社寺巡り 2014年・京の夏の旅 特別公開:下鴨神社(しもがもじんじゃ)  
2014/09/16
の続きで、


糺の森(ただすのもり)の中をウロウロ。  ~(゚д゚ ) ~( ゚д゚)








河合神社1
いや、一応目的があっての徘徊なんですけどね。 (^^;)




と言いますのも、行きに下鴨神社へ向かう際に、とある神社を標す案内看板が
あったのを思い出しまして・・・、









河合神社2
ありました、コチラ「河合神社」(かわいじんじゃ)。



表参道の入口近くに御鎮座されているお社なんですね。






・「女性守護・日本第一美麗の神」
・「長明ゆかりの社」









河合神社3
そんな案内看板のフレーズがになったのと、

同じ京都でもこの周辺は訪れる機会がないエリアなので、




帰りのついでと言ってはですが、お邪魔しておこうかなと。 (^^;)









河合神社4
そんなワケで東の鳥居をくぐり、まずはこちら手水舎でお清めを。




ややヒネリを加えて、手水舎の後ろに回り込んでの1枚。 (^^;)









河合神社5
写真のり方もマンネリ防止にと思いましたが、あまりパッとしないような。 (^^;)




くだりが長くなりましたが、何はともあれ気持ちをえまして、

いざ潜入~。 (^^;)









河合神社6
御鎮座の年代は詳しくは不明であるが、神武天皇の頃と伝えられている。

「延喜式」(えんぎしき)に、「鴨川合坐小社宅神社」(かものかわあいに
います おこそやけのかみのやしろ)とある神社である。

(以下、由緒書きと駒札より抜粋。)






う~ん、お社の正式名称がいきなりしい。 (^^;)



でもでも、名称にも含まれているように、賀茂川と高野川が合流する只洲(ただす)
河原に祀られた事から、現在では通称で「河合神社」と呼ばれているんですね。









河合神社7
もう結構夕方ですが、境内にはくの参拝客が。


どうやら皆さんも、下鴨神社のりに立ち寄られているようです。 (^^;)





「小社宅」(こそべ)は、日本書紀に「社戸」(こそべ)とも読まれ、
それは御本宮の「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ:下鴨神社)の御祭神と
同じ神々との意である。









河合神社8
延喜元年(901)十二月二十八日の官符に、「河合社・是御宮(これみおや)・別雷
(わけいかづち)両神の苗裔神成(びょうえいのかみなり)」とある。






ちなみに苗裔神(びょうえいしん)とは、神社において親子関係にある神が祀られる
場合、に当たる神の事で、御子神(みこがみ)とも呼ばれるそうな。


なるほど、こちらには下鴨神社の御祭神・賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の
御子である神様が祀られているからなんですね。









河合神社9
春日灯篭にピントを合わせて、1枚パチリ♪





天安二年(858)、明神大社に列し、寛仁元年(1017)神階正二位。元暦二年(1185)には
正一位(しょういちい)に列せられた。

明治十年(1887)には、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ:下鴨神社)の第一摂社
となった。





下鴨神社と関わりが深く、そして最も重要な摂社とされ現在に至るワケですか。









河合神社10
さて、それでは御本殿へお参りに向かいましょう。 (^^)




それにしても、参拝者は女性の方が多いですね~。



入口の案内看板に記されてあった、女性向け御神徳の効果は
大きいようです。 (^^;)










河合神社11


御祭神


・玉依姫命(たまよりひめのみこと:神武天皇の御母神)





こちらも下鴨神社と同じくはありませんので、お賽銭をすべり込ませ、
二礼二拍手一礼。



心静かにお参りをさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)






玉依姫命は、御子である神武天皇をご立派にお育てになり、日本建国の母として
貢献された内助の御功績から、婦道の神として仰がれているんですね。



また、玉の如くに美しいお姿から、美麗の神としても信仰されるようになったそうな。






そんな御神徳を述べながらもスキを狙って・・・、









河合神社12
また殿内を撮ってしまいました。  (^^;)



もうしわけありません。 (^^;)





でもこうして拝見すると、社殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、
檜皮葺(ひわだぶき)のお屋根ですか。


重厚な趣が印象的ですね~。









河合神社13
そう言いつつ、神聖な御神鏡も撮ったりして。 (^^;)    ←(コラコラ)



いや、先の下鴨神社では修復工事中で、社殿を撮るどころか外観すら拝見
できませんでしたからね~。




このタイミングで一気に反動が来たような。 (^^;)








河合神社14
摂・末社にもお参りを。 (^^;)



御本殿の左手に、二社祀られています。




・貴布祢神社(きふねじんじゃ:摂社)

・任部社(とうべのやしろ:末社)





「貴布祢神社」にはの神様、そして「任部社」には賀茂建角身命の御化身である
八咫烏命(やたがらすのみこと)が祀られているんですね。




合わせてお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)









河合神社16
六社でもお参りした後、フト御本殿の右手を見ると、ズラリとしゃもじの様な
ものが奉納されています。




珍しいのでちょっと拝見してみましょう。 (^^)









河合神社17
説明書きを見ると、しゃもじではなく鏡絵馬(かがみえま)とのこと。 (^^;)



あらかじめ絵馬に描かれた顔を自分の顔に見立てて、しい女性になれますように
と願いを込めながら、化粧品や色鉛筆などで自分なりに仕上げる絵馬なんだそうな。









河合神社18
こうして拝見すると、ごく化粧のものから、はたまた下絵無視のアニメチックな
画風があったりと、色々と個性があって面白い。 (^^;)




このような珍しい趣向の絵馬があるとは、さすが美麗の神社だけありますね~。









河合神社19
続いて案内看板にもあった、鴨長明・方丈庵を拝見しましょうか。




ちなみに鴨長明(かものちょうめい)とは、平安末期から鎌倉時代にかけての歌人。

こちら河合神社の禰宜(ねぎ)・鴨長継(ながつぐ)の次男として生まれたんですね。




幼少より歌道に優れた長明。 後鳥羽上皇に見いだされてからは、和歌所の寄人
(よりうど)にも任ぜられ、後に上皇が河合神社の禰宜に補したものの、

様々な事情から実現する事はなかったそうな。









河合神社20
そんなならぬ世と、人生のはかなさを記すべく、元久元年(1204)に公職を辞して
出家し、洛北大原や伏見日野に隠遁しながら、かの方丈記を著したとか。




この方丈庵は、長明が各地を移動している間に住処としたもので、移動が便利なように
すべてが組立式になっているのもまた、合理的な構造です。




ちなみに方丈とは、四畳半ほどの広さの事。



この小さく質素な造りの庵で、長明は人生の無常感にさいなまれながら方丈記を
綴っていたんですね。









河合神社25
それにしても、長明はどのような事情からこの河合社の禰宜になれなかったの
でしょうか。



史実的には明らかでない部分が多いようですが、ただ言える事は、


いつの世も人生は自分のい通りに行かないもの・・・。



そんな儚さを自らに重ね合わせ、長明の御霊(みたま)をびます・・・。 ( ̄人 ̄)






と、何故かこのタイミングで、近くからジャラジャラと小銭の鳴る音が。  ?(゚д゚)?




不思議に思って、音の鳴る方を見てみると・・・、









河合神社21
神職の方がお賽銭の回収を始めていますよ。



という事は、もうすぐ閉門のお時間。




う~ん、少しのつもりがまた長居してしまった。 (^^;)





そんな呑気な事を言っている場合ではありません。









河合神社22
最後にゴスインを~。 (´д`) ノ      ←(そこ重要)



御朱印はこちらの授与所で頂けます。 (^^;)




け込むほど慌てる必要はなかったようですが。 (^^;)








河合神社23
でもでも閉門間際のおしい時間帯なので、色々とお聞きするのはまたの機会に。 (^^;)




待つ事しばしで、「河合神社」と書いて頂けました。



下鴨神社の摂社なので、繋がりの深い双葉葵の印もまた印象的。 (^^)




ありがとうございました~。 ( ̄人 ̄)









河合神社24
さてさて、そんなこんなで、京都市・左京区は「河合神社」(かわいじんじゃ)。


糺の森のふもと、長明ゆかりのお社で、良いお参りをさせて頂けました。 ( ̄人 ̄)


でも最後はドタバタ気味だったので、また時間があるときに訪れて、改めてゆっくりと
拝観させて頂きたいと思います。 (^^;)



あとそう言えば、下鴨神社と関わり深い上賀茂神社も、メジャーどころながら
当ブログでは訪れていませんでした。


こちらも特別公開の機会は多いので、またの機会にお伺いしたいと思います。 (^^;)






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