社寺巡り 京都・「ゑびす神社」(えびすじんじゃ) 「名刺・財布・感謝祭 」 2009/9/28の続きで、
禅居庵(ぜんきょあん)」へ向かっています。





禅居庵1
向かっていると言っても、「ゑびす神社」(えびすじんじゃ)を出て右手には、
もう見えてるんですけどね。(^^;)


ちょっと気になったので、お伺いすることに。








禅居庵2
亥歳(いどし)の守り本尊・「摩利支尊天堂」(まりしそんてんどう)。

建仁寺(けんにんじ)の塔頭(たっちゅう)なのですね。(^^)








禅居庵3
失礼しまして、正面へ。


おや?








禅居庵4
「!」

狛犬ならぬ、狛猪(こまいのしし)。


なるほど、こちらの御本尊の眷属(けんぞく:お使い)が、だからですか。(^^;)








禅居庵5
では、気持ちを整えまして、いざ潜入。



当庵のご開山大鑑清拙正澄禅師(だいかんせいせつしょうちょうぜんじ:
1274~1339)は中国福建省福州のお生まれで、月潭紹円禅師に就いて出家後、
破庵派の愚極智慧(ぐごくちえ)禅師の法をつがれます。
(以下、お寺のパンフレットより抜粋。)








禅居庵6
まずは、すぐ左手の、お稲荷様・三光威徳天様、他お堂でお参り。( ̄人 ̄)


南禅寺住持を辞し、建仁寺山内禅居庵に退隠された禅師は、暦応二年
(1339)正月十七日、ここにおいて遷化されます。六十六歳でした。








禅居庵8
おお、こちらにもいのししさんが。


摩利支天の語源はサンスクリット語で、陽炎(かげろう)を意味する
Marici(マリーチ)の音を漢字に写したものです。そのルーツは、陽炎が神格化した
古代インドの女神マーリーチで、創造神プラフマー(梵天:ぼんてん)の子と言われています。








禅居庵9
陽炎には実体がないので、捕らえられて傷つけられることが無いところから戦国武将の
間に摩利支天信仰が広がったようです。楠木正成や前田利家は兜の中
摩利支天の小像を入れて出陣したと言われています。








禅居庵10
順番が後になりましたが、こちら手水舎でお清め。



おお、こちらも猪。



口から水を噴いておられます。(^^;)








禅居庵11
堂宇は初め元弘年間(1331~3)に小笠原貞宗により創建されましたが、天文の
兵火で焼かれ、天文十六年(1547)に織田信長の父である信秀が建立したと
伝えられます。その後、元禄・享保・安政・明治・平成と、改修が行なわれ今日に
至っています。








禅居庵12
それでは、摩利支天堂でお参りさせて頂きましょう。(^^)


ちなみに、禅居庵本堂は非公開のようです。








禅居庵13 禅居庵14
おお、欄間(らんま)には猪の彫刻、そして奉納額にはおびただしい数の
猪が描かれています。 スゴイ。



まさにのお寺。








禅居庵15
御本尊 : 摩利支天(まりしてん)


猪さんに圧倒されつつも、お参り~。( ̄人 ̄;)







おや。 右手から、お堂内に入れるようです。


お邪魔します~。(^^;)








禅居庵16
これはまた、立派な造りです。

再度お参り~。( ̄人 ̄)




お堂内、あまりに立派だったので、また思わず撮ってしまいました。


もうしわけありません。(^^;)








禅居庵17
お堂から出て、ふと山門を臨むと、

う~ん、お線香のいい香り。




いかにも「お寺」、という感じで、良い趣です。(^^)








禅居庵18
さて、最後にこちら納経所で御朱印を頂きましょう。



「スミマセ~ン。 (´Д`) 」








禅居庵19
「し~ん。」



無人です。 物騒な。(^^;)




近くで、お掃除をされている方にお尋ねすると、和尚さんはお勤め中で、他に書ける方は
いないとの事。




これは残念。(^^;)








禅居庵20
ま、ワタクシ、御朱印「命」ではありませんので、またの機会に。(^^;)








禅居庵21
門の前で、一礼しておいとまします。



ありがとうございました。(^^)








禅居庵22
さてさて、そんなこんなで、京都は建仁寺(けんにんじ)塔頭・「禅居庵」
(ぜんきょあん)・「摩利支尊天堂」(まりしそんてんどう)。




東山区の中、とても静かなお参りをさせて頂きました。(^^)






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