先日更新しました、→祝・ブログ開設九周年の記事の続きで、


本日はそのままお寺のレポを。 (^^;)







成田山不動尊1
いや、昨年と今年と、節分の日に合わせてこちら、

大阪は「成田山不動尊」にお邪魔していたんですよね。


ブログ開設の節目に合わせて訪れ、こうして芸能人や舞妓さん
撮影でのレポがメインになっていたんですが、



祭事の式場となっているお寺のご紹介もしていないのは

如何なものかと思いまして。 (^^;)









成田山不動尊2
そんな経緯からめまして、沿革を含めてお参りをば。 (^^;)




大本山・「成田山新勝寺」の起源と関西の縁は古く、天慶の昔、
関東で起きた「平将門の乱」平定のおり、


新勝寺の開祖・寛朝(かんちょう)大僧正が、御本尊と共に、海路にて
大阪の地を出発した事から始まる。

(以下、お寺の公式サイト・栞より抜粋。)









成田山不動尊3
弘法(こうぼう)大師・空海の手によって開眼された不動明王
御本尊を持参し、関東まで参上した寛朝大僧正は、護摩法と不動明王の
ご霊験により乱を見事平定、


その功績により開山・鎮座されたのが現在の千葉県成田の地、大本山・
成田山新勝寺のまりとされている。





なるほど、こちらは千葉県にある成田山「新勝寺」の、大阪別院
なるんですね。

御本尊を含めて、大本山との関わりがいエピソードもまた興味
深い所。









成田山不動尊4
今更ながら、こちらでお清めを。 (^^;)




当別院の歴史は、大阪地区への成田山別院建立を望む声が
高まる中、当時大本山成田山新勝寺の大篤信(だいとくしん)であり

大阪府知事の実弟でもあった田辺真弘氏が、関西信徒を代表
して大本山へ願い出られた事から幕を開けた。





関西の成田山新勝寺への信仰はとても古いそうな。

明治から大正時代、大阪庶民の信仰の中心である千日前
「水かけ不動」近辺に、成田山不動堂が祀られていた程だったとか。









成田山不動尊5
別院建立の敷地に関しては、古くより大阪方面から鬼門に当たると
いう事で開発の遅れていた香里の地が選定され、京都の鬼門:比叡山に
延暦寺があるように、

大阪の表鬼門であり京都の裏鬼門となる香里の地に、守護神として
霊験あらたかなる成田山の不動明王をお祀りする事で、この地の発展も
祈念する事になった。





これまたなるほど、その様な理由から大阪府寝屋川市のこの地に創建
されたワケですか。


鬼門除けに起源があるお寺なので、節分に豆まきが盛大に行われる
のもこれで納得。 (^^;)









成田山不動尊6
加えて、交通安全の祈願で有名なお寺でもあるんですね。


日本で初めて交通安全祈祷殿が建立された寺院で、今では年間20万台
もの御祈祷車を迎える規模だそうな。



この日は、「土曜日+車の御祈祷+節分行事」と、混雑する要素が特に
重なったようで、周辺道路は大渋滞だったんですが。 (^^;)





そんな事を言っていると・・・、









成田山不動尊7
ぬおっ、このタイミングで舞妓さん、再登場!? (@_@;)



いや、そんなにく事ではありませんか。 ちょうど祇園へおりの
所だったんですね。


ちなみに右側が小衿(こえり)さんで、左側が豆こま(まめこま)
さんでしたか。

いや、コメントで教えて頂けて、やっとお名前が分かったり。 (^^;)



でもホント、本日は1枚頂けてありがとうございました~。 m(_ _)m


と、お帰り際にもこうして1枚頂いてたりして。 (^^;)  ←(ちゃっかり者)









成田山不動尊8
舞妓さんもほどほどに、御本堂へお参りに向かいましょう。  (^^;)



朱塗りに金色の錺金具、極彩色の彫物と、何とも立派な御本堂です。


ここでは昭和9年の開創以来、一日も欠かさず御護摩修業が奉修
されているそうな。


ここは正に、御信徒の諸願成就を祈念する御護摩修業道場なんですね。









成田山不動尊9

御本尊


・不動明王(ふどうみょうおう)





お賽銭をすべり込ませ、


手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)  




いやホント、全ての部の豆まき行事が終了しないと、御本堂前は
大変な混雑なので、

このタイミングでち着いてお参りを。 (^^;)








成田山不動尊10
フト振り返ると、御本堂前には臨時で設けられた回廊が見えます。

なるほど、著名人方はここを渡ってまきの特設舞台に向かって
いたワケですか。


今はまり返って、ついさっきまでの混雑が嘘のよう。 (^^;)









成田山不動尊11
おや、こちらはその特設舞台中央にド~ンと鎮座されていた
千升大福升。 (゚д゚)


実際に千升分の豆が入るそうですが、間近で見るとさすがにきい。


年に一度の役目を終えると、こうしてトラックでばれて帰るんですね。



ある意味レアな場面に出会えたかも。 (^^;)






そんな事を言いつつもスキを狙って・・・、









成田山不動尊12
またお堂内を撮ってしまいました。  (^^;)



もうしわけありません。 (^^;)



ちなみに節分行事あとのお片付けのっ最中でしたか。


普段はお堂内に上がって自由にお参りできるようですが、さすがに
本日はご遠慮を。 (^^;)









成田山不動尊13
お次は客殿の「吉祥閣」を右手に臨みながら、大師堂へ。


御本堂から離れたこの辺りになると、更に参拝者は少なくかですね。



これはち着いてお参り出来そうです。 (^^)









成田山不動尊14
勝手にお堂内にがって、お参り~。 ( ̄人 ̄)     ←(コラ)


いや、こちらも上がっての参拝はOKらしく、せっかくなので。 (^^;)



それにしても、こちら大師堂もまた立派な造りですね~。


装飾も豪華で、特に天井の繊細な絵には思わず見入ってしまいます。









成田山不動尊16
続いて御本堂の西側へ回ると、「新四国八十八ヶ所霊場」なる
巡礼所が。 (゚д゚)



真言宗の開祖、弘法大師・空海の御跡である「四国八十八ヶ所霊場」を
巡礼する事をお遍路というんですね。


こちらの霊場は諸事情でお遍路出来ない人の為にあるそうで、巡礼すると
実際にお遍路した時と同じ御功徳がられるそうな。




それではワタクシも謹んで・・・、


流しお参り~・・・、    ~~(  ̄人 ̄)   ←(コラコラ)



これも毎度ながら、一応持ちは込めてお参りしておりますので、

の為。 (^^;)









成田山不動尊19
さて最後に、御本堂裏手の「出世稲荷」と「大黒天堂」でお参りを。 ( ̄人 ̄)


ちなみにこちらにもお堂がられていたんですね。

いや、去年訪れた時にはここまで来ていなかったので、今年めて
お参りしたり。 (^^;)









成田山不動尊20
あと、参拝箇所として奥の院もあるようですが、残念ながら
参拝時間が午後3時までとの事。



不動明王や大日如来をはじめ、生まれ年の十二支に当たる仏様
が安置されているそうなので、是非またの機会に・・・。









成田山不動尊21
さて、またずい分と長居したので、そろそろおいとましましょうか。



いやホント、本日は朝早くから閉門近くまで、ほぼ一日をこちらの
お寺で過ごしたので。 (^^;)









成田山不動尊22
そう言いつつも、御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)



こちらの総受付で頂けるんですね。









成田山不動尊23
ちなみに頂けました御朱印がこちら。


「本尊 不動明王」(ほんぞん ふどうみょうおう)と
書いて頂けました。


ありがとうございます~。 m(_ _)m



大きなお寺で、この時間でも何かと総受付はおしそうなので

お話のお伺いとかは、さすがにご遠慮を。 (^^;)









成田山不動尊24
さてさて、そんなこんなで、大阪府・寝屋川市は「成田山
不動尊」
(なりたさんふどうそん)。


千葉県は「成田山新勝寺」を大本山とする、関西唯一の別院で
いお参りをさせて頂きました。 ( ̄人 ̄)


交通安全の御利益でも大変有名なお寺なので、節分を機に
ちゃんとお参りしてレポも出来て良かった。 (^^)

時間的に奥の院までれなかったのは心残りですが、
こちらはまたの機会に・・・。



さて、もう2月も今日で終わりというのに、また更新をサボって
ここまで引っ張ってしまいましたが、

一応節分ネタはここで終了。 (^^;)


でもでも、豆まきの邪気払いに、舞妓さん撮影まで出来て、
ワタクシ的には満足の節分の一日になったり。 


味を占めて、また来年も訪れるかも知れません・・・。 (^^;)






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10/21(土)。 大阪市・北区は富島神社(とみしまじんじゃ)へ
行って参りました。







富島神社1
本日はチョト御用がありまして、ここ梅田周辺に来たんですが、
普段は訪れる機会がない場所なんですよね~。



なのでまた、スマホのマップで最寄りのお社を探して、ふらり
訪れようという

毎度の企画なワケであります。 (^^;)









富島神社2
はここで合ってますか~!?   ~ (´д`;) ~ (;´д`)



大阪でも難波を中心とした一帯をミナミと呼ぶのに対し、
ここ梅田周辺はキタと呼ばれるんですね。


いずれも地理的に複雑な上に、交通量も常に多いので、
せわしなくてりにくい。 (^^;)









富島神社3
それでも徒歩10分くらいで目指す神社が見えてきました。


梅田の少し北側で、中津という地区になるんですね。



繁華街から少し離れただけで急にかになって驚き。









富島神社4
そして無事に到着♪



本日はあいにくの模様なんですよね~。


でもでも気持ちを整えまして、石の鳥居前で一礼し、
潜入~。 ~(  ̄人 ̄)









富島神社5
当社の創立年代は不詳であるが、社伝によると足利時代に
既に存在しており、牛頭天王社・祇園社と称していた。

(以下、由緒書きより抜粋。)





それにしてもかな境内。

ここが大阪の中心地である事をれてしまう程です。









富島神社6
続いてこちら手水舎でお清めを。





この地は昔、摂津国(せっつのくに)西成郡南中島村
光立寺大字本庄七三三番地といい、
氏子地域は字光立寺東部・下三番・民南浜村他、五ヶ村の
人々の崇敬篤く、安堵の地であった。










富島神社7
御本殿の左手には多くの末社が御鎮座されています。

あとでお参りさせて頂きましょう。 (^^)





明治元年の神仏習合禁令により神号に「牛頭天王」の使用が
禁止されたので、明治二年に浪速八十島(なにわ
やそじま)の中の「利島」にちなみ、利島神社と改称する。





なるほど、「牛頭天王」(ごずてんのう)や「祇園」(ぎおん)は
仏教語に当たるという事で、明治の神仏分離令では
禁止されたワケですか。









富島神社8
明治四十三年には、昔この辺りを富島の荘と呼んでいた
事から富島神社と改称して現在に至る。





創建の年代は不詳ながら、「文禄三年九月十六日・片桐
東市正(ひがしのいちのかみ)検地」と記録があるそうな。


なるほど、文献に残るものとしては戦国武将の片桐且元
(かたぎりかつもと)に関わる記述が一番古いんですね。



でも室町時代には牛頭天王社と称され、既に御鎮座されて
いた事を考えると、

これまた大変歴史深い事です・・・。 ( ̄人 ̄)









富島神社9
それにしても、今日は雨足がまりませんね~。


砂地の境内は所々も出来て、靴はぐちゃぐちゃに。 (^^;)



それにこの日は台風が近づいているとの事で、そもそも
こんな日に社寺巡りする事自体に無理があったりして。 (^^;)









富島神社10
そんな事を言いつつも、いよいよ御本殿へ。 (^^;)



ちなみに手前は拝殿で、その後ろ側が御本殿なんですが・・・、

細かい事はいておいて、何はともあれお参りを。 (^^;)









富島神社11


御祭神


主神
・速素盞嗚尊(はやすさのおのみこと)


相殿(あいどの)
・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
・八幡大神(はちまんおおかみ)
・奇稻田姫命(くしいなだひめのみこと)
・豊受皇大神(とようけすめおおかみ)
・住吉大神(すみよしおおかみ)
・菅原道真公(すがわらのみちざねこう)




それではお賽銭をすべり込ませ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。



手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)





それにしても牛頭天王にルーツを持つお社なので、現在の
主祭神が「盞嗚尊」(すさのおのみこと)である事に、妙に納得。



いや、当時の神仏習合思想の一つである本地垂迹説
(ほんじすいじゃくせつ)において、


仏教における祇園精舎の守護神である牛頭天王と、素盞嗚尊が
習合したからではないかな~と、


そうワタクシ的に勝手に推測したりで。 (^^;)









富島神社12
しいお話しはまたの機会にして、建築様式の拝見を。 (^^;)



おや、よく見ると、拝殿の扉には社紋が透かしガラスで埋め
込まれていますよ。 (゚д゚)


歴史ある中にもモダンな様式で、なかなかにしい。









富島神社13
モダンと言えば、こちら拝殿前の灯籠、真新しい感じで
気になっていたんですよね。


でもよく見ると部分的に真新しく、何やらモダンアート的な
印象も受けたり。



いやワタクシ、時々こういうかい所が

になったりするので。 (^^;)     ←(細かいヒト)









富島神社15
そんな事を言いつつも、各末社へお参りを。 (^^;)



最近お気に入りのめ構図で鳥居を通り抜けながら、

富島稲荷社へお参り~。 ~~(  ̄人 ̄)









富島神社16
おや、そのお稲荷様のすぐ隣には、倒しになった手水鉢
らしきオブジェが。 (゚д゚)


しかも、半分ほど地中にまった感じで、一体何なんでしょうか。


になる所です。 (^^;)









富島神社17
そして続いて、右どなりの美津社へ。 ~(  ̄人 ̄)



御祭神

・事代主神(ことしろぬしのかみ)
・天児屋根命(あめのこやねのみこと)
・兵衛府八幡(ひょうえふはちまん)
・猿田彦神(さるたひこのかみ)









富島神社18
さらに右どなりには、べっさんが祀られているんですね。


もちろんお伺いします。 (^^)









富島神社19
周囲のに飲み込まれそうな勢いで、結構なインパクト。 (^^;)


でもそこは十日戎を象徴する笹、強いパワーを感じたり。




富恵美須社

・事代主神(ことしろぬしのかみ)




存分にお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)









富島神社21
「大楠宮」、そして「天満宮」と巡り・・・、


そろそろ閉門のお時間も近づいて来たので、そろそろおいとま
しましょうか。




もちろん御朱印を頂いてから。 (^^;)









富島神社25
もう夕方5時前だったので無理かな~と思いましたが、社務所の
インターホンを鳴らすと、

わざわざ奥から出て来て頂けて恐縮です。 m(_ _)m



そんな状況ながら、度お話のお伺いも。 (^^;)   ←(迷惑です)


いや、書いて頂きながらの間話程度で。 (^^;)









富島神社20
600年の歴史がありながらも、現在では沿革の詳細が不詳
というのは残念な限り。



それもそのはず、神社の歴史を記す貴重な資料が、明治の
淀川大洪水で流失、太平洋戦争では焼失と、

そのほとんどがわれてしまったからだそうな・・・。


辛うじて残った正確な文献はあるものの、今では各頁が
くっ付いて剥がせず、歴史を紐解けないままなんだとか。 ( ̄人 ̄;)









富島神社13
少しのお伺いが、何だか々しいエピソードになったので、
素朴なご質問も一つ。 (^^;)


拝殿前にあった、この部分的に真新しい感じの灯籠について
お聞きしたところ、

かの震災によって倒壊したので、修復されたからだそうな。



なるほど、こうしてお聞きする事によって、ワタクシは一つずつ
スッキリするワケなんです。 (^^;)









富島神社23
その他にも色々とお聞きする内、こちらが頂けました御朱印


社名の「富島神社」(とみしまじんじゃ)と書いて頂けました。



本日は出先からふらりと立ち寄ったので、御朱印帳を持参
してなかったんですよね。


なので半紙に書いて頂いたんですが、オウチに帰ってから
予想外にきなサイズだった事が判明。 (゚д゚;)



お帳面に上手く貼れる様、慎重にカットしましょう。 (^^;)









富島神社24
さてさて、そんなこんなで、大阪市・北区は富島神社
(とみしまじんじゃ)。


台風前日でれ気味のお天気の中でも、良いお参りを
させて頂きました。 (^^;)


いやホント、大阪・梅田はやかな繁華街から程近くも、
とても静かで印象的な神社でした。



都会のど真ん中にも、こうして心まるお社はまだまだ
あるんですね。


また大阪市内に出向いた際は、色々とれてみたいと
思います。 (^^)






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9/10(日)。 大阪府・寝屋川市は友呂岐神社(ともろぎじんじゃ)
へ行って参りました。







友呂岐神社1
本日はチョト御用がありまして、香里園(こうりえん)の周辺にまで
来たんですが、

訪れる機会が少ないので、また1ヵ所位はっておこうかな~と。 (^^;)



いや、既に夕方4時も回っているので、時間的にはかなり
しているんですが。 (^^;)









友呂岐神社2
そんな事を言いつつも、テクテクと住宅街の中を通って行くと、
石の鳥居が見えてきました。



ちなみに最寄り駅は京阪電車の「香里園駅」で、徒歩約5分くらい。



ふらりと探して訪れるのには駅チカ神社で有難かったり。 (^^;)









友呂岐神社3
そして無事に到着♪


では改めまして石の鳥居前で一礼し、潜入をば~。 ~(  ̄人 ̄)




それにしても、日本全国には一体どれくらいの神社お寺
存在するんでしょうかね。


いつもこうして不意な出先でも、近くにはず社寺があるので、
疑問に思ったりで。 (^^;)



いや、馴染みの無い土地であっても思わぬ歴史の勉強になったり、
でも何より、神様仏様方と一期一会的に御縁が結ばれるのが

りがたい限りだな~と。 (^^;)





そんな事を言っていると・・・、









友呂岐神社4
目の前には結構ハードそうな階段が! (@_@;)


う~ん、一先ずは集中してこの階段に掛かりましょう。 (^^;)





当社は康正二年(1456)、後土御門(ごつちみかど)天皇
北ノ小路新邸をこの地に造営し、南に鎮護神として八幡宮を祀り、
北に南無阿彌堂の伽藍を建設せられたと古書にある。

その後、畠山義就(はたけやま よしひろ)と畠山政長
(まさなが)はこの地で戦い、兵火の為に社殿は焼失したが、
この八幡宮が当社の始めである。

(以下、由緒書きより抜粋。)






戦国時代の武将であった畠山義就と政長は従弟の関係にあたり、
家督争いが高じて応仁の乱へと発展して行ったんですね。



その様な2人がかつてこの地でったとは、いきなり歴史深い
お社かな・・・。 ( ̄人 ̄)









友呂岐神社5
階段を上ると中腹ほどに、これまた福々しい布袋様の像が。


となりの手水舎でお清めしてからお参りを。 (^^;)





天正五年(1577)8月、この地の人々は社殿を再建し氏神として
崇拝し、近隣の人々は祈願所として諸々の願い事をし参詣して
いたという。

明治43年、元の若山神社(三井神社)・二本松神社(田井神社)・
太間神社が八幡神社に合併し、この地の地名をとって友呂岐
神社と改称し現在に至っている。





なるほど、しい社名と思っていたら、地名が由来でしたか。









友呂岐神社6
階段を上り切って、やっと境内へ。  ~~ (;´д`)


またまた日頃の運動不足を痛感したり。 (^^;)





元の若山神社は延喜元年(901)、菅公が左遷のとき、此の地を
通過の折、三井本法寺(本巌寺)に宿舎して寺僧と親交厚く、菅公が
筑紫で薨去し給いしを知り、この地の人と議り壮観なる社殿を造営
して若山に祀り氏神とした。





学問の神様として有名な菅原道真(すがわらのみちざね)公
とも縁深いんですね。


御本殿に祀られている様なので、後でお参りさせて頂きましょう。 (^^)









友呂岐神社7
木々がかで落ち着いた雰囲気の境内ですね~。


でも閉門の時間が迫っているので、気持ち的にはち着かない
感じなんですが。 (^^;)





建武年中に後醍醐天皇が吉野よりこの地に駕籠給う時、
宿舎を本法寺に定め、菅公の社殿に御参詣になり、萬壽殿の
三字の勅額を賜ったと伝えられる。









友呂岐神社8
又二本松神社は菅公左遷の時この地を通過の折、植の松が
記念となり、樹下に一社を建て菅公の霊を祀って氏神とした。


そして元の太間神社は創建年代不詳。仁徳天皇の十一年(383)、
寝屋川市の淀川左岸・太間地区の茨田堤(まんだのつつみ)
構築に貢献した故事により、「茨田連衫子」(まんだむらじころもこ)
を当地に昔から小社を建てて祀っていたという。









友呂岐神社9
それではいよいよ御本殿へ。   ~~(  ̄人 ̄)



ちなみに御本殿は寛永年間に改築され、元禄初年に修築、
後に昭和49年に改築されているそうな。


現在も尚彩色が残っているのはまた印象的です。









友呂岐神社10


御祭神


・誉田別尊(ほんだわけのみこと:八幡様)

・菅原大神(すがわらおおかみ:菅原道真公)

・茨田連袗子(まんだむらじころもこ)




それではお賽銭をすべり込ませ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。



手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)









友呂岐神社16
地元の方々でしょうか、サッとお参りして行かれる方がい。



地域の方たちからの崇敬のさが伺えます。









友呂岐神社11
おや、フト御本殿の右どなりを見ると、これは舞殿でしょうか。



でも舞殿と言えば、御本殿のにあるのが一般的なので、少々
不思議なりの建造物だな~と。 (^^;)









友呂岐神社12
説明書きを見てみると、どうやらこれは大阪府の議員さんから
寄贈された能舞台である模様。 (゚д゚)



こちらで実際に能の奉納が行われるんでしょうかね。



いずれにしても、この様な形で御本殿の隣に能舞台が併設
されている造りはめて拝見したり。  ( ̄人 ̄)






そんな事を言いつつもスキを狙って・・・、









友呂岐神社14
また殿内を撮ってしまいました。



もうしわけありません。 (^^;)




閉門のお時間がっていても、お約束はれずに。 (^^;)









友呂岐神社15
摂社へのお参りもれずに。 (^^;)




成願稲荷社(じょうがんいなりしゃ)


御祭神

・倉稲魂神(うかのみたまのかみ)




五穀豊穣・商売繁盛の神様であるお稲荷様に、謹んで
お参りを・・・。 ( ̄人 ̄)









友呂岐神社18
さて、もう閉門近い5時前なので、おいとましましょう。



終始ち着かない感じでしたが、

でも最後に御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)









友呂岐神社19
社務所はずっと開いていたので、そこは安心だったり。 (^^;)



時間も押していたので、今回はあまりお話を聞くことは出来ません
でしたが・・・、









友呂岐神社21
それにしても今の時代、神社の運営は大変しいそうな。



宮司さんも、近くで無人になった神社の兼務をされていたりと、

しするに余り有り・・・。 ( ̄人 ̄;)



近年、神社における後継者不足が問題になっているんですね。


運営資金的な問題も相まって、他の神社でもよく聞くお話なので、

事態は何気に深刻なのかも知れません・・・。









友呂岐神社22
お話もほどほどに、こちらが頂けました御朱印



社名の「友呂岐神社」と書いて頂けました。



充分に御礼を申し上げて、ありがとうございました~。 m(_ _)m









友呂岐神社23
帰りの階段はっくり下って行きましょう。



このタイミングで下まで転げ落ちたら大惨事です。 (^^;)









友呂岐神社24
さてさて、そんなこんなで、大阪府・寝屋川市は友呂岐神社
(ともろぎじんじゃ)。


ふらりと訪れた神社ながら、皇室に創始があり、歴史上の人物
とも関わり深いお社でいお参りをさせて頂きました。 ( ̄人 ̄)



でも閉門近くに訪れたので、あまりゆっくり出来なかったのは
残りだったり。 (^^;)



あと、宮司さんが兼務されている無人のお社は、近くの菅原神社
といって、御朱印はこちら友呂岐神社で頂けるそうな。


機会があれば是非訪れてみたいですね~。



その際は御朱印を頂くのを兼ねて、今度はっくりとお参りすべく

また友呂岐神社に再訪したいと思います・・・。 (^^;)






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8/27(日)。 大阪市・浪速区は葵稲荷神社(あおいいなりじんじゃ)
へ行って参りました。







葵稲荷神社1
本日はチョト御用がありまして、なんば周辺に来たんですが、


訪れる機会が少ないので、また1ヵ所位はっておこうかな~と。 (^^;)









葵稲荷神社2
ここは今、どの辺りですか~?   ~ (´д`;) ~ (;´д`)



あまり訪れない場所なので、道に迷って彷徨っていたり。 (^^;)



それに巡るといっても、このミナミのど真ん中に社寺があるか
どうかも疑わしいんですが。 (^^;)





そんな事を言っていると・・・、









葵稲荷神社3
目の前に、葵稲荷と掲げられた一角を発見。 (゚д゚)



一見すると神社の様にも見えますが、でもお社という雰囲気は無く、

う~ん、一体なんでしょうか。









葵稲荷神社4
ここで正面から1枚、パチリ♪



南海なんば駅の高架下から、架線近くまでそびえ立つ塗りの櫓。


辺りの都会的な雰囲気に反して、この一角だけ結構な違和感
覚えたり。 (^^;)



でもでも、その麓にはちゃんと神額が掲げられた鳥居があるので、
やはりこちらは神社である模様。









葵稲荷神社5
おや、鳥居の右となりには、鳥獣戯画的なの銅像が。 (゚д゚)


これまたなオブジェ。 (^^;)



その後ろには神社の御由緒を記す駒札があるので、ちょっと
拝見してみましょう。









「なんばのかえる」
葵稲荷神社6

神社の起源や由来を記した由緒書きではなく、の像についての
説明だった様ですが・・・、



良く読んでも、今一つ意味不明。 (^^;)   ←(表現)









葵稲荷神社7
正一位(しょういちい)・葵稲荷大神」と、神階に御祭神
が記されたのぼり旗が掲げられているので、


こちらはお稲荷さんである事は間違いない様です。









葵稲荷神社8
前置きがくなりましたが、ひとまずは神域内へお邪魔してみましょう。



それでは鳥居前で一礼してから、潜入~。 ~~(  ̄人 ̄)









葵稲荷神社9
おお、これまた朱塗りの連鳥居が印象的ですね~。



稲荷神社特有の、異世界へ通ずるかの様な参道がまた幻想的。









葵稲荷神社10
それにしても、なんば駅の高架下にこの様な空間があったとは、
初めて知りました。




ちなみにいつもなら、神社の由緒をみながら進んで行くんですが、
辺りに社務所も見当たらず、創建等については全く不明なので、


こうしてブツブツときながら進んでいるワケであります。 (^^;)









葵稲荷神社11
そうこうしている内に、御本殿らしきお社が見えてきました。


さっそくお参りさせて頂きましょう。 (^^;)









葵稲荷神社12
めまして、御本殿前の鳥居で一礼し、ずずいと前へ・・・。



お邪魔します~。 ~(  ̄人 ̄)









葵稲荷神社13

御祭神



・宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)





それではお賽銭をすべり込ませ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。



手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)






神社の詳細については不明ですが、お稲荷様なので、

御祭神は「宇迦之御魂大神」で違いは無いかな~と。 (^^;)









葵稲荷神社14
それにしても、さすがに場所柄、かなお参りとはいきません。



大型複合施設・なんばパークス内に御鎮座されているので、
外は人通りが多く、

やかなのは致し方ありませんか。 (^^;)









葵稲荷神社15
それにこの日はちょうど、「星空スタンド」と題した、お酒
沿線ブランドを楽しむ

食イベントが行われていたんですね。


神域の外はこれまた大変なわい。 (^^;)









葵稲荷神社16
ちなみに先ほどから境内に流れ込んで来ていた、お肉を焼く
良い匂いと、

凄まじいの出所はコチラでしたか。 (^^;)






そんな事を言いつつもスキを狙って・・・、









葵稲荷神社17
御本殿を覗き込む様に撮ってしまいました。



もうしわけありません。 (^^;)









葵稲荷神社21
いつものお約束もほどほどにして、一応は神社の創建に
ついても調べておきたい所。 (^^;)



御鎮座地であるなんばパークスにお聞きすると、何か
分かるかもしれません。

ちょっとインフォメーションにお電話を掛けてみましょうか。




「あの、モシモシ・・・。」 ( ゚д゚)    ←(ホントに掛けるヒト)




いや、手持ちのスマホからお問い合わせしてみた所、
創建についてしい事は把握していないが、

祀られている神様は伏見稲荷大社から迎えられた
神社という事は確かだそうな。


おお、やはり伏見稲荷さんから分祀(ぶんし)されたお社でしたか。



有力な情報をありがとうございます~。 ( ̄人 ̄)





そんなワケで続けざまに・・・、









葵稲荷神社19
伏見稲荷大社にもお電話を掛けてみましょうか。 (^^;)


いや、稲荷社の総本宮である伏見稲荷大社にお聞きすると、
更に何か分かるかな~と思いまして。 (^^;)




「あの、モシモシ・・・。」 ( ゚д゚)    ←(その2)




お答えとしては、残念ながらこちらでは分祀に関する管理・把握は
全くされていないとの事。


でもこれはかに。 日本全国に分祀された稲荷社は無数に存在
するので、当然の事かも知れません。




あと、お電話の最後に頂いた情報なんですが、御祭神の分祀はなんと
個人でも可能との事。 (゚д゚)



つまり、おウチに本物の稲荷神社を創建出来るという事! (*゚д゚*)



いや、お迎えに掛かる初穂料や、その後の祭祀・運営に関する問題は
色々とありますが、

でもでも、その様な事が個人でも可能なんですね。



このタイミングで予想外に勉強になりました。 (^^;)









葵稲荷神社20
さて、南海なんば駅の高架にも掛かった御鎮座地でもあったので、

なんば駅にもお電話を掛けてみましょうか。 (^^;)




「あの、モシモシ・・・。」 ( ゚д゚)    ←(その3)




お答えによると、こちらでも詳しい事は把握していないが、さきほどの
なんばパークスの竣工と同じタイミングで創建されたとか。

なので、一度「なんばパークス」にお電話されてみては?との事。



う~ん、このタイミングで最初の「なんばパークス」にループ
するとは。 (^^;)









葵稲荷神社23
これ以上あちこちにお電話するのはご迷惑なので、本日は
もうこの位にしておいとましましょう。 (^^;)




鳥居前で一礼して、ありがとうございました~。 m(_ _)m








葵稲荷神社24
さてさて、そんなこんなで、大阪市・浪速区は葵稲荷神社
(あおいいなりじんじゃ)。


大阪ミナミのど真ん中にフト現れたお稲荷様で、辺りは賑やか
ながら良いお参りをさせて頂きました。 ( ̄人 ̄)



それにしても、このモダンな商業施設とは対照的な塗りの建造物に、
道行く人は何気に無関心なんですね。 (^^;)



ちなみに今回は、お電話を掛けただけで由緒等はしっかり調べられず、
どちらが管理されているか等も不明で、何かとが残って残念。 (;´д`)



また色々と調べて、何か分かれば追記したいと思います・・・。 (^^;)






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7/1(土)。 大阪府・茨木市は新屋坐天照御魂神社
(にいやにいますあまてるみたまじんじゃ)へ行って参りました。







新屋坐天照御魂神社1
本日はチョト御用がありましてこちら周辺まで来たんですが、

せっかくなのでまた1ヵ所位はっておこうかなと。 (^^;)



さて、この近くに神社がある様なんですが・・・、









新屋坐天照御魂神社2
辺りはこれまたのどかな田園風景。 (^^;)



茨木駅周辺はとても賑やかでしたが、少し離れるとこんなにも
自然豊かなんですね。









新屋坐天照御魂神社3
おや、すぐ近くに神社の社号標があったとは。



の前にありながら全然気付かなかった。 (^^;)



ちなみにこの先の山頂に御鎮座されている様ですが、それにしても
大変~い社名が印象的。 (^^;)









新屋坐天照御魂神社4
先へと進み、中腹まで登ってフト振り向くと、この一帯は
囲まれたような地形になっているんですね。



向かい側の山では何か開発が進んでいるのでしょうか。


大きく山の地肌が見えているのが気になります。









新屋坐天照御魂神社5
そうこうしている内に、神域へ到着♪


それでは石の鳥居前で一礼し、潜入をば~。 ~(  ̄人 ̄)




ちなみに本日、神社に訪れた目的は、茅の輪(ちのわ)
くぐりなんですよね。 (^^;)



この時期、各神社では夏越祓(なごしのはらえ)といいまして、

6月の後半に、日々の罪・汚れをい清め、暑い夏を無事に過ごし、
残る半年の無病息災を祈願する神事が行われるんです。









四条畷神社6
昨年は、→社寺巡り 大阪府・四條畷市 「四條畷神社」(しじょう
なわてじんじゃ) 茅の輪くぐり 2016/07/18
に訪れたんですが、


最近では「茅の輪」が設置されているか下調べもせず、ふらり
出先の神社に訪れる傾向にあったり。 (^^;)









新屋坐天照御魂神社6
いや、この時期、大体の神社であれば「茅の輪」は設置されて
いるだろうと、そんなタカをくくりながら


この急勾配な階段を上っていくワケであります。 (^^;)





それにしても梅雨真っ只中の関西地方、

今日の様な晴れの日でも、大変なし暑さですね~。 ~(;´д`)









新屋坐天照御魂神社7
そんな中、フト階段の脇に目をやると、灯籠周辺が鮮やかな緑に
むして、何気にし気。 (^^)




さて、階段もあと数段で境内に到着ですが・・・、









新屋坐天照御魂神社8
茅の輪、無い~。  (;´д`)ノ     ←(ご愁傷様です)




いやこの時期、大体どちらの神社も御本殿の前に茅の輪を
設置されているんですが、


階段を上り切った瞬間、こちらのお社にはいという事を
りました。 (^^;)









新屋坐天照御魂神社9
まあ、数く巡っていると、こういう事もあります。

気持ちをれ替えて、境内の散策を。 (^^;)





当社は第十代崇神(すじん)天皇の御宇に創建され、物部氏
(もののべし)の祖である伊香色雄命により勅使された市内最古
の神社である。

以後、歴代朝廷の御崇敬深く、特に神功(じんぐう)皇后は
当社の御分霊を上河原と西河原に奉遷し、厚く新屋社を尊崇された。

(以下、由緒書きより抜粋。)






崇神天皇は、初代・神武天皇から数えて10代目の天皇で、実在
確かな最初の天皇と言われているんですね。

その御代に創建されたとは、つまり2100年以上の歴史! (゚д゚)









新屋坐天照御魂神社10
あまりの歴史深さにきつつも、まずは手水舎でお清めを。 (^^;)





第六十代醍醐天皇の延長五年(927)、延喜式内名神(みょうじん)
大社に列せられ、神位は正四位の下を授けられ、

島下群(しましもぐん)の総社に位置付けられたが、鎌倉時代
以後、社領の没収などにより社頭は衰微した。









新屋坐天照御魂神社11
しかし桃山時代になり、天正年間、茨木城主・中川清秀公は
厚く当社を崇敬し、九州竹田の城主になってからも、明治時代まで
事ある毎に寄進し、崇敬の誠を尽くされた。





中川 清秀(きよひで)公とは、戦国時代から安土桃山時代にかけての
武将で、何かと織田信長との関わりも深かったんですね。


正にこちらの神社近くのご出身で、崇敬厚い氏子さんだったとは、
何気に納得・・・。 ( ̄人 ̄)









新屋坐天照御魂神社25
その後、明治五年郷社に列せられ、終戦直後には一時衰微した
ものの、昭和二十九年・宗教法人法の神社として復興し、千数百戸
の氏神として現在に至る。





さて、それでは御本殿へお参りを・・・。   ~~(  ̄人 ̄)









新屋坐天照御魂神社12
う~ん、「夏越祓」(なごしのはらえ)の時期なので、御本殿前に
茅の輪(ちのわ)があるのを期待していましたが、


改めて残念な限り。 (^^;)









新屋坐天照御魂神社13
おっと、御本殿はもう一つ奥のこちらでした。

先ほどの建物は拝殿。 (^^;)




御祭神



主祭神
・天照御魂大神(あまてるみたまのおおかみ)

亦の名
・天照国照彦天火明大神(あまてるくにてるひこあめの
 ほあかりのおおかみ)
・饒速日大神(にぎはやひのおおかみ)




相殿神
・天照皇御魂大神(あまてらすすめみたまのおおかみ)
・天饒石国饒石天津彦火瓊々杵大神(あまにぎしくににぎし
 あまつひこほのににぎのおおかみ)





それではお賽銭をすべり込ませ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。


社名同様、神様方のお名前も、読み方が大変しいんですね。



少々混乱気味ながらも、心をめてお参りを・・・。 (; ̄人 ̄)









新屋坐天照御魂神社14
おや、こうして改めて一歩がって拝見すると、御本殿をぐるりと

城壁が取り囲む様な造りになっているんですね。



これは何気にしいかも。 (゚д゚)


いやホント、これまで巡って来た神社の中でも、あまりた事の
ない様式だったり。






そんな事を言いつつもスキを狙って・・・、









新屋坐天照御魂神社15
また殿内を撮ってしまいました。



もうしわけありません。 (^^;)



本日は珍しく、シンプルな流れからのお約束。 (^^;)









新屋坐天照御魂神社16
さて、摂・末社へもお参りを。 (^^;)




御本殿右手へ「出雲社」、そして池に御鎮座される「石神」と

まずは順にって行きます。   ~~(  ̄人 ̄)









新屋坐天照御魂神社17
これまた鮮やかな色の連鳥居が印象的。


伏見大社の奥社から勧請された「丸山稲荷」が祀られて
いるそうな。 ( ̄人 ̄)




続けて「六社神社」、「道祖神」(さえのかみ)のお社と、
順にお参りを・・・。   









新屋坐天照御魂神社18
一方、御本殿の左方向には「須賀神社」、「天満宮」と、実に
十二社もの摂・末社が祀られているんですね。



加えて、「出雲大社」、「太神宮」、「住吉大社」、「神武天皇」、
「歴代天皇・今上天皇」の遙拝所も設けられており、


なかなかにお参りのし甲斐があります・・・。 ( ̄人 ̄ )~~









新屋坐天照御魂神社26
さて、だいぶ日もいて来たので、そろそろおいとましましょうか。



お目当てだった茅の輪が設置されてなかったので、せめて

社務所で御朱印を頂いてから。 (^^;)









新屋坐天照御魂神社19
でも残念ながら無人の模様。


窓口に、留守にしている旨の貼り紙があったので・・・。 (;´д`)


う~ん、アテが外れる時ってくんですよね。 (^^;)




しかしながら案内文をよく見ると、御用の際の連絡先が記されて
あったので、


軽い気持ちでスマホからお電話してみると・・・、









新屋坐天照御魂神社27
わざわざで駆け付けて頂けるとは、恐縮すぎます。 (^^;)



いやホント、御朱印の為だけに来て頂いて、申し訳ない限り。









新屋坐天照御魂神社20
モノはついでにと、色々とおも。 (^^;)  ←(それもどうかと)



御祭神の天照御魂大神(あまてるみたまのおおかみ)について
お聞きした所、

一般的に知られている天照大神(あまてらすおおみかみ)とは
の神様だそうな。



いや、きが似ていながらも、何か違うな~と思ったもので。 (^^;)



「天照御魂大神」は、初代・神武天皇に政権を献上した出雲系統の
神様で、一方の「天照大神」は伊勢系統の神様であり、

互いに対峙する様な相関関係にあるとか。



なるほど、歴史的にはこちらの御祭神・「天照御魂大神」の方が
いワケですか。 ( ̄人 ̄)



いやホント、少しの疑問からでも、お聞きする事で色々と勉強
なります。 (^^;)









新屋坐天照御魂神社14
気になった御本殿のりについてもご質問を。 (^^;)



かつて天正年間、この近くには福井城というお城があったそうな。


しかし大永七年(1527)、細川家の内紛であった大永の乱で
福井城の落城と共に、こちらのお社も灰燼に帰したとか・・・。


その後、崇敬高い氏子であった中川清秀公が社殿の再建に
着手するも、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いにて戦死したので、


奥方であった性寿院(せいじゅいん)が清秀公の遺志を継いで、
一年後に社殿を再建まで導いたとか。



なるほど、改めてこうして城壁の様な造りを拝見すると、かつての
福井城をイメージして再建されたという事なんですね。 ( ̄人 ̄)









新屋坐天照御魂神社21
御本殿の屋根を見ると、鰹木(かつおぎ)の下に中川家の家紋である
中川柏(なかがわかしわ)が見られますよ。



清秀公が寄進された証として、こうして今でも掲げられているとは、

これまた往時がばれます・・・。









新屋坐天照御魂神社22
あと最後に、茅の輪についてもお聞きを。 (^^;)



こちらでは夏越祓(なごしのはらえ)に合わせて茅の輪は

設置せず、特に行事も行われないとの事。 (゚д゚)



でもその分旧暦に沿って、毎年8月16日の献灯祭(夏祭)に
合わせて茅の輪を設置して、厄払いが行われるそうな。



創建深いお社なので、歴史をんじておられるんですね~。


お聞きして妙に納得。 (^^;)









新屋坐天照御魂神社23
そうこうしている内に、こちらが頂けました御朱印


社名の「新屋坐天照御魂神社」と書いて頂けました。


ちなみに古代の茨木市の地名を新屋(にいや)と呼んだそうな。



その「新屋」に御鎮座され、「天照御魂大神」が祀られている神社、
という説明がそのまま社名になっているお話に、


またまた納得。 (^^;)     ←(今ごろ)



十六弁八重菊(じゅうろくべんやえぎく)の社紋もまた印象的。



充分に御礼を申し上げて、ありがとうございました~。 m(_ _)m









新屋坐天照御魂神社24
さてさて、そんなこんなで、大阪府・茨木市は新屋坐天照
御魂神社
(にいやにいますあまてるみたまじんじゃ)。


今年で創建から2106年という、大変長い歴史を刻むお社で、
とても静かな良いお参りをさせて頂きました。 (^^)



ふらりと訪れた神社ながら、宮司さんがわざわざお車で駆け付けて
頂いて御朱印を頂けて、

色々と貴重なお話も1時間近く頂けるしで大満足。 (^^;)



でも自然豊かで歴史深いこの周辺も、最近は開発が進んで
ずい分とが切り開かれているそうな。


その悪い波がこちらのお社にばない様、願う限りです・・・。




あと心残りと言えば、本来のお目当てである夏越祓(なごしの
はらえ)が出来なかった事ですかね~。


でもでも、それ以上に何か大きなパワーを頂けたような
気がして安心を覚えたり。 ( ̄人 ̄)




形式的な茅の輪(ちのわ)くぐりは、また後日めて、

どちらかの神社で・・・。 (^^;)






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