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2017.05.13
社寺巡り 京都・2017年 春期特別公開 「古知谷阿弥陀寺」(こちだにあみだじ)
→京都駅ビル構内 ・イベント展示 「京都美風 京の御朱印めぐりと
御朱印帳」 2017/04/30の続きで、
お次は特別公開のお寺へ向かっています。
でもその前に・・・、

途中の崇導(すどう)神社に立ち寄って、お参り~。 ( ̄人 ̄)
いや、寄り道するのも程々に。 (^^;)
本日はやや遠方のお寺を目指しているにもかかわらず、
「京なび」や「御朱印」のイベント展示と、あちこちに立ち寄ったりで、
なかなか前へ進んでいませんので。 (^^;)

ちなみに本日訪れているのは、大原地区。 (゚д゚)
洛北(らくほく)と呼ばれるエリアで、京都市街地・北部の中でも
滋賀県に近いほど北に位置するんですね。
寂光院(じゃっこういん)までの道を示す石標が現れましたが、
左へ十八丁とは如何ほどの距離なんでしょうか。 (^^;)
ちなみに今目指しているお寺は、さらに北の方なんですが。 (^^;)

まあ急ぐ必要はありません。
お天気も良い事ですし、あまり訪れる機会のない大原地区なので、
散策を兼ねて参りましょう。 (^^)
それにしても、辺りは山に囲まれて、何とものどかな景色ですね~。
京都市街から少し離れるだけで、こんな日本の原風景に出会える
とは思いませんでした。
ホント、ここが左京区とは思えない位。 (^^;) ←(コラ)

そうこうしている内に、目指すお寺の看板が見えてきました。
その名も古知谷阿弥陀寺(こちだにあみだじ)。 (゚д゚)ノ
交通アクセスの関係から、普段なかなか足が向かない大原地区
ですが、
でも今回せっかく訪れるので、中でも一番遠いこちらのお寺に
お伺いしたワケであります。 (^^;)

毎度おなじみ、本特別公開の白い案内看板も掲げられています。
これを目にすると、いつも何気にテンションが上がったりで。 (^^;)

山門としては少々珍しい竜宮造りの様式なんですね。
ひとまずはこちら山門前で一礼して、潜入~・・・。 ~(  ̄人 ̄)
門をくぐると、すぐに御本堂を含めた伽藍が見えて来るかと思いきや、
歩けど歩けど、急勾配の山道が続くばかり・・・。 (;´д`)

だんだん道が無くなって来ましたよ! (@_@;)
スマホのナビで確認すると、山門から600m程歩いて来た様ですが、
入山の受付はまだ先の模様。

死む~、死む~~。 ~~(;´д`)ノ ←(大げさ)
やっと受付が見えてきましたが、その頃には息も絶え絶え。 (^^;)
う~ん、来訪前の下調べ不足か、この様な試練が待ち受けていたとは、
恐るべし、古知谷阿弥陀寺。 (^^;)

いやホント、お参り前にこんな登山をするとは思わなかった。 (^^;)
当寺は古知谷光明山(こうみょうざん)と号する浄土宗の寺である。
慶長十四年(1609)に、弾誓(たんぜい)上人が念仏道場として
開創された。
(以下、お寺の駒札等より抜粋。)

受付で拝観料800円をお納めし、境内を散策する頃には
呼吸も整って、何とか復活。
改めて、六体地蔵様と鐘楼堂との対比で1枚、パチリ♪ (^^;)
「弾誓上人絵詞伝」によると、上人が諸国行脚の途中に京に登り、
五條の橋の上から彼方此方を眺めると
北の方角に紫雲が棚引き、仄かに佛影が現れている所があった。
それが古知谷であった。
なるほど、この様な由来から一般的には地名をとって「古知谷
阿弥陀寺」と呼ばれているんですね。

それにしても、見渡す限り緑深いお寺。
いや、ここまで山深く入って来たので当然ですか。 (^^;)
諸国行脚を終えられ再び古知谷へと分け入られた上人は、松の木陰
を庵に、鉦鼓(しょうこ)を枝に掛け、明け暮れ念佛されていた。

弟子達が上人の跡を慕い集まって念佛し、その事を聞き伝えて多くの
貴賤の群衆が念佛を授かり、名号を受ける為に訪れるようになった。
そして終に佛閣僧舎が建立され、それが当寺の起こりとなる。
創建当初はどの宗派にも属さず、弾誓上人独自の教えを基に
建立された「阿彌陀寺」。
江戸時代の宗教統制を経て、浄土宗知恩院派に編入されて
今日に至るワケですか・・・。 ( ̄人 ̄)

さて、それではお堂内を拝観して参りましょう。
ちなみにいつもの如く、ここから先のお堂内は撮影禁止なので、
写真はパンフレット他より拝借をば。 (^^;)
今回、創建以来450年ぶりに御開帳されるという、秘仏三体が
公開されているそうですが・・・、

オオー、まずこちらが鎌佛阿弥陀様ですネッ! w(*゚0゚*)w
・鎌仏阿弥陀如来立像(かまぼとけあみだにょらいりゅうぞう)
江戸時代作・像高9.7cm 木製
う~ん、想像していたより、かなりお小さい。 (^^;) ←(コラ)
ちなみにこちらの鎌仏様、御開山である弾誓(たんぜい)上人が、
なんと草刈鎌(くさかりがま)で彫った仏像だそうな。
弾誓上人は手先の器用な方だったんでしょうね~。
上人はこの様な小さな仏像を彫って、人々に与える事を修行の
一環として行っていたんですね。
作仏僧(さぶつそう)と呼ばれ、当時は上人に限らず、この様な
僧が多く存在したそうな。
ちなみにこの鎌仏様、かの有名な仏師・円空(えんくう)が彫る、
円空仏(えんくうぶつ)のモデルになったとか。
小さな躯体ながら、日本仏教史、そして日本彫刻史においても
大変貴重なお仏像なんですね・・・。 ( ̄人 ̄)

続いて右となりに祀られている阿弥陀様を拝見。
・感得阿弥陀如来立像(かんとくあみだにょらいりゅうぞう)
平安~室町時代・像高72.73cm 木製・桜
「鎌佛」様のあとに拝見すると、異様に大きく見えたり。 (^^;)

今回、本特別拝観のポスターのイメージ写真としても掲載
されているんですね。
ちなみにこちらの感得阿弥陀様、専門の仏師が彫ったものではなく、
ごく一般の僧侶が霊木を彫って作ったものだとか。
つまり、素人が彫ったお仏像。 (゚д゚) ←(コラコラ)
でもでも彫りが荒いながらも、印を結んだ手などは実に写実的な
表現で、とても当時の一般的な僧侶が彫ったものとは思えません。
垂れている衣のドレープ等の様式を見ると、鎌倉時代から室町時代に
かけて彫られた仏像と推測されるものの、
専門の仏師が彫ったものではないので、作成年月日や作者の銘が
記されておらず、詳細が不明なのは残念な所・・・。
しかしながら、こちら感得阿弥陀様、創建当時には御本尊として
祀られていた仏像と伝わるそうな。
その様な事から、古知谷阿弥陀寺の当時を知る上でも、貴重な
一体なんですね。 ( ̄人 ̄)

続いて右端はお地蔵様。
・地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)
鎌倉時代・像高33.33cm 木製
制作者は不明で、どのような経緯でお寺に伝わったかも不明
だそうな。
でも今回の調査で、価値ある文化財と判明したとか。
衣の文様の施し方には特徴が見られるんですね。
豪華な箔押しや截金文様ではなく、顔料を丁寧に厚く塗り重ねて
模様を表現している技法は珍しい。
しかしながら、今はその顔料の剥落や、全体的な損傷が進んで
いるのが心配。
今後の保存修復が待たれる所です・・・。 ( ̄人 ̄;)

秘仏三体をお参りした後は、「弾誓上人絵詞伝」(たんぜい
しょうにんえことばでん)も拝見しましょう。 (^^)
計三幅・全37場面で構成され、上人の生涯を絵画表現したお軸
なんですね。
こちらでも係りの方の丁寧な解説があり、実に判り易くて
助かります。 (^^;)

続いては順路を進み、弾誓上人が祀られる石廟(せきびょう)へ。
奥の岩窟の中央には石棺があり、そこには上人が62歳の時に
自ら入られたという即身仏が納められています。
残念ながらお姿を拝見する事は出来ませんが、かつては御開帳
されていたとか。
岩窟に水が浸み出し、それ以来閉ざされているんですね。
これは確かに、岩窟内は今も壁面から多くの水が浸み出ていて、
足元もビチャビチャ状態。 (^^;)
ちなみにこの岩窟は弾誓上人のお弟子さん達が彫られたもので、
チャートと呼ばれる大変硬い岩石にもかかわらず、
江戸時代に全て人力で彫られたと考えると、当時の信仰の
深さが伺えます。 ( ̄人 ̄)
現在では御住職も上人のお姿を見た事は無いそうな。
でも大学のX線調査によると、少し右肩下がりの合掌した姿で
納められているとか。
弾誓上人が当時のお姿のまま、この石棺に納められていると思うと、
何だか只ならぬ霊気を感じたり。
改めて石棺前で、お参りを・・・。 ( ̄人 ̄;)

お次は宝物殿の拝見を。
こちら古知谷阿弥陀寺は、皇族諸家とも大変御縁が深いお寺
だったんですね。
閑院宮(かんいんのみや)家や、有栖川宮(ありすがわ
のみや)家から下賜された、
「御手鏡」・「硯」・「風爐」・「御紋章振袖」などなど、
貴重な品々がズラリと展示されて、思わず見入ってしまいます。

さて、順路の最後が御本堂になるんですね。
ずい分あと回しになりましたが、現在の御本尊様にお参り
させて頂きましょう。 (^^;)
御本尊
・弾誓佛立像(たんぜいぶつりゅうぞう)
江戸時代初期 像高74.24cm 木製
頭部には上人が自らの毛髪を植え付けたと伝わる、自作自像
植髪の尊像だそうな。
浄土宗のお寺でありながら阿弥陀仏と同様に、こちらでは開山の
弾誓上人を御本尊とされているんですね。
右脇に祀られている、重要文化財の阿弥陀如来坐像と合わせて、
謹んでお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)
さて、また長居したので、そろそろおいとましましょうか・・・。

おっと、書院に戻って御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)
ちなみに種類は通常版と、本特別公開専用の限定版が
ご用意されているんですね。
御住職に許可を頂いて、御見本を1枚、パチリ♪ (^^;)

ちなみにワタクシは、もちろん限定版の方をチョイス。 (^^;)
紫地の和紙に、かつての御本尊様であった「感得阿弥陀佛」と
金文字で書かれて印象的。
充分に御礼を申し上げて、ありがとうございました~。 m(_ _)m

これまた充分に気を付けて下山せねば。 (^^;)
いやホント、帰りはこの下りの山道。
足がもつれると、山門まで転がり落ちてしまい兼ねません。 (^^;)

さてさて、そんなこんなで、京都・2017年 春期・特別公開
「古知谷阿弥陀寺」 (こちだにあみだじ)。
無事に山門まで帰って来られて、良かった~。 (^^;)
でもホント、大原は山深いお寺で良いお参りをさせて頂きました。
450年ぶりに御開帳された秘仏様方とも御縁が結ばれて大満足。
歴史深く寺宝も多く、遠方ながらも訪れた甲斐あったり。 ( ̄人 ̄)
そんな余韻に浸りつつも、せっかく大原地区に訪れたので、
もう一ヵ所、本特別公開のお寺へ向かおうと思います・・・。 (^^;)
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御朱印帳」 2017/04/30の続きで、
お次は特別公開のお寺へ向かっています。
でもその前に・・・、

途中の崇導(すどう)神社に立ち寄って、お参り~。 ( ̄人 ̄)
いや、寄り道するのも程々に。 (^^;)
本日はやや遠方のお寺を目指しているにもかかわらず、
「京なび」や「御朱印」のイベント展示と、あちこちに立ち寄ったりで、
なかなか前へ進んでいませんので。 (^^;)

ちなみに本日訪れているのは、大原地区。 (゚д゚)
洛北(らくほく)と呼ばれるエリアで、京都市街地・北部の中でも
滋賀県に近いほど北に位置するんですね。
寂光院(じゃっこういん)までの道を示す石標が現れましたが、
左へ十八丁とは如何ほどの距離なんでしょうか。 (^^;)
ちなみに今目指しているお寺は、さらに北の方なんですが。 (^^;)

まあ急ぐ必要はありません。
お天気も良い事ですし、あまり訪れる機会のない大原地区なので、
散策を兼ねて参りましょう。 (^^)
それにしても、辺りは山に囲まれて、何とものどかな景色ですね~。
京都市街から少し離れるだけで、こんな日本の原風景に出会える
とは思いませんでした。
ホント、ここが左京区とは思えない位。 (^^;) ←(コラ)

そうこうしている内に、目指すお寺の看板が見えてきました。
その名も古知谷阿弥陀寺(こちだにあみだじ)。 (゚д゚)ノ
交通アクセスの関係から、普段なかなか足が向かない大原地区
ですが、
でも今回せっかく訪れるので、中でも一番遠いこちらのお寺に
お伺いしたワケであります。 (^^;)

毎度おなじみ、本特別公開の白い案内看板も掲げられています。
これを目にすると、いつも何気にテンションが上がったりで。 (^^;)

山門としては少々珍しい竜宮造りの様式なんですね。
ひとまずはこちら山門前で一礼して、潜入~・・・。 ~(  ̄人 ̄)
門をくぐると、すぐに御本堂を含めた伽藍が見えて来るかと思いきや、
歩けど歩けど、急勾配の山道が続くばかり・・・。 (;´д`)

だんだん道が無くなって来ましたよ! (@_@;)
スマホのナビで確認すると、山門から600m程歩いて来た様ですが、
入山の受付はまだ先の模様。

死む~、死む~~。 ~~(;´д`)ノ ←(大げさ)
やっと受付が見えてきましたが、その頃には息も絶え絶え。 (^^;)
う~ん、来訪前の下調べ不足か、この様な試練が待ち受けていたとは、
恐るべし、古知谷阿弥陀寺。 (^^;)

いやホント、お参り前にこんな登山をするとは思わなかった。 (^^;)
当寺は古知谷光明山(こうみょうざん)と号する浄土宗の寺である。
慶長十四年(1609)に、弾誓(たんぜい)上人が念仏道場として
開創された。
(以下、お寺の駒札等より抜粋。)

受付で拝観料800円をお納めし、境内を散策する頃には
呼吸も整って、何とか復活。
改めて、六体地蔵様と鐘楼堂との対比で1枚、パチリ♪ (^^;)
「弾誓上人絵詞伝」によると、上人が諸国行脚の途中に京に登り、
五條の橋の上から彼方此方を眺めると
北の方角に紫雲が棚引き、仄かに佛影が現れている所があった。
それが古知谷であった。
なるほど、この様な由来から一般的には地名をとって「古知谷
阿弥陀寺」と呼ばれているんですね。

それにしても、見渡す限り緑深いお寺。
いや、ここまで山深く入って来たので当然ですか。 (^^;)
諸国行脚を終えられ再び古知谷へと分け入られた上人は、松の木陰
を庵に、鉦鼓(しょうこ)を枝に掛け、明け暮れ念佛されていた。

弟子達が上人の跡を慕い集まって念佛し、その事を聞き伝えて多くの
貴賤の群衆が念佛を授かり、名号を受ける為に訪れるようになった。
そして終に佛閣僧舎が建立され、それが当寺の起こりとなる。
創建当初はどの宗派にも属さず、弾誓上人独自の教えを基に
建立された「阿彌陀寺」。
江戸時代の宗教統制を経て、浄土宗知恩院派に編入されて
今日に至るワケですか・・・。 ( ̄人 ̄)

さて、それではお堂内を拝観して参りましょう。
ちなみにいつもの如く、ここから先のお堂内は撮影禁止なので、
写真はパンフレット他より拝借をば。 (^^;)
今回、創建以来450年ぶりに御開帳されるという、秘仏三体が
公開されているそうですが・・・、

オオー、まずこちらが鎌佛阿弥陀様ですネッ! w(*゚0゚*)w
・鎌仏阿弥陀如来立像(かまぼとけあみだにょらいりゅうぞう)
江戸時代作・像高9.7cm 木製
う~ん、想像していたより、かなりお小さい。 (^^;) ←(コラ)
ちなみにこちらの鎌仏様、御開山である弾誓(たんぜい)上人が、
なんと草刈鎌(くさかりがま)で彫った仏像だそうな。
弾誓上人は手先の器用な方だったんでしょうね~。
上人はこの様な小さな仏像を彫って、人々に与える事を修行の
一環として行っていたんですね。
作仏僧(さぶつそう)と呼ばれ、当時は上人に限らず、この様な
僧が多く存在したそうな。
ちなみにこの鎌仏様、かの有名な仏師・円空(えんくう)が彫る、
円空仏(えんくうぶつ)のモデルになったとか。
小さな躯体ながら、日本仏教史、そして日本彫刻史においても
大変貴重なお仏像なんですね・・・。 ( ̄人 ̄)

続いて右となりに祀られている阿弥陀様を拝見。
・感得阿弥陀如来立像(かんとくあみだにょらいりゅうぞう)
平安~室町時代・像高72.73cm 木製・桜
「鎌佛」様のあとに拝見すると、異様に大きく見えたり。 (^^;)

今回、本特別拝観のポスターのイメージ写真としても掲載
されているんですね。
ちなみにこちらの感得阿弥陀様、専門の仏師が彫ったものではなく、
ごく一般の僧侶が霊木を彫って作ったものだとか。
つまり、素人が彫ったお仏像。 (゚д゚) ←(コラコラ)
でもでも彫りが荒いながらも、印を結んだ手などは実に写実的な
表現で、とても当時の一般的な僧侶が彫ったものとは思えません。
垂れている衣のドレープ等の様式を見ると、鎌倉時代から室町時代に
かけて彫られた仏像と推測されるものの、
専門の仏師が彫ったものではないので、作成年月日や作者の銘が
記されておらず、詳細が不明なのは残念な所・・・。
しかしながら、こちら感得阿弥陀様、創建当時には御本尊として
祀られていた仏像と伝わるそうな。
その様な事から、古知谷阿弥陀寺の当時を知る上でも、貴重な
一体なんですね。 ( ̄人 ̄)

続いて右端はお地蔵様。
・地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)
鎌倉時代・像高33.33cm 木製
制作者は不明で、どのような経緯でお寺に伝わったかも不明
だそうな。
でも今回の調査で、価値ある文化財と判明したとか。
衣の文様の施し方には特徴が見られるんですね。
豪華な箔押しや截金文様ではなく、顔料を丁寧に厚く塗り重ねて
模様を表現している技法は珍しい。
しかしながら、今はその顔料の剥落や、全体的な損傷が進んで
いるのが心配。
今後の保存修復が待たれる所です・・・。 ( ̄人 ̄;)

秘仏三体をお参りした後は、「弾誓上人絵詞伝」(たんぜい
しょうにんえことばでん)も拝見しましょう。 (^^)
計三幅・全37場面で構成され、上人の生涯を絵画表現したお軸
なんですね。
こちらでも係りの方の丁寧な解説があり、実に判り易くて
助かります。 (^^;)

続いては順路を進み、弾誓上人が祀られる石廟(せきびょう)へ。
奥の岩窟の中央には石棺があり、そこには上人が62歳の時に
自ら入られたという即身仏が納められています。
残念ながらお姿を拝見する事は出来ませんが、かつては御開帳
されていたとか。
岩窟に水が浸み出し、それ以来閉ざされているんですね。
これは確かに、岩窟内は今も壁面から多くの水が浸み出ていて、
足元もビチャビチャ状態。 (^^;)
ちなみにこの岩窟は弾誓上人のお弟子さん達が彫られたもので、
チャートと呼ばれる大変硬い岩石にもかかわらず、
江戸時代に全て人力で彫られたと考えると、当時の信仰の
深さが伺えます。 ( ̄人 ̄)
現在では御住職も上人のお姿を見た事は無いそうな。
でも大学のX線調査によると、少し右肩下がりの合掌した姿で
納められているとか。
弾誓上人が当時のお姿のまま、この石棺に納められていると思うと、
何だか只ならぬ霊気を感じたり。
改めて石棺前で、お参りを・・・。 ( ̄人 ̄;)

お次は宝物殿の拝見を。
こちら古知谷阿弥陀寺は、皇族諸家とも大変御縁が深いお寺
だったんですね。
閑院宮(かんいんのみや)家や、有栖川宮(ありすがわ
のみや)家から下賜された、
「御手鏡」・「硯」・「風爐」・「御紋章振袖」などなど、
貴重な品々がズラリと展示されて、思わず見入ってしまいます。

さて、順路の最後が御本堂になるんですね。
ずい分あと回しになりましたが、現在の御本尊様にお参り
させて頂きましょう。 (^^;)
御本尊
・弾誓佛立像(たんぜいぶつりゅうぞう)
江戸時代初期 像高74.24cm 木製
頭部には上人が自らの毛髪を植え付けたと伝わる、自作自像
植髪の尊像だそうな。
浄土宗のお寺でありながら阿弥陀仏と同様に、こちらでは開山の
弾誓上人を御本尊とされているんですね。
右脇に祀られている、重要文化財の阿弥陀如来坐像と合わせて、
謹んでお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)
さて、また長居したので、そろそろおいとましましょうか・・・。

おっと、書院に戻って御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)
ちなみに種類は通常版と、本特別公開専用の限定版が
ご用意されているんですね。
御住職に許可を頂いて、御見本を1枚、パチリ♪ (^^;)

ちなみにワタクシは、もちろん限定版の方をチョイス。 (^^;)
紫地の和紙に、かつての御本尊様であった「感得阿弥陀佛」と
金文字で書かれて印象的。
充分に御礼を申し上げて、ありがとうございました~。 m(_ _)m

これまた充分に気を付けて下山せねば。 (^^;)
いやホント、帰りはこの下りの山道。
足がもつれると、山門まで転がり落ちてしまい兼ねません。 (^^;)

さてさて、そんなこんなで、京都・2017年 春期・特別公開
「古知谷阿弥陀寺」 (こちだにあみだじ)。
無事に山門まで帰って来られて、良かった~。 (^^;)
でもホント、大原は山深いお寺で良いお参りをさせて頂きました。
450年ぶりに御開帳された秘仏様方とも御縁が結ばれて大満足。
歴史深く寺宝も多く、遠方ながらも訪れた甲斐あったり。 ( ̄人 ̄)
そんな余韻に浸りつつも、せっかく大原地区に訪れたので、
もう一ヵ所、本特別公開のお寺へ向かおうと思います・・・。 (^^;)
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