9/22(木)。 京都府・八幡市(やわたし)は飛行神社(ひこうじんじゃ)へ
行って参りました。



いや、以前からしい社名だな~と気になっていたお社なので、

休日を利用してふらりとお伺いしてみようかと。 (^^;)








飛行神社1
そんなワケで本日は、京阪・八幡市駅をスタート。



ずいぶん以前、→社寺巡り 京都・石清水八幡宮 「特別拝観」 
2009/03/29
で訪れた事がありましたが、

御鎮座される男山のふもとにある駅なんですね。









飛行神社2
さて、マップを確認しながらテクテク歩いて行くと、徒歩5分程で
目指すお社が右手に見えてきます。



これまた駅チカで交通至便。 (^^;) 









飛行神社3
それでは正面から、神域の全景をパチリ♪



う~ん、こうして拝見すると全体的に洋風な感じで、博物館や美術館
の様な印象を受けたり。



少なくとも、和な神社の趣は感じられません。 (^^;)









飛行神社4
入口すぐ脇には、何やらメカメカしい物が展示されていますよ。



展示の説明書きによると、かつて航空自衛隊の主力戦闘機として
採用されていた

F-104J「栄光」のジェットエンジンだそうな。



飛行神社という社名や、この様な展示物からして、どうやら飛行機
ゆかり深いお社である模様。









飛行神社5
鳥居も神明型ながらメタリックな装いで、これまた異色。 (^^;)



になる所は色々とありますが、ひとまずはお邪魔しましょう。









飛行神社6
それでは、シルバーに輝く鳥居前で一礼し、潜入~。 ~(  ̄人 ̄)





当神社は明治二十四年(1891)四月二十九日に、世界に誇るゴム動力
プロペラ式飛行機の飛翔実験に成功した二宮忠八(にのみや
ちゅうはち)が、

後進の航空殉難者の尊霊を慰めるべく崇め祀った神社である。

(以下、神社の案内書きより抜粋。)









飛行神社7
境内のど真ん中に、これまたギリシャ風な建築物! (@_@;)


こちらはいわゆる拝殿に当たるんでしょうか。

いずれにしても、一般的な神社では見られない光景に、少々ビックリ。 (^^;)





忠八は晩年自ら神職に就き、昭和二年(1927)改修して、朝夕航空安全
祈願の奉仕をしたが、昭和十一年(1936)に没した。





こうして御由緒を拝見すると、こちら飛行神社、国家の為に殉難した人々の
御霊を祀る、いわゆる護国神社に類するお社の様です。





さて、このタイミングでお清めを・・・、









飛行神社8
ちなみに手水舎はこちらにあったんですね。

一度鳥居の外へ、れ戻れ。 (^^;)





昭和三十年(1955)、忠八の次男・顕次郎が再興に当り、「空は一つなり」
の信条のもとに、
あまねく全世界の航空先覚者並びに遭難者の霊を迎え祀り、
今日に至っている。









飛行神社9
航空事故で犠牲になった人々の御霊が祀られる飛行神社。


それは日本人だけでなく、世界の人々の御霊も迎えて祀られて
いるんですね。




再興に当った顕次郎公の信条、「空は一つなり」 に感銘を受けつつ、


神道のの深さも感じたり・・・。 ( ̄人 ̄)









飛行神社11
そう言いながらも、いよいよ御本殿前へ。




よく見ると、ギリシャ建築風拝殿の軒には注連縄(しめなわ)が
掛かっていて、


う~ん、これまたあまりた事の無い光景。 (^^;)









飛行神社12

御祭神


第一殿(社殿中央)
・饒速日命(にぎはやひのみこと)


第二殿:祖霊社 (社殿向かって右側)
・航空殉難者、並びに航空先覚者


第三殿:薬光神社 (社殿向かって左側)
・薬祖神(やくそじん)




それではお賽銭をすべり込ませ、は無いのでそのまま
二礼二拍手一礼。



手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)





主祭神である「饒速日命」は古代のの神様で、天津神(あまつかみ)の
詔(みことのり:天皇の命令)を受け、天磐船(あめのいわふね)という

飛行船に乗って、磐船神社(現・大阪府交野市)に天降られたそうな。



こちら飛行神社には大正四年(1915)年、二宮忠八翁が創建に当たって
磐船神社より御分霊されたワケですか。


「饒速日命」をお迎えされたのは、繋がりだったんですね。




それにしても、太古の時代に綴られた日本神話に飛行船が登場するとか、

エピソード自体があまりにファンタジックで驚き。 (^^;)









飛行神社10
改めまして、御社殿を横から1枚、パチリ♪




アーチ型・西洋建築様式をフレームに、ギリシャ風拝殿と、そして

純和風の流造(ながれづくり)御本殿を対比に撮ってみましたが、


通常はこうして同じ場所に共存する事の無い建築物なんですよね~。




ある意味ファンタジックな感覚を覚えたり。 (^^;)   ←(コラコラ)






そんな事を言いつつもスキを狙って・・・、









飛行神社16
また御本殿をってしまいました。  (^^;)



もうしわけありません。 (^^;)




いや、これも毎度のルーティン的に。 (^^;)









飛行神社14
おや、境内の一角に、飛行機のプロペラらしきオブジェが
展示されていますよ。



傍らの説明書きを拝見すると、零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦
機首部だそうな。


昭和58年、大阪・岸和田市の漁師が大阪湾漁場において、底引き網
操業中の漁網に掛かり、引き上げられた物だとか。









飛行神社15
間近で拝見すると、エンジン部の破損が実に生々しい。



ピストンヘッドはけ散り、強固なはずのコンロッドはがって、

墜落時の衝撃が如何にまじかったか、窺えます・・・。 




戦争を含めて、めて航空殉難された方々に


哀悼を申し上げねば・・・。 ( ̄人 ̄;)









飛行神社17
御本殿の右どなりには、末社・常盤稲荷社が祀られています。


福徳をもたらす御神徳があるそうな。




合わせてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)






さて、本日はあまり長居はしていませんが、が降って来そうなので
そろそろおいとましましょうか。



いや、天気予報で雨だったのに、を持ってくるのをれたので。 (^^;)








飛行神社18
でもこちら社務所で、御朱印を頂くのはれずに。 (^^;)



おや、社務所隣には、創建者である二宮忠八の資料館がある模様。


せっかくなので、御朱印をいて頂いている間に拝見させて頂きましょう。



それでは、入館料300円をお納めしてから、お邪魔します~。 ~(  ̄人 ̄)









飛行神社19
ちなみに館内は撮影禁止なので、写真はパンフレット等々より
拝借を。 (^^;)




おお、館内には忠八翁の残された自筆の資料や写真、そして晩年に
残された芸術作品までが展示されて、

なかなかに応えがありますよ。









飛行神社20
二宮忠八は慶応二年(1866)、愛媛県八幡浜(やわたはま)で海産物を
商う二宮家の四男として出生したんですね。



でも忠八12歳の時、父がこの世を去って働く事となり、明治13年伯父の
種商の手伝いをするうち、物理や化学に深い興味を持ったそうな。



また測量技師の手伝いをするなど、働きながら独学で得た知識を生かして
独創的で奇抜なを作り、人々の関心をよび「忠八凧」と呼ばれたとか。




なるほど、忠八翁のへの関心は、既にこの頃から始まっていたんですね。









飛行神社26
明治二十年(1887)、香川県丸亀の歩兵隊に調剤手として入営。



四国山岳地帯で行なわれた機動演習中、もみの木峠で昼食をとっていると、
カラスが残飯を求めて谷を横切り、

翼を広げ固定翼で滑空しているその姿に興味を示して観察したそうな。



なるほど、これが忠八の空を飛ぶ飛行原理の発見に繋がった
ワケですか。 (゚д゚)









飛行神社21
以後、研究を重ねて「カラス型飛行器」を完成、飛行にも成功し、次に
人の乗れる玉虫型飛行器を考案。


でも明治二十六年に設計を完了して試作実験に入る矢先、日清戦争
が起こって出兵とは、


あまりにタイミングがい・・・。 (;´д`)



しかしながら、自分の考えている飛行器をに供用すれば便利で
あろうと考え、軍用機として軍によって研究開発してもらうべく、

飛行器の設計図を上申書に添えて願い出たものの、


それも却下とは・・・。 (;´д`)









飛行神社28
明治三十一年・忠八33歳の時、もはや飛行機は独力で作るしかない
と決意し、軍を除隊


資金も貯えられた頃の明治三十三年、忠八の出身地・八幡浜とよく似た
地名の、京都府・八幡町に住まい、完成に向けて努力したんですね。



ちなみに、ここ八幡に地を構えたのは似通った地名だけでなく、すぐ近く
にある木津川の河川敷が滑走路に使えると考えたからとか。



なるほど、地名つながりで土地を求めたのではなく、への夢を求めた
結果として、八幡つながりになったんですね。



ただの偶然ではなく、何か御縁の様なものを感じたり・・・。 ( ̄人 ̄)









飛行神社22
しかしその後、明治三十六年(1903)にアメリカのライト兄弟
飛行機を完成。 飛行に成功した情報に接して忠八は無念の涙を流し、


今飛行機を作ったとしても、「欧米追従の飛行機」であるライト兄弟の
真似をした、という評価しか受けないだろうと、


以後の製作を断念したんですか・・・。




あの時、の協力さえあればと思うと、


やまれる限りです・・・。 ( ̄人 ̄;)









飛行神社27
世界が空の時代へと動き出した頃、それに伴って飛行機による
犠牲者が多く見られるようになったんですね。



それを知った忠八は、同じ飛行機を志した人間として見過ごせないと、
犠牲者の御霊を慰める為に大正四年、八幡(現在地)の自邸内に、

私財を投じて飛行神社を創建されたワケですか。



忠八翁の空への夢はわなかったものの、

航空安全と航空事業の発展も祈願され、ここに神社を起こされた事は、


ライト兄弟の有人動力飛行に並んで偉大な功績だと思います。









飛行神社18
展示物も多く、なかなかに応えのある資料館でした・・・。



いやホント、こちらの資料館でちゃんとした創始を拝見しなければ、

境内に和洋折衷の建築物が立ち並ぶ、一風わった神社だな~


的な感想でわっていたかも知れません。 (^^;)   ←(コラコラ)









飛行神社23
そんな事を言いながらも、社務所にお預けしておいた御朱印
を受け取ってからおいとまを。 (^^;)



おや、これまたあまり見た事の無い社紋ですね~。


朱の丸は二つ巴の様にも見えますが・・・、


疑問に思ってお聞きした所、この紋は忠八翁・オリジナル
デザインとの事。 (゚д゚)


なるほど、飛行機のプロペラをモチーフにした意匠なんですね。



忠八翁の、飛行機に対する情熱を改めて感じたり。 ( ̄人 ̄)









飛行神社7
えらくが降って来ましたので、最後に一つだけご質問を。 (^^;)



なぜギリシャ建築風の拝殿が設けられているかお聞きした所、


外国の方々の御霊も多く祀ってある神社なので、もし外国の方が
来られても、お参りし易い様に、との配りからだそうな。




う~ん、を持って来ていれば、もっと他にもお聞きしたい所。 (^^;)









飛行神社24
さてさて、そんなこんなで、京都府・八幡市は飛行神社
(ひこうじんじゃ)。


日本で最初に飛行原理を発見した二宮忠八と、多くの航空
殉難者の御霊が祀られるお社で、

かにお参りさせて頂きました。 ( ̄人 ̄)


これほど飛行機や航空に関して謂れのいお社に訪れたのは
初めてですね~。



ちなみに御分霊を受けた磐船神社は、大阪府の交野市に御鎮座
されているんですね。


こちらも機会があれば、また是非訪れたいと思います。 (^^)






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