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社寺巡り 京都・大徳寺 特別公開 「興臨院」
→社寺巡り 京都・大徳寺 特別公開 「総見院」 2009/10/28の続きで、
「興臨院」(こうりんいん)へ向います。
行きに通ってきた参道を引き返し、じきに到着。
こちらにも「秋の特別公開」の看板が立てられています。
表門(重要文化財)下の受付で、拝観料600円を納めます。
けっこう夕方になっているので、本日はたぶんコチラで最後。(^^;)
それでは、いざ潜入~。
足利時代後柏原天皇の太永年中(1520年代)能登の守護畠山左衛門
佐義総に依って建立され、以後畠山家の菩提寺となっている。
(以下、お寺のパンフレットより抜粋。)
畠山氏は足利幕府官僚の畠山基国を中興とする後裔で、武将の名門である。義総
(よしふさ)の法号興臨院殿伝翁徳胤大居士から寺名が付けられた。
開祖は大徳寺八十六世小渓紹付(しょうけいじょうふ)和尚(仏智大通禅師)
である。小渓和尚は徳望厚く、塔頭瑞峯院開祖徹岫和尚ほか、門下に優秀な人々が
輩出している。
当院の本堂は、創建直後に焼失しすぐ再建された為、現本堂は天文二年(1533)頃の
ものである。又畠山家没落後、天正九年(1581)前田利家公により本堂屋根の修復が
行なわれ、以後前田家の菩提寺となった。
それでは、本堂内へ。
お邪魔します~。
おお、左手に見事な枯山水庭園(かれさんすいていえん)が見えてきました。
でも、もう夕方なので、人はまばら。
人は少ないものの、こちら室中の間でお寺の説明をして頂けます。
まずは、ササッとお参り。( ̄人 ̄)
方丈内は7つの部屋に分かれています。
右手には礼の間(らいのま)。一般のお客さんを通した間。 いわゆる応接間。
左手は、檀那の間(だんなのま)。お寺のスポンサーの様な人達を通した間、
との事。目上の男性を呼ぶ語、「だんな様」の語源になったそうな。
襖絵には比較的新しい、寒山拾得之図(かんざんじゅっとくのず)が描かれています。
さて、方丈左手を進んでいきます。
左手奥にあるこちらの木、「貝多羅樹」(ばいだらじゅ)。
梵語で「木の葉」という意味。 昔インドで紙が無かった頃、この葉っぱの裏に、竹の筆で
お経を書かれたものが残っており、日本では「葉に書く」という所から、「葉書き」の
語源になったそうな。 ほ~、なるほど。
コチラはもみじの木。
11月末~12月初め頃には、赤・オレンジ・黄色・緑と、見事なグラデーションで色づく
らしいのですが、本日はほとんど緑一色です。 チョト残念。(^^;)
衣鉢の間(えはつのま)を拝見した後は、こちらお茶室の「涵虚亭」(かんきょてい)。
中国の蘇東坡(そとうば)の詩の一説から名付けられたそうな。
古田織部(ふるたおりべ)好みの、「四畳台目隅板付き茶室」との事。
なんだかムツカシイ。(^^;)
屋根には採光のための突き上げ窓など、色々と珍しい造りになっています。
さて、方丈後ろ側の廊下に、面白いものが。
節の穴を「お椀」や「三方」(さんぽう)などで埋められています。
昭和50年頃の修理のときに、あしらわれた物だそうです。
大工さんの遊び心が伝わってきます。(^^)
「御注意」
鐘がとても低い位置にあったのですが、気付かずに頭で軽く「ゴイ~ン」と
鳴らしてしまいました。(^^;)
最後に、先ほどのお茶室の中に入って説明頂けます。
給仕さんが座る隅板や、駆け込み天井、落天井などの造りを、実際に拝見できます。
でも、外は暗くなってきたのに、中は明かりが無いので、チョト見えにくい。(^^;)
お寺の説明が終了した後は、再度お庭を拝見します。
仙人の住む蓬莱山から流れ来る水を、白砂で表現した枯山水庭園。 なんとも趣のある・・・、
と浸っていると、残念ながらここで拝観終了のお時間。(^^;)
スタートが遅かったのと、「総見院」(そうけんいん)でゆっくりしすぎました。(^^;)
お邪魔しました~。
表門下の受付は、すでに撤去されています。
拝観料をお納めする時に、同時に頂いておいて良かった。
こちらが御朱印。
御本尊の「釈迦牟尼佛」(しゃかむにぶつ)と書かれています。
ありがとうございます~。( ̄人 ̄)
表門には、竹の棒が掛けられていたので、軽くはさみ跳びでおいとましました。(^^;)
最後は一礼を忘れずに。
さてさて、大徳寺・塔頭は「興臨院」(こうりんいん)。
たっぷり拝見でき、内容の濃いご説明も聞けて大満足です。(^^)
結局お伺いできなかった、黄梅院(おうばいいん)は、又の機会に・・・。(^^;)
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