トップページ > 2012年05月26日 | ||||
社寺巡り 京都・2012年 春期特別公開 「真珠庵」(しんじゅあん)
5/6(日)。 京都・北区・大徳寺山内は「真珠庵」(しんじゅあん)へ
行って参りました。
→社寺巡り 京都・2012年春期特別公開「法性寺」(ほうしょうじ) 2012/05/09
に続きまして、
春期・「特別拝観」の第二弾になります。 (^^)
それにしても、あまりに遅くなって、「春期」のネタを初夏に更新とは、
これ如何に。 (^^;)
というワケで、まずはさらっと大徳寺へ到着。 (^^;)
と言いますのも、今回お伺いする「真珠庵」は、大徳寺の寺域内にある
塔頭(たっちゅう)寺院だからなんです。
古文化保存協会の主催以外に、お寺独自でも特別公開をされているようですね。
それでは総門をくぐって、静かに山内へ・・・。
まずは山内図で位置関係を確認。
迷子にならないように。 (^^;)
なんと言ってもこちらは、臨済宗大徳寺派の大本山。
20か寺超の塔頭を抱える、広大な寺域ですからね~。
右手に見えてくる三門(金毛閣)を、パチリ♪
本日はあいにくのお天気ですが、こうしてしっとりと雨に濡れた
大型寺院もまた、趣があります。
さて七堂伽藍を臨みながら、真っ直ぐの参道を進んでいきましょう。 (^^)
ちなみに、今回こちらに訪れた理由は、久しぶりに
禅寺に行きたいな~と。
いや、ただそれだけ。 (^^;)
でもホント、いつも多くのお寺を巡っていますが、こうして
禅宗のお寺でお参りする事で、身を引き締める意味もあったり・・・。 ( ̄人 ̄)
そんなに大層なものではありませんが。 (^^;)
そうこうしている内に、無事に真珠庵へ到着♪
ちなみに今回、本坊も特別公開されていますが、またの機会に。
どちらかと言うとワタクシ、塔頭の方が好きなので。 (^^;) ←(塔頭好き)
おや、そう言えばいつの間にか、雨が上がっていました。
やや前置きが長くなりましたが、
傘を畳みまして、気持ちも整えまして、いざ潜入~。
おお、広くはないものの、とてもお手入れの行き届いた前庭が広がっています。
本山方丈の北側に位置する真珠庵は、大徳寺第四十七世・一休宗純
(いっきゅうそうじゅん)禅師の庵室のあとである。
永享年間に創建されたが応仁の乱で焼失し、延徳三年(1491)・禅師の
篤信者で境の豪商尾和宗臨(おわそうりん)居士に依って再興された。
(以下、拝観の手引より抜粋)
立派な松の木が、空に向かってそびえています。
現在の方丈(重要文化財)は、寛永十五年(1638)に再建されたものであり、
桁行19m、梁間14.1mで七間六面単層入母屋造桧皮葺(ひわだぶき)である。
フト空には、これまた立派な入道雲。
いつの間にかこんなに晴れ渡って、ついさっきまでの雨模様は
何だったんでしょうか。 (^^;)
一休宗純禅師は法諱を宗純。別号を狂雲子という。初め周建といい、
後小松天皇第一皇子とされている。
永享十二年、大徳寺山内・如意庵に住し、享徳元年(1452)瞎驢庵
(かつろあん:真珠庵の前構)に入って住した。
方丈まで、あともう少し。 (^^)
応仁元年(1467)兵乱を避けて薪の酬恩庵(しゅうおんあん)に入り、
次いで文明元年(1469)大和・和泉を経て摂津住吉に閑居。
同六年二月二十二日、勅請にて大徳寺住職となり、九月兵乱を避けて
和泉に至る。文明十三年(1481)十一月二十一日に寂した。世寿八十八。
そういえばずい分以前、→社寺巡り 京都・「一休寺」(いっきゅうじ)
「観音三十三身図特別公開」 2010/08/18で、酬恩庵にお参りした事がありました。
さて、受付はこちらですね。
ワタクシも拝観料をお納めして、お邪魔します~。
ちなみにお堂内は、例によって撮影禁止なので、写真はまたまた
パンフレットより拝借。 (^^;)
「礼の間」から「室中の間」へと拝観していきます。
中央の奥には、一休宗純禅師の坐像(室町時代作・重文)が祀られて
いるので、まずは、静かにお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)
お像のあごひげの部分には、禅師の本物の髪の毛が結わえられて
いるそうですが、
実際には暗くて、よく見えません。 (^^;)
さて、お部屋には曽我蛇足(そがだそく)筆、四季花鳥図の襖絵
(1491年・重文)がおごられています。
右から左へ、春・夏・秋・冬と、四季の移ろいに合わせて花や鳥が力強く
描かれて、なかなかの見応え。
中国の伝説の鳥・叭々鳥(ははちょう)が、つがいで描かれているのも
興味深い。この鳥が現れると、良いことが起こるという言い伝えから、描かれたそうな。
沿革にもあった、尾和宗臨(おわ・そうりん)が寄進したという天蓋(てんがい)も見事。
トルコ石やサンゴ、真珠などの宝石を使って彩られて、実に美しい。
ちなみにこちら真珠庵という寺名は、中国の故事にならったものだとか。
「雪の降りしきる破れ寺の中で修行していると、破れた障子の隙間から雪が入り込み、
その雪が月の光にきらめいて、真珠のように輝いた」、という故事。
このような厳しい環境の中でも修行する姿を、禅師は大切にされたんですね。
自身の亡き後にゆかりのある寺が出来た際には、真珠庵と付けて欲しいと、
言い残されたとか。
う~ん、寺名の由来がなんとも奥深い。 ( ̄人 ̄)
天蓋に真珠が使われていたから、ではなかったんですね。 (^^;)
中央に掲げられている、一休禅師筆のお軸も拝見。 (^^;)
「諸悪莫作」(しょあくまくさ)
「衆善奉行」(しゅぜんぶぎょう)
「悪い事はするな、善い事をせよ」という、仏教の教えの根本原則が
書かれているんですね。 ( ̄人 ̄)
最初はしっかりした文体ながら、次第に崩れて草書風になっていく書のスタイルは、
一休禅師特有のものなんだそうな。
途中でやる気がなくなったのではないようです。 (^^;) ←(そんなワケない)
「檀那の間」で長谷川等伯の襖絵を拝見した後は、お庭へ。
史蹟名勝・七五三の庭。
一休禅師の参徒の一人、茶祖・村田珠光(じゅこう)の作と伝わり、十五個の石が
七五三に配置されています。
奥行きはあまりないものの、計算された石の配置、苔と新緑も相まって、
実に清々しいお庭です。
順路を進むと、お茶室・庭玉軒(ていぎょくけん)が見えてきます。
こちらのお茶室、造りに少々工夫がなされているとか。
にじり口をくぐると、すぐに畳みがあるのが一般的なお茶室ですが、
こちらはくぐり戸を抜けると、刀掛けやつくばい、飛び石がある
内露地が設けられています。
お客人にはここで履物を脱いで頂いて、ようやく次の貴人口からお茶室へ
迎え入れるという、二重構造になっているんですね。
作者の金森宗和(かなもりそうわ)が飛騨高山、つまり雪の多い国
出身だった事にちなんで設計したとか。
雪国だと外のつくばいの水が凍ってしまったり、雪で着物が濡れたりします。
なるほど、ここ内露地だと凍結も防げて、着物の雪も払ってお茶室に入って
頂けるという、雪国仕様なお茶室でしたか。
でも、雪国ではない京都で、雪国仕様のお茶室とは珍しい。
それもそのはず、京都でこのような造りのお茶室は、ここ庭玉軒のみなんだそうな。
作者の宗和が、故郷を想って造ったのでしょうか・・・。
それにしても、なんともきめ細やかな心配りのお茶室です。 (^^)
そのほか、土佐光起(とさ みつおき)筆、松図・花鳥画などの襖絵も拝見。
寺宝が多くて、本当に見応えがあります。
まだまだじっくり拝観したい所ですが、閉門時間が近づいてきました。
と言っても、またけっこう長居しているんですが。 (^^;)
そろそろおいとましましょう。 (^^;)
最後に、受付で御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)
寺名の「真珠菴」と書かれています。
ありがとうございました。 (^^)
さてさて、そんなこんなで、京都・2012年春期・特別公開 「真珠庵」
(しんじゅあん)。
一休禅師にゆかりの深いお寺で、たっぷりと拝観させて頂きました。
また、貴重な寺宝の数々も拝見できて、大満足です。 (^^)
さて、えらく更新が遅くなりましたが、
2012年 京都・春季非公開文化財・特別公開編は、これにてやっと終了。 (^^;)
今回も何だかんだで、
結局、2ヵ所しか巡れませんでした。 (^^;)
でもでも、特別公開ならではのご説明付きで、内容の濃い拝観が出来て納得。
次の特別公開も、がんばって巡りたいと思います。
できれば、また2ヵ所くらいで・・・。 (^^;) ←(ハードル低い)
powered by TomiryuMap