫さんの姿を
ナマで拝見したことがないんですよね~。 (^^;)









島原・輪違屋2
そう言っている内に徒歩5分ほどで、島原花街のメインゲートである島原大門
(しまばらおおもん)が見えてきました。



何はともあれ、一礼してから、潜入~。 ( ̄人 ̄)




いや、社寺ではないので、門前で一礼する必要はないのですが、もはや癖のように
なっていたり。 (^^;)






豊臣秀吉が京都を再興するにあたり、二条柳馬場に柳町の花街を公許したが、
これが後に六条坊門(現在の東本願寺の北側)に移され、六条三筋町として栄えた。


その後、京の町の発展に伴い、寛永十八年(1641)、市街地の西にあたる当時の
朱雀野にった。

(以下由緒、門前の駒札より抜粋。)









島原・輪違屋3
正式名称は「西新屋敷」と呼んだが、その急な移転騒動が、時あたかも九州・
島原の乱の直後であった為、それになぞらえて「島原」と称される様になった。





なるほど、この「島原」という花街の名称はこのような経緯から、通称として
現在に伝わっているんですね。









島原・輪違屋4
大門をくぐった先は、これまた江戸時代あたりにでもタイムスリップしたかのような
街並み。



観光の人たちも、レンタサイクルで景観を楽しんでおられます。 (^^)





島原の傾城(遊宴のもてなしを公認された女性)の最高位である太夫の名称は、
慶長年間、四条河原で六条三筋町の傾城が女歌舞伎を催したとき、

優れた傾城を「太夫」と呼んだことが始まりとされている。









島原・輪違屋5
目指していた「輪違屋」が見えてきましたが、これまたスゴイ人出。 (@_@;)



滅多に公開されない所な上に、公開最終日ともなると、さすがにみ合います。 (^^;)






江戸時代の島原は、単に遊宴にとどまらず、詩歌連俳等の文芸が盛んで、中でも
俳諧は島原俳壇が形成されるほど活況を呈していた。


また、太夫道中とは、置屋から揚屋へ練り歩く様子をいう。









島原・輪違屋6
さてこのタイミングながら、到着しましたここ「輪違屋」をぞやと申しますと・・・、

現在の花街で言う、置屋兼・お茶屋のこと。



かつてはここにくの芸妓さん・太夫さんを抱えていたんですね。




現在は、太夫さんの教育の場、また宴席の場として営まれているそうな。









島原・輪違屋30
あと、こちらも華やかな姿で知られる花魁(おいらん)。


太夫さんと姿が似ているため混同されがちながら、全くのの存在・文化だとか。




太夫・・・芸を主体とし、位を持つ。妓女の最高峰で島原に居る。

花魁・・・色を主体とし、娼婦の最高峰で吉原他各地に居た。





花魁は姿形を島原の太夫を参考にし、真似したものだそうな



こうして見ると、売りにしているものが、自身かの違い、これこそが太夫と
花魁の大きな違いなんですね。




太夫は外国使節の要人や、公家などを客人としていたため、い教養と芸事が
要求されたのもうなずけます。



最高位の太夫には、十万石の大名に匹敵する「正五位」の位が与えられ、かつては
御所へのお目通りまで許されたというのも、また興味深い。









島原・輪違屋7
いや、ワタクシもあまりしくないので、エピソードはこの辺にして。 (^^;)




さて、普段は観覧謝絶の札が掛かるここ輪違屋も、今は特別に公開中。



ワタクシも特別に気持ちをえて、いざ潜入~。  ~( ̄人 ̄)









島原・輪違屋8
無料ではないので、受付でちゃんと拝観料600円をお納めしてから。 (^^;)





中はすでに多くの拝観の人たちで賑わっていますよ。









島原・輪違屋9
ちなみに1階部分は撮影OKとの事なので、ご遠慮なく。 (^^;)




普段は滅多に入れるところではないので、やや緊張気味に先へ進みます。 (^^;)









島原・輪違屋12
奥の間では恒例のご説明が始まりましたが、少々出遅れたので、

見席になってしまった。 あらら。 (^^;)



でもでも、謹んで拝聴を。 ( ̄人 ̄)





沿革等、重複する部分もあるので詳しいエピソードは割愛しますが、


それにしてもこちらの輪違屋、今から330年前(1688年・元禄元年)に創業という、
大変にい歴史があるんですね。



ちなみに十年ぶりの公開で、次回はいつになるのか不明だとか。









島原・輪違屋10
続いて、西側のお庭を拝見。


よく見ると、が一本もない造りになっていますよ。



なるほど、限られた敷地で、お庭をく見せる手法なんですね。




奥に祀られたお稲荷様にも、遠目ながらお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)









島原・輪違屋11
人がはけた一瞬を見逃さず、1枚パチリ♪



この日も夕方から、ここで宴席の予約が入っているそうな。




祇園のお茶屋遊びより敷居が高いと言われる島原。




う~ん、ワタクシも一生の内に、一度は体験してみたいものです。 (^^;)









島原・輪違屋13
ここでフト襖を見ると、何やらが貼り付けられていますよ。



ご説明によると、これは当時の太夫さんが実際に書いた、恋文の下書き
なんだとか。



それを襖に表装して誂えるというセンスは、何とも奥ゆかしいですね~。




それにしても、この達筆ぶり。




他にも舞や三味線、お茶・お香・お花・俳句・和歌などなど・・・、


この書を拝見しただけで、太夫さんに求められるスキルがいかに高度で
広範囲であったかが、伺えるような気がします。









島原・輪違屋14
おや、近くの屏風には、「浪士・近藤勇 藤原昌宜」(こんどういさみ
ふじわらまさよし)との銘が見えます。



藤原昌宜とは近藤勇の本名で、まさに新撰組の局長の書なんですね。


当時の新撰組は、密会にここ島原をよく利用していたとか。




その頃から既に有名人であった近藤勇。


宴席で、太夫や芸妓にねだられてはサイン感覚で書を残し、それがこうして
屏風に表装されて、往時の隆盛を今に伝えているんですね。




このタイミングで幕末の歴史も肌で感じられるとは、これまた何気におトク。 (^^;)









島原・輪違屋16
2階部分も公開されているんですね。



これまた今回、滅多に拝見できないお部屋の数々が公開されていますが、

残念ながら2階部分は撮影禁止ですか・・・。







ところがガイドさんから、


今のタイミングだと、特別に撮影OKとの事。  ?(゚д゚)?









島原・輪違屋17
なぜ撮影OKなのか、理由は定かではありませんが、こんな機会も滅多
ないので、ご遠慮なく。 (^^;)




さて、こちらが階段上がってすぐの紅葉の間。



壁に本物のもみじを貼り付け、乾燥したのちに剥がし、その跡形に一つ一つ
顔料で彩色したものが、この紋様なんだそうな。









島原・輪違屋18
大変手間のかかる作業だったんですね~。



その制作過程の、貴重なサンプル品まで見せて頂けるとは、


これはまさに、特別公開中の特別公開。 (^^;)




ちなみにこのお部屋でも宴会が行われ、蝋燭(ろうそく)の光だけになると、
紅葉がかび上がって見える趣向になっているそうな。



計算しつくされた演出は、島原に相応しく何ともゆかしい。









島原・輪違屋19
お次にこちらが太夫の間。



かつてはこちらで太夫さんが起きをしていたお部屋だとか。



6畳+4畳の二部屋で、こういった二間続きの贅沢なお部屋が与えられるのは

まさに太夫さんクラスにならないと実現できなかったんですね。




現在ここに展示されているのは、実際に太夫さんが着ていた打掛(うちかけ)
という衣装。



高貴な紫を基調とした、神楽の舞と太鼓の刺繍の対比。


強く神道をイメージさせるデザインがまた印象的です。



大正時代に織られたものとは思えないほど、保存状態が良いのにもき。









島原・輪違屋20
さて、最後に傘の間を拝見。



パンフレットの表紙にも採用されている、(ふすま)に傘がデザインされた
お部屋なんですね。



右側は「日和傘」、左側には「雨傘」があしらわれていますが、これはいた
ものではなく、実物の傘をり合わせたものなんだそうな。 (゚д゚)




間近で拝見すると、傘のまで貼られているのが判ります。



漢字の「高」と見える文字は、こちらの当主である「高橋」の姓から取って
いるとか。


その下に見える赤いデザイン、こちら高橋家の女紋・杏葉牡丹(ぎょうよう
ぼたん)もまた艶やか。





その襖の頭上には、「花實雙美」(かじつそうび)なる扁額が掲げられています。



は太夫・は禿(かむろ)、どちらもしいという意味なんですね。



かつての政治家・近衛文麿(このえふみまろ)氏の、お父さんかお祖父さん
が書いたと伝わる、貴重な書とか。 ( ̄人 ̄)









島原・輪違屋21
床の間に掲げられたお軸も、また貴重な代物。



幕末に活躍した政治家で、木戸孝允(きどたかよし)が名乗った桂小五郎
(かつらこごろう)の直筆だそうな。



軸の左に松菊生(しょうぎくせい)と記されていますが、これは小五郎が

こういった書に残す時の雅号なんですね。




その左手の間もまた奥が深く、大変おめでたい松竹梅で構成されています。



床柱の赤松、湾曲した、そしてその下にある梅の古木をもって、松竹梅を
表現し、

おめでたい心でお客様をもてなすという配りとか。




この時代からだけでも、日本にはおもてなしの心があったんですね~。 (^^;)









島原・輪違屋22
近くの窓の外も1枚、パチリ♪



う~ん、こうして近隣を拝見すると、今は普通に民家の甍が連なっているんですね・・・。





さて、またずいぶん長居したので、そろそろおいとましましょうか。









島原・輪違屋23
それでは最後に、ゴスインを・・・。  (゚д゚)     ←(はい?)




いや確かに、「輪違屋」の御朱印とか、意味不明です。 (^^;)



でも時々、歴史ある文化財を拝観した最後は、無意識に御朱印を求めそうに
なることがあるんですよね~。 (^^;)




御朱印は、社寺で頂きましょう。 (^^;)









島原・輪違屋24
さてさて、そんなこんなで、2014年・「京の夏の旅」 特別公開:島原・輪違屋
(わちがいや)。 (^^;)


少々時季外れの更新になり、社寺ネタでもありませんでしたが、でもでも滅多
公開されない貴重な箇所を存分に拝見させて頂きました。 (^^;)




ちなみに2階部分がなぜ撮影OKだったかをお聞きすると、単に人がない
タイミングだったからだそうな。 (゚д゚)



今も現役で営業されている揚屋なので、特に撮影NGな箇所は無いそうですが、

階段もで、通路もく危険なので、撮影規制されているワケですか。



柔軟なガイドさんに当たったのも、ラッキーだったかも。 (^^;)






でもそんなワタクシの、もっと贅沢なご要望。



本物の太夫さんのお姿を、


一度は拝見してみたいものです・・・。 (^^;)     ←(そこは努力が必要です)






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