9/9(月)。 大阪市・東淀川区は崇禅寺(そうぜんじ)へ
行って参りました。








崇禅寺1
本日はチョト御用がありまして、阪急電車はその名も、崇禅寺駅周辺に
来たんですが、



なかなかる所ではないので、また1ヵ所位はっておこうかなと。 (^^;)









崇禅寺2
駅から北方向へ、徒歩5分ほどで目指すお寺が見えてきます。





何だかこのくだりも、最近はパターン化してきているような・・・。 (´д`)






でもでも、いつもお仕事関連ついでに、こうして色々と社寺もれるというのは、



ありがたい限りです。 (^^;)    ←(要はサボり)









崇禅寺3
しいツッコミが入りつつも、西側の外観を拝見。 (^^;)





おお、か先まで続く外塀。



これは予想外に広大な寺域を感じさせます。






いやワタクシ、いつも阪急・京都線にはお世話になっていながらも、実はこちら

崇禅寺に訪れるのは、今回がめてだったりするんです。 (^^;)









崇禅寺4
そんな独りごとを言いつつも、巽門の正面へ。




右手の柱を拝見すると、寺号は凌雲山(りょううんざん)と号するようです。






それではひとまず、気持ちを整えまして、いざ潜入~・・・。  ( ̄人 ̄)









崇禅寺5
外観にたがわず、境内も広大な敷地です。






当寺は、今より1200年余り前、奈良時代の天平年間(729~748年)に、法相宗の
行基(ぎょうき)によって創建された。

その後、嘉吉元年(1441)6月の嘉吉の乱で、室町幕府6代将軍・足利義教
(よしのり)公が、播磨守護・赤松満祐に京都で殺害される。

(以下、お寺の沿革より抜粋。)









崇禅寺6
北側の立派な山門も、パチリ♪





赤松の一党が居城の白旗城に逃げ落ちる途中、義教公の首を当寺に葬った
因縁により、翌年に時の管領・

細川持賢(もちかた)より大伽藍と寺領の寄進をうけ、足利義教公ならびに
細川家の菩堤寺として再興された。









崇禅寺7
伽藍もこれまた立派な造り。






再興の折、徳叟亨隣(とくそうこうりん)大和尚を開山とする曹洞宗に
改められた。

このため、当寺には足利義教公の首塚と大和尚の墓があり、またその墓と並んで
細川ガラシヤ夫人の墓がある。






なるほどこのような事から、足利家・細川家と大変ゆかり深いお寺なんですね。









崇禅寺8
境内の北側にその墓地がある様なので、お参りの後に伺ってみましょうか。





それにしても、境内はとてもか。



住宅街の中にあって観光寺でもないので、普段は訪れる人も少ないのでしょう。






ま、ワタクシは静かにゆったりお参りできるほうが、しいんですが。 (^^;)
 








崇禅寺9
ではその静かな中、いよいよ御本堂へ。





山門の垂木(たるき)をフレームの上に入れて、写真の構図にもこだわりつつ。 (^^;)









崇禅寺10
おや、頭上の扁額を拝見すると、永平七十一世管長・瓏仙(ろうせん)なる銘が
伺えます。




なるほど、こちらは福井県は永平寺を大本山とする禅宗寺院のようです。




それにしても、瓏仙禅師自らの御親筆なのでしょうか。









崇禅寺11
少々気になりつつも、気持ちを整えまして、お参りを。





御本尊

・釈迦牟尼仏像(しゃかむにぶつぞう)






ガラス戸に阻まれて、お堂内の様子をうかがい知る事は出来ませんが、


いつも通り、手順正しくお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)









崇禅寺12
サッシにはカギが掛かっているんでしょうか、お堂内にお邪魔できそうな

空気でもないので、やめておきましょう。









崇禅寺25
というワケで、御本尊様のお姿は毎度、パンフレットより拝借。 (^^;)





伝教大師(最澄:さいちょう)作の釈迦牟尼仏像なんですね。





木そのものが持つ迫力や重量感などが力強く、とても印象的。


平安時代前期の仏像様式の特徴を、よく表している様に感じます。





改めてお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)









崇禅寺14
その後は境内の西側へ。



こちらにもお堂があるので、順にお参りして行きましょう。 (^^)









崇禅寺15
こちらはどうやら、「地蔵堂」と「観音堂」のようです。



お地蔵様はともかく、石仏の観音様というのは珍しいような・・・。 





でもでも、ありがたい事に変わりはありません。





こちらでもじっくりとお参りさせて頂きます。 ( ̄人 ̄)









崇禅寺16
ここから北側へ向かうと、墓地になっているんですね。




多くの墓石が並んでいるのが伺えます。









崇禅寺17
その一角に、立派なお墓が見えてきます。




なるほど、どうやら正徳5年(1715年)11月4日に、こちらの境内でだまし討ちとなった
遠城兄弟のお墓であるもよう。





大和郡山の藩士・「遠城治左衛門」と「安藤喜八郎」の兄弟は、末弟の宗左衛門が
剣術の試合で負かした生田伝八郎に闇討ちとなったを討とうとして、

伝八郎の多勢の門弟らのために崇禅寺馬場で返討ちになったので、
第14世住職・門啓天岑大和尚が墓碑を建立して祀ったとか。






江戸時代は此処で、そのような惨劇が繰り広げられたんですね。



刀でり合った生々しいエピソードに、思わずお堂を前にして、合掌・・・。 ( ̄人 ̄;)









崇禅寺18
先へ進むと、これまたひと際立派なお墓が。




沿革にもあった、ガラシヤ夫人のお墓のようです。





明智光秀の二女であったガラシヤ夫人は、関ヶ原の戦いの直前、夫の
細川忠興(ただおき)が家康方の先鋒となって出陣後、


石田三成が夫人を人質にしようと攻め寄せた際に、小笠原少斎(しょうさい)の
長刀のもとに、37歳の生命を落として婦徳を全うした敬虔なキリシタン
だったんですね。





ザビエルの弟子・オルガンチノが、ガラシヤ夫人と殉死者の遺骨を拾い、
細川家ゆかりのこちらのお寺に埋葬されたとは、


これまた歴史深い・・・。









崇禅寺19
歴史深さに感動しつつも、だいぶ日がれてきたので、そろそろおいとまを。 (^^;)









崇禅寺20
もちろん、お参りあとのお楽しみ、御朱印を頂いてから。 (^^;)





寺務所はこちらですね。




広い境内ですが、案内が記されてあって迷う事はありません。









崇禅寺21
納骨堂前の布袋様が、なんとも福々しい。 (^^;)









崇禅寺22
そして、こちらインターホンを押して、ピンポ~ン。 (^^)ノ





この時はちょうど、おしいタイミングだったのかも知れません。





毎度の、き込み調査があまり出来ず、残念。 (^^;)









崇禅寺26
ま、こんなもあります。 (^^;)





でもでも、こうして御本尊様である、「釋迦牟尼佛」(しゃかむにぶつ)
と書いて頂けて、



ありがたき幸せ~。 ( ̄人 ̄)









崇禅寺24
さてさて、そんなこんなで、大阪市・東淀川区は「崇禅寺」(そうぜんじ)。



広大な敷地ながら、今は住宅街の中にひっそりと佇む寺院。

かに良いお参りをさせて頂きました。 (^^)



歴史深く、中でも特に細川家とのゆかり深さは印象的でした。





ホント、それぞれのお寺に、深い沿革があるんですね~。





ふらりとでも訪れる社寺巡り。



これからも、やめられそうにありません。 (^^;)      ←(サボりはやめましょう)






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