7/3(日)。 大阪府・四條畷市は四條畷神社(しじょうなわて
じんじゃ)へ行って参りました。







四条畷神社1
本日はチョト御用がありましてこちら周辺まで来たんですが、

それにしても四條畷市とは、これまた滅多に訪れる機会のない
所ですね~。



よって毎度、駅の周辺地図から探して1ヵ所位はっておこうかなと。 (^^;)



というワケで、まずはJR・四条畷(しじょうなわて)駅をスタート。


おや、よく見ると、四條畷市のと違って、駅名はの表記に
なるんですね。


加えてこちらの駅、四條畷市ではなく、隣接する大東市に所在して
いるというから、実にやこしい。 (^^;)









四条畷神社2
そう言いつつも、駅から東方向へ、徒歩5分ほどで大きな石の鳥居
が見えてきました。


お社はもう少し先のようですが、けっこう手に御鎮座されている模様。



お天気も良いので、散策を兼ねて向かいましょう。 (^^)









四条畷神社3
けっこうなが続くんですね~。   ~~(;´д`)



神域に到着した頃には汗だくに。 (^^;)


梅雨もまだ明けていないのに、軽く30℃をえる気温と強い差し。



う~ん、社寺巡りには早くもしい季節になって参りました。 (^^;)









四条畷神社4
続いてこの階段!! (@_@;)


いや、徒歩15分ほどの駅チカな神社と思っていたら、こんなにしい
道のりだったとは。 (^^;)



駅の案内地図ではさすがに高低差までは読めません。 (^^;)









四条畷神社5
い~、渇いた~。  ~~(;´д`) ノ


境内に到着したころには、息もえ絶え。 (^^;)



こんなタイミングで日頃の動不足を痛感するとは。 (^^;)





そんな中、フトうしろを振り向くと・・・、









四条畷神社6
オッホー、茅の輪(ちのわ)、ある~。 w(*゚∇゚*)w



いや、本日神社に訪れた真の目的は、茅の輪くぐりだったんですよね。



この時期、各神社では夏越祓(なごしのはらえ)といいまして、

6月の後半に、日々の罪・汚れを祓い清め、暑い夏を無事に過ごし、
残る半年の無病息災を祈願する神事が行われるんです。



毎年のように当ブログでも、各地の神社に訪れて茅の輪をくぐり、
めて頂いているんですが・・・、


特に調べもせずふらりと訪れたものの、こうして茅の輪があって、

ひとまずはかった~。 (^^;)









四条畷神社7
おや、こちら絵馬殿下が休憩スペースになっているんですね。


一安心なので、持参した麦茶で水分補給を。 (^^)   ←(いきなり休憩)





当社は鎌倉末期、皇位の継承が、公卿・幕府の思惑が絡んでもつれた時、
不利を覚悟で一身を投げ打って飽くまで正統の天皇を守り、

楠正成(くすのきまさしげ)公:[大楠公・だいなんこう]の嫡男(ちゃくなん)
で、父にも劣らぬ忠孝両全、情厚く、智勇に優れた
正行(まさつら)公:[小楠公・しょうなんこう]を主神に、弟・正時(まさとき)
以下24柱を配祀する。

(以下、由緒書きより抜粋。)





なるほど、楠正成公の長男である正行公が祀られているんですね。



父の正成公は大楠公(だいなんこう)と尊称され、そして息子の正行は
小楠公(しょうなんこう)と、

しみを込めてそう呼ばれていたワケですか。









四条畷神社8
さて、い腰を上げて、こちら手水舎でお清めを。  (^^;)





延元元年(1336)、正成公、死を覚悟の兵庫・湊川出陣に当たり、御年
十一歳の正行公は桜井駅(現・三島郡島本町)にて訣別されたが、

「父の死後は足利氏の天下になるだろうが、どこまでも正統の天皇
をお守りせよ。それが父への孝行になるのだ。」と諭して出陣された。





この湊川の戦いで父の正成は戦死したんですね。

その後、足利尊氏から父のが送られて来たそうな。



あまりに惨いエピソードに、思わず合掌・・・。 ( ̄人 ̄;)









四条畷神社9
境内の一角には楠公の慰霊塔、そしてその後ろには、ひと際大きな
(くすのき)が祀られているのも印象的です。





成長した正行は次第に力を蓄え、足利方をかすようになり、正平三年
(1348)、足利尊氏は腹心の高師直(こうの もろなお)に八万の兵
を授けて向かわせ、

楠木軍と四條畷に対峙した。









四条畷神社10
牧岡の往生院(おうじょういん)に本陣を置いた正行公は先陣を打ち破り、
高師直に迫ったものの替玉に欺かれて取り逃し、

ついに多勢に無勢、後方との連絡も絶たれ、哀れ23歳を一期として
深野池(ふこのいけ)の東北、葦の繁れる所にて弟・正時公と刺し違えて
自決された。





なるほど、これが史実に残る「四條畷の戦い」で、まさにこの地が
決戦の舞台になったワケなんですね。









四条畷神社27
足利方が八万の大軍に対して、楠木方は僅か三千の兵だったとか。



それにしても、まじい矢の数。


幕末の浮世絵師・歌川国芳(うたがわくによし)もこうして決戦の絵を
残していますが、まさに戦場はこの様な状況だったのでしょう。



この飛来する矢の中でも、果敢に敵陣へとち向かう楠木軍の描写は
あまりにリアルで、


思わず身がえたり・・・。  ( ̄人 ̄;)









四条畷神社28
なんだか~い気持ちになりましたが、



を取り直して御本殿へお参りに向かいましょう。 (^^;)









四条畷神社11
おっと、その前に、こちらで茅の輪くぐりをしてから。 (^^;)


いや、本日神社に訪れたのは、これが所期の目的なので。 (^^;)




それにしても、この時期はさすがに参拝者が多いですね。


順序良く列にんで待ちましょう。 









四条畷神社12
そして待つ事しばし、ワタクシの番に。



案内看板によると、大祓式自体は6月30日に終了しているんですね。


でもでも、茅の輪をくぐること自体にお祓いの意味があるので、
謹んでくぐらせて頂きましょう。 ( ̄人 ̄)









上新田天神社30
それではしい作法に従いまして、唱え詞を奏上しながら。



え給え、め給え・・・、  ( ̄人 ̄ )~~


り給え、え給え・・・。   ~~(  ̄人 ̄)



ブツブツと呟きながら、へと、くぐって行きます。









四条畷神社13
やや目がりながらも、無事に祓い清められました・・・。 ( ̄人 ̄)



いやホント、このさもあるので、速いペースでくぐって回ると
頭がクラクラ来ます。 (^^;)



の輪の方も暑さのせいか、少々くたびれ気味だったり。 (^^;)


大祓式から少しにちが経っているので、致し方ありませんか。 (^^;)



でもでも、強い生命力の象徴である(ちがや)。



少々さがなくなっても、霊力は失われていません。









四条畷神社14
そう己納得しながらも、いよいよ御本殿前へ。 (^^;)



ちょうど人がなくなった頃合いなので、ゆっくりお参りできそうです。









四条畷神社15

御祭神



・楠木正行卿(くすのき まさつらきょう)
・楠木正時卿(くすのき まさとききょう)
・和田賢秀卿(にぎたけんしゅうきょう)

・殉節将士 二十四柱




それではお賽銭をすべり込ませ、は無いのでそのまま
二礼二拍手一礼。



手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)





こうしての通る社殿で静かにお参りしている内に、

やっと汗がいて来た。 (^^;)









四条畷神社16
おや、御本殿のすぐ左どなりには御妣神社(みおやじんじゃ)が
繋がるように御鎮座されているんですね。


主祭神である正行(まさつら)公の御母堂(ごぼどう)が祀られて
います。 ( ̄人 ̄)






まだ人が少ないので、このタイミングでスキを狙って・・・、









四条畷神社17
また御本殿を撮ってしまいました。  (^^;)



しかも御本殿と御妣神社をわせて。 (^^;)   ←(コラコラ)





そんなお約束を入れつつも、境内を拝見して行きましょう。 (^^;)









四条畷神社18
境内の一角には、忠孝両全(ちゅうこうりょうぜん)と銘が刻まれた
石像が祀られています。



これは沿革にもあったように、

父の楠正成公が湊川出陣前、十一歳の正行公に対して諭している場面で、
それがこうして桜井の別れとして表現されているんですね。



ちなみに「忠孝両全」とは、君主への忠義と両親への孝行のどちらも
たす事、という意味だそうな。 ( ̄人 ̄)









四条畷神社19
フト境内の外を見ると、おお、けっこうの上まで上って来ていたんですね。


四條畷の市街が一望できます。 (^^)



大型商業施設のイオンモールも見られ、活気の溢れる街なんですね~。




かつては「四條畷の戦い」で決戦の舞台になったこの地。


でも当時の面影は全く感じられず、代りにただ長いの流れを感じたりで・・・、








四条畷神社21
歴史回想もほどほどに、末社にもお参りを。 (^^;)



右手から、「源有招魂社」、「楠天神社」と順に巡って行きます。









四条畷神社22
さて、そろそろおいとましましょう。



更に気温ががって、どえらい暑さです。 (;´д`)









四条畷神社23
暑い中でも、こちら社務所で御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)




ちなみに何となく、夏越の祓の期間中なのでお忙しい様子。



さすがに色々とお話をお聞きするのはご遠慮しておきましょう。 (^^;)









四条畷神社24
フト受付を見上げると、なにわ七幸めぐりなる巡礼もあるんですね~。


なるほど、こちら四條畷神社はの幸札所になっている模様。





ちなみに過去にワタクシが巡ったお社を検索してみると・・・、



一の幸→社寺巡り 「大阪天満宮」(おおさかてんまんぐう) 「初天神梅花祭」 
  2010/01/28


二の幸→社寺巡り 大阪府・平野区 「大念佛寺」(だいねんぶつじ) 
  2012/09/20


五の幸→社寺めぐり 大阪 「お初天神」・「太融寺」 2009/02/22



長い年月を掛けてらず内に、該当するお社を3ヵ所も巡っていたとは。 (゚д゚)



もっとく知っていれば色紙を持って巡っていたのに、残念。 (^^;)









四条畷神社25
そうこうしている内に、こちらが頂けました御朱印。  (^^;)



社名の「四條畷神社」と書いて頂けました。




充分に御礼を申し上げて、ありがとうございました~。 m(_ _)m









四条畷神社26
さてさて、そんなこんなで、大阪府・四條畷市は「四條畷神社」
(しじょうなわてじんじゃ)。


山裾の高台に御鎮座される神社で、良いお参りをさせて頂きました。 ( ̄人 ̄)



ふらりと訪れたお社でしたが、父の意志を受け継いで足利軍と戦った
正行(まさつら)公のエピソードは、強く印象に残ったり・・・。




あと、茅の輪くぐりでは半年の穢れを清めて頂けて、一安心。 (^^;)


ちなみにリアルタイムでは、やっと近畿地方も梅雨がけたそうな。


ひとまずはこれからの暑いを越して、残る半年も無病息災で過ごせる様、
気を付けたいと思います。 (^^)






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4/18(月)。 大阪府・豊中市は原田神社(はらだじんじゃ)へ
行って参りました。



色々と更新したい記事がありながらも、まずは溜まった分から順番
更新をば。 (^^;)







原田神社1
そう言いつつも、この日はチョト御用がありまして、阪急・岡町(おかまち)
駅周辺に来たんですが、

これまた滅多にれる機会のない所ですね~。



そんなワケで毎度、1ヵ所位はっておこうかなと。 (^^;)









原田神社2
駅の周辺案内地図で探すと、近くに神社があるようなので
お伺いする事に。


こちら岡町商店街のアーケードを通っていくと近い模様。



散策を兼ねて、通り抜けさせて頂きましょう。 (^^;)









原田神社3
おお、こうして拝見すると、とても行きがあってくのお店が
軒を連ねる商店街なんですね。


昭和の雰囲気が残っていて、どこかかしさも感じたり。 (^^;)



そんな独り言を言いながら進んでいくと・・・、









原田神社4
なんと、アーケードの中に突然、きな石鳥居が。 (@_@;)


これはなるほど、こちらの商店街、今向かっている原田神社の
参道として古くから栄えた場所だからなんですね。



それにしても、アーケードの中に突然神社が現れるとは、き。 (^^;)









原田神社5
めまして、大きな石の鳥居を前に1枚、パチリ♪



何はともあれ、気持ちを整えましてから、潜入~。  ~(  ̄人 ̄)









原田神社6
緑豊かな木々の下を進んで行きます。





原田神社の創建については詳らかではないが、社記によれば古くは祇園
神祠(ぎおんしんし)と称した。

白鳳十二年(684)に天武天皇が勅祭をもって神宝・神鏡並びに獅子頭を
納められた事、また同じ御代に悪疫が流行した際、「妖邪退除」(病を起こす
邪気を祓いのける)の詔勅を下されて、当社に祈願された事が記されている。

(以下、由緒書きより抜粋。)









原田神社7
続いてこちら手水舎でお清めを。





以来、皇族・武家の崇敬が厚く、時代が下るに連れて社頭も壮大を極め、
最盛期には東は吹田市榎坂(えさか)から、西は尼崎市富松までの72ヶ村
に渡り、産土神(氏神)として氏子の尊崇を集め、西牧大社と称した。





これほど多くの村々の氏神だったとは、当時は相当な規模のお社だった
事がでしょう。 ( ̄人 ̄)









原田神社8
それにしても、本日はあいにくのお天気なんですよね~。

でもたまにはこうしての中、しっとりとお参りするのも趣があります。 (^^)





降って足利時代には、足利義澄・義晴・義輝の三公が深く信仰
して神領地を寄進し、当時の社頭は壮大善美を極めたが、

天正六年(1578)に荒木摂津守(せっつのかみ)村重の兵火にあって全焼
した。 現在の社殿は慶安五年(1652)になって再建された。









原田神社9
賑やかな商店街と隣接しているとは思えないほど、神域はか。

落ち着いてゆっくりと境内を散策できます。 (^^;)





貞享五年(1688)八月には吉田大納言から原田大明神の社号を贈られ、また
有栖川宮(ありすがわのみや)代々の御尊敬を受け、

慶応三年(1867)には宮家の御祈祷所となり、以来明治二年まで毎年
正月八日に宮家に上がって殿内安泰の御祈祷を行う事を恒例としていた。





天武天皇に始まり、足利氏や有栖川宮など、武家・宮家からの崇敬
厚かったとは何気にスゴイ。

思いのほかく残っているこの境内が、往時の隆盛を物語っている様に
感じてなりません。









原田神社10
さて、いよいよ御本殿へ。


ちなみに御本殿は国指定・重要文化財なんですね。


建築様式を含めて、あとでじっくりと拝見しましょう。 (^^)









原田神社11

御祭神



・素盞嗚命(すさのおのみこと)
・天照大神(あまてらすおおみかみ)
・月読命(つきよみのみこと)
・高龗大神(たかおかみのおおかみ)
・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
・天児屋根命(あめのこやねのみこと)
・住吉大神(すみよしおおかみ)
・仁徳天皇(にんとくてんのう)
・菅原道真公(すがわらのみちざねこう)




それではお賽銭をすべり込ませ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。



手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)




古代は祇園社と称した事が創始でした。

主祭神に「素盞嗚命」が祀られている事に、今さら納得。 (^^;)









原田神社12
それにしても、こちらのお賽銭箱、ずい分とに配置されて
いるな~と思っていたら、なるほど、

真ん中の昇殿口を避ける為にずらして置かれているんですね。



いや、こういう所が妙にになったりするので。 (^^;)   ←(細かいヒト)






そんな事を言いつつもスキを狙って・・・、









原田神社13
また御本殿を撮ってしまいました。  (^^;)



でも、扉が閉まっているので、うまく撮れずに残念。 (^^;)



その上、鳥よけでしょうか、ネットまで張られていて


なかなかにガードが固い。 (^^;)   ←(また)









原田神社15
国指定・重要文化財の御本殿なので、ガードが固いのは当然かも
知れません。


その分、右手に回り込んで、肉眼で社殿の拝見を。 (^^;)




沿革にもあった様に、焼失後は慶安五年(1652)の再建になるんですね。

棟札(むなふだ)に墨書きが残っており、記録は明らかだそうな。



屋根は正面に千鳥破風(ちどりはふ)、軒唐破風(のきからはふ)
が奢られ、全体が檜皮葺(ひわだぶき)とこれまた豪華な造り。









原田神社14
垣の隙間から更に中の様子を、パチリ♪ (^^;)



境内の案内書きによると、材料・工法共に上質な江戸時代前期の建築で、
全国的にも類例の少ない五間社流造(ごけんしゃながれづくり)の
形式だそうな。


虹梁(こうりょう)の配置や身舎(もや)とのつなぎ方もしいんだとか。


妻飾(つまかざり)等に配置された邪鬼など、細部の形式意匠にも
特色があるようですが・・・、

う~ん、その邪鬼がどこにいるのか肉眼で発見できず、残念。 (^^;)









原田神社16
御本殿の側面から顔を突っ込んでゴソゴソするのは、余りにしいので、

この辺で切り上げて摂・末社にお参りしましょう。 (^^;)




御本殿左手に四社が御鎮座されています。


「八幡大神」・「春日大神」・「天満大神」・「熊野大神」が祀られているので、
順にお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)









原田神社17
御旅社も巡ったあとは、御本殿右手の稲荷社へ。



鮮やかなの連鳥居が印象的ながら、異界へ通ずる様な感覚もあり、


い込まれ感もまたハンパではない・・・。 ~( ; ̄人 ̄)









原田神社18
神明社も巡ったあとは、最後に摂社十二神社本殿へ。 (^^;)



こちらは豊中市の有形文化財に指定されているんですね。


三間社流造(さんげんしゃながれづくり)ながら、基本的な構成は
本社の御本殿と同様。

建立年代は明らかではないものの、細部の手法から桃山時代の
ものと推測されるそうな。



ちなみに沿革にもあった天正六年の兵火、この時社殿は全焼したにも関わら
ず、天武天皇がお納めした神鏡・獅子頭は奇跡的に無事だったとか。

それら神宝が一時、こちらのお社にわせてお祀りされていたんですね。



こうして現存するお社を目の前に、めて由緒の深さを感じたり・・・。 









原田神社19
フト御本殿の方を見ると、年代を問わずくの参拝者が訪れているのが
見受けられます。


現在はこうして地域の方々からの崇敬が厚いんですね・・・。 ( ̄人 ̄)






さて、このタイミングでまた足が強くなってきました。


ずいぶん長居もしましたし、そろそろおいとましましょう。









原田神社20
こちら社務所で、御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)


いや、先ほどから人影はえていたので、ひとまず無人でない事に
一安心。 (^^;)



御朱印を頂くついでに、毎度お話のお伺いも、しだけ。 (^^;)



重要文化財の御本殿について、色々とお聞きしていたところ・・・、









原田神社21
なんと、神職の方から直々にご説明頂けるんですねッ! (@_@;)


いやホント、このの中、わざわざを差してまで御本殿回りの
ご説明を頂けるとは、恐縮です。 (^^;)



さすがに昇殿する事は不可能ですが、でもでも気になっていた邪鬼
の位置や、その他社殿の造りについて、


はたまた神社の沿革まで詳しくご説明頂けるとは、り難い限り。 (^^;)









原田神社22
原田神社の社名についてもお聞きしたところ、近くの「原田元町」と
いう地名が由来になっているとか。


現在の名称になったのは、江戸時代に入ってからなんですね。


はっきりとした由来は不明ながらも、当時の原田村の力が非常に
強く、地域に与える影響力も大きかった為、

いつしか原田神社と称される様になった、と伝わるそうな。



なるほど、この様なエピソードはやはり、のお声でしか頂く事は
出来ません。 (^^;)









原田神社23
ちなみに、こちらが頂けました御朱印。  (^^;)


社紋は五瓜に唐花(ごかに からはな)なんですね。


達筆な書で頂けて、これまた何気にご満悦。 (^^;)



最後は充分に御礼を、ありがとうございました~。 m(_ _)m









原田神社24
さてさて、そんなこんなで、大阪府・豊中市は原田神社
(はらだじんじゃ)。


ふらりと訪れましたが、皇族を始め、武家・宮家の崇敬厚く、
歴史深いお社で、良い参りをさせて頂きました。 ( ̄人 ̄)


現在は駅チカで、商店街と隣接して現存するお社も、
人々から厚く崇敬されている事には今も昔もわりないんですね。



それにしてもホント、規模を問わず、社寺それぞれにい歴史が
あるんですね~。


社寺の歴史は、日本の歴史。



また知らぬ土地に訪れた際は、どこかふらりとお参りして、
色々と紐解いてみたいと思います。 (^^;)






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1/10(日)。 大阪府・吹田市(すいたし)は泉殿宮(いづどのぐう)へ
行って参りました。




さて、本日のお目当ては十日戎(とおかえびす)。  (゚д゚)




と言いますのも、昨年のこの時期、→2015年 阪急梅田駅・十日戎
キャンペーン 2015/01/09
で、

阪急沿線10社の「えべっさん」 を紹介するイベントに初めて
参加 したんですよね。








2016年:阪急梅田駅・ビッグマン前広場
泉殿宮1

今年も都合がついて、さらっと参加する事に。 (^^;)



無料吉兆引換証」の付いた福笹を頂けたので、せっかくですから
一社くらいは福を授かりに、お参りに行きたいな~と。 (^^;)









泉殿宮2
そんなワケで本日は、阪急・吹田駅(すいたえき)を下車。


地下道を通って東側の出口を上がると、すぐ目の前には石の玉垣(たまがき)
が見えてきて、これまた駅チカ神社。




ちなみに昨年は、→社寺巡り 大阪府・吹田市 「高浜神社」(たかはま
じんじゃ)・十日戎 2015/01/24
に訪れていました。


今年もまた計10社の中でも、普段滅多に訪れる機会のない神社をと、
こちらにお伺いした次第なんです。 (^^;)









泉殿宮4
改めまして、大きなの鳥居を前に1枚、パチリ♪


泉殿宮(いづどのぐう)と大きな看板もあって、初めて訪れても迷う心配なし。



それでは、気持ちを整えましてから、潜入~。 ( ̄人 ̄)









泉殿宮5
でもどうやらこちらは、御本殿の裏手だった模様。 あらら。 (^^;)





当宮往古は、次田(すきた)ノ社と称え奉り、河内の次田連(すきたむらじ)
の祖神・天香山命を氏神として、五穀の神・宇迦之御魂大神(うがのみたまの
おおかみ)を祀る。

(以下、由緒書きより抜粋。)





この辺りの地名である「すいた」は、次田(すきた)がじたものなんですね。

この地名、文献としては奈良時代の「行基年譜」に、「鴨下郡次田(すきた)里」
等の記述が既にあったそうな。









泉殿宮7
改めまして、御本殿の前側へ。 (^^;)


十日戎とあって、境内は多くの人でわっています。




第56代清和天皇・貞観11年(869)、当地久しく干ばつ、草木は色を変じ、
大河の流れも通わず、天下疫病流行し、諸民悉(ことごと)く枯渇に苦しむ。

播磨(姫路)の広峯神社より、王城鎮護の守り神として、祇園八坂神社
御祭神として迎えられる「建速須佐之男大神」(たけはや すさのおのおおかみ)
の御神輿が、しばらく当宮にお立ち寄りになられた。









泉殿宮8
続いてこちら手水舎でお清めを。


水はらかで、水量も豊富。

気温は低いながらも、たくてすがすがしい。 (^^)




大神に祝詞(のりと)を奏上し、獅子頭を激しく振り、歎きを告げ、篤く雨を祈ると、
忽然と清泉土中より湧漲(ゆうちょう)した。立ち処に里人渇(かつ)を免がれ、
田畑隈なく潅水した。よって、建速須佐之男大神を勧請し相殿として斎き祀る。





なるほど、日照り続きでお祈りをした所、こちらのお社にが湧き出したんですね。

その故事が社名の由来にもなっているとは、奥ゆかしい。 ( ̄人 ̄)









泉殿宮6
その泉は境内の一角に、こうして泉殿霊泉として祀られていますが、
地中奥深くに水脈が移って、現在はもう湧き出ていないんですね・・・。





明治22年(1889)、「泉殿霊泉」をドイツのミュンヘンに送り、これビール醸造
に適水との保証を得、当宮隣接地に同水系の湧水を以って、東洋初のビール
醸造工場(現・アサヒビール吹田工場)建設の逸話がある。









泉殿宮31
これまた確かに、お社の北隣には今もこうして大きなアサヒビールの
工場があります。


千里丘陵の地下を伝わって流れ出す豊富な湧き水が、ビール醸造にした
良水だったんですね。



また吹田が交通の要衝にあり、1876年8月に大阪-京都間の鉄道開業と共に
吹田停車場が開設され、製品や原料・資材の運搬に適していると判断されたそうな。



この様に、ビール生産・販売にとって不可欠な条件を備えていたことが、
ここ吹田の地で創業を開始したワケですか。




泉殿宮は、まさにアサヒビール発祥の地! (゚д゚)









泉殿宮9
境内へって、御本殿の前へ。 (^^;)


まだお参りもしていないのに、そのままフラフラと何処かへ行って
しまいそうになるし。 (^^;)










泉殿宮10
改めまして、御本殿でお参りを。 (^^;)



御祭神



・建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)
・宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)
・春日大神
   天児屋命(あめのこやねのみこと)
・住吉大神
   底筒男之命(そこつつのおのみこと)
   中筒男之命(なかつつのおのみこと)
   上筒男之命(うわつつのおのみこと)
・天香山命(あめのかぐやまのみこと)





それではお賽銭をすべり込ませ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。



手順正しく、心をめてお参りをさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)









泉殿宮11
後ろの方が何だか騒がしいな~と思っていると、巫女さんが何か
られていますよ。 (゚д゚)



富くじ券なるものだそうですが、とりあえずワタクシも拝領を。 (^^;)



いや、なんだか良く判りませんが、頂けるものはひとまずいて
おこうかなと。 (^^;)






そんな事を言いつつもスキを狙って・・・、









泉殿宮12
また御本殿を撮ってしまいました。  (^^;)



本年最初の、もうしわけありません。 (^^;)





おや、殿内を拝見すると、お米の袋が沢山積まれていますよ。


先ほどの富くじ券の説明書を見ると、福米の当たる抽選券だったんですね。



なるほど、当選すると、奉納されているお米をお授け頂けるワケですか。


今やっと概要理解しました。 (^^;)









泉殿宮13
そんな事を言っていると、こちら戎社で何やら神事が始まるようです。



摂・末社のお参りは後にして、ササッと参列。 (^^;)









泉殿宮14
続いて巫女さんが神楽の舞を奉納されますが・・・、


ピントを外しまくり。 (^^;)



構図も定まらず、門松や提灯をどうフレームに入れようか迷っている内に
舞は終了



う~ん、同じ人物撮影である舞妓さん撮影のノウハウを全く活かせず、
残念。 (^^;)




いや、このタイミングでそんな事はどうでもいいんですが。 (^^;)









泉殿宮15
おや、お次は宮司さんが龍笛を吹きながら先導し、移動するんですね。



弓矢を手にした射手方も続いて、何が始まるんでしょうか。 (゚д゚ )=( ゚д゚)









泉殿宮16
場内のアナウンスによると、新春奉納初射神事(はつしゃしんじ)と
言い、を放って一年の邪気を払う神事だそうな。


なるほど、先に見える、数字が記された回転式のを狙うワケですか。



ここで抜かれた番号が、富くじ抽選の当選番号になるとの事で、


つまりこれは、初射神事、富くじ抽選会なんですね。 (゚д゚)




いや、今やっと行事の全貌理解しました。 (^^;)









泉殿宮17
まずは、弓道四段の腕前を誇る、宮司(ぐうじ)さんから。


次々と華麗に数字を射抜いて行かれます。




矢が空気をり裂いて進む音もまたスゴイ。









泉殿宮18
立ち位置を変えて、1枚パチリ♪


大学は弓道部の学生さん方も御奉仕に参加されているんですね。



決して的をさず、これまた腕前は確か。




ちなみに矢が飛んでいく瞬間をとらえた1枚ですが、巫女さんの金烏帽子に
さったような絵になって、チョトびっくり。 (^^;)









泉殿宮19
そんな事を言いつつも、神事は終盤へ。 (^^;)



それにしてもこの様に、伝統的な装束で弓を射る神事とは滅多に拝見
出来るものではありません。



ズドンッと、的に矢が刺さる音も境内に響いて、その度にホント、

邪気が祓われたな~という気持ちになるワケであります・・・。 ( ̄人 ̄)









泉殿宮20
さて、全ての数字が出揃った後は合格発表。 (^^)   ←(違います)


もとい、当選発表。 (^^;)



さっそくワタクシも、手にする富くじ券の番号を確認しましたが、さらっ
ハズレで残念。 (^^;)



いや、10kgの福米が当たったら、どうやってって帰ろうか心配しましたが、

完全に無用な心配でした。 (^^;)





そんな事を言いながら、フト周りを見ると・・・、









泉殿宮21
富くじ券を何枚も手にする人が、けっこう居ますよ。 (@_@;)



1人に付き1枚という制限があったかと思いましたが、それにしてもこの様な

裏口入学的な方法があったとは。 (^^;)    ←(表現)



もとい、裏技。 (^^;)









泉殿宮22
さて、初射神事兼・富くじ抽選会が終了すると、境内の人出はさすがに
なくなって来ました。


このタイミングで、後回しにしていた摂・末社にお参りしましょう。



出雲ゆかりの神様が祀られる末社、そして伊勢神宮・外宮は豊受大神
(とようけのおおかみ)が祀られる稲荷社と、

順にって行きます・・・。 ( ̄人 ̄)









泉殿宮23
お参りの後は、いよいよ本日のメインイベント、吉兆の授与! (゚д゚)



阪急梅田駅・十日戎キャンペーンで頂いた福笹を取り出し、引換所へ 、

いざいざ~。   ~~( *゚д゚)ノ笹




ちなみに吉兆(きっちょう)とは神社用語で、福笹に付ける縁起物
の事。


商売繁盛を願って、「大福帳」や「小判」、「鯛」、「扇」などの細工物を
生命力満ち溢れる笹に結び付け、福笹と呼ぶんですね。



商いには「商売繁盛」を、そして一般家庭には「家内安全」を祈願して
買い求められるワケなんです。









画像 : 読売ONLINE 2015/11/5の記事より・東京・浅草の鷲神社。
泉殿宮32

この時期おなじみのえべっさんも、実はほぼ関西限定の祭礼とか。



この様に、自分ではずっと全国区と思い込んでいた行事って、

結構あるんですよね。 (^^;)     ←(あるある)




ちなみに関東では、十日戎に相当する祭礼が酉の市だとか。









泉殿宮24
またそうこう言っていると、目の前でび付けて頂けた吉兆がコチラ。


これまた縁起の良い、真っ赤な



泉殿鯛(いづどのたい)と言うそうな。 (*゚д゚*)




新春からおめでタイ吉兆を、ありがとうございます~。 (* ̄人 ̄*)









泉殿宮25
そして最後に、吉兆を付けて頂いた福笹をりしめ、えべっさんの
祀られるお社へお参りを。



西宮戎神社は、蛭子(えびす)大神ご勧請(かんじょう)の、吹田戎神社
なんですね。









泉殿宮26
オオー、こちらのお宮、だんじりの様な趣。 w(*゚0゚*)w



それもそのはず、蛭子大神を勧請後、昭和35年に現在地に遷座し、宮元
(西の庄町)に伝わる地車(天保年間建造)の寄進を受け社殿とされたとか。



以来、地車戎(だんじりえびす)として親しまれ、崇敬を集めているそうな。









泉殿宮27
間近で拝見すると、龍や獅子の彫物がスゴイ。



だんじりがそのままお社として祀られているのはしい印象を受けますが、


でもでも、だんじり・山車(だし)・御神輿(おみこし)にしても、何れも神様の
依代(よりしろ)。



そんな細かい分類も、神様はにされないのかも知れません・・・。 ( ̄人 ̄)






さて、またずいぶん長居したので、そろそろおいとましましょうか。









泉殿宮28
こちら社務所で、御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)



ちなみに十日戎は神社の1年の内でも、特におしい時期なので、




さすがに色々とお話をお聞きするのはやめておきましょう。 (^^;)









泉殿宮29
そうこうしている内に、こちらが頂けました御朱印


神社とゆかり深い、「史蹟泉殿霊泉」と添え書きを頂けました。



朱の印は、「摂州・泉殿宮・吹田」と押されているんですね。




ありがとうございました~。 m(_ _)m









泉殿宮30 
さてさて、そんなこんなで、大阪府・吹田市(すいたし)は「泉殿宮」
(いづどのぐう)。

昨年に続いて、歴史深い吹田の地でいお参りをさせて頂きました。 (^^)


新春奉納初射神事・抽選会は、残念ながらハズレでしたが、でもでも
邪気が祓われた気がして、良かった。 (^^;)


阪急戎のキャンペーンも、おめでタイ吉兆を頂けて、大満足。



でもホント、無料のキャンペーンながら、満足度はし。



来年も都合が付けば、是非参加したいと思います。 (^^;)






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6/28(日)。 大阪府・豊中市は上新田天神社(かみしんでん
てんじんしゃ)へ行って参りました。







上新田天神社1
本日はチョト御用がありまして、大阪モノレール・千里中央駅周辺まで
来たんですが、

これまた滅多に訪れる機会のない所なので、


1ヵ所位はっておこうかなと。 (^^;)



グーグルマップでさらっと神社を探そうとしていたところ・・・、









上新田天神社2
至る所に天神さんと示された、赤いのぼりが。


なるほど、近くに天神社がある模様。



天神様のお導きに従って、このままお伺いします。 (^^;)





案内地図もあり、確認しながらんで来たので、そろそろ神域が
見えてくるはずなんですが・・・、









上新田天神社3
でもなぜか目の前には、ド~ンと大きなマンションが。 (^^;)


しい感じのマンションですが、最近建ったんでしょうか。


辺りでは新築工事中の住宅も見受けられますよ。



ちなみにこの周辺は千里ニュータウンと呼ばれる住宅地なんですね。



1962年の街びらきから50年を迎えているそうなので、こうして開発が
進められているのかも知れません。









上新田天神社4
その大きなマンションの裏手へ回ると、神域が見えてきました。



ちゃんと御鎮座されていて、かった~。 (^^;)    ←(無くなるわけない)



いや、区画整理などで神社が移転になる例は、たまにあるので。 (^^;)









上新田天神社5
そんな事を言いつつも、石の鳥居を前に1枚、パチリ♪


それでは、気持ちをえましてから、潜入を・・・。 ( ̄人 ̄)



鳥居をくぐり、境内へと続く階段をっていきます。









上新田天神社6
ちなみに本日、神社に訪れたもう一つの目的は茅の輪くぐり。 (゚д゚)



この時期、各神社では夏越祓(なごしのはらえ)といいまして、

6月の後半に、日々の罪・汚れを祓い清め、暑い夏を無事に過ごし、
残る半年の無病息災を祈願する神事が行われるんですね。



毎年のように当ブログでも、各地の神社に訪れて茅の輪をくぐり、
めて頂いているんですが・・・、



本日は赤いのぼりに導かれてふらりと訪れているので、こちらのお社に
茅の輪があるか、チョト心配。 (^^;)









上新田天神社7
でも境内に到着すると、

茅の輪もちゃんとあって、かった~。 (^^;)





当神社の鎮座地・上新田(かみしんでん)は、徳川幕府二代将軍・秀忠
の治世下、大坂夏の陣翌年の元和二年(1616)に、武州(武蔵国)代官・
間宮三郎右衛門の命により開拓された、幕府直轄領であった。

(以下、由緒書きより抜粋。)









上新田天神社8
それにしてもこちらの茅の輪、御本殿へ続く階段の途中に設けられて
いるんですね。


なかなかにしいかも。 (^^;)





当神社の創祀は上新田村の開墾とともに始まり、貞享三年(1686)には
小路村大工・市郎兵衛が社殿拡大に伴う建立を請け負い、現在地に社殿を再建。









上新田天神社9
続いてこちら手水舎でお清めを。





元禄五年(1692)に行われた幕府寺社改めでは、社殿の建築様式や境内の
詳細が寺社吟味帳に記された。

天明元年(1781)には御旅所が建立され、この年より神輿・太鼓・金幣が巡行
する事となった。





なるほど、 廃藩置県により大阪府嶋下郡上新田村となって現在に至るワケですか。


以降、千里の氏神様として、地域の方々に親しまれているんですね。 ( ̄人 ̄)









上新田天神社10
こうして御本殿を臨むと、来る時に見た大きなマンションが後ろにっています。


なんだかぬ~っと、巨人みたいでチョト不気味。 (^^;)





現在の本殿は貞享三年(1686)に建立された木造の一間社流造(いっけんしゃ
ながれづくり)で、正面の軒に唐破風(からはふ)を据え、屋根はこけら葺き。
平成五年(1993)に重要有形文化財に指定される。





御本殿はこれまた貴重な文化財である模様。



あとでじっくりとらせて頂ましょう。 (^^)     ←(コラコラ)









上新田天神社11
そこはいておいて、改めまして御本殿の前へ。 (^^;)



さて、まずはお参りの前に、本日のメインイベント、茅の輪くぐりから。









上新田天神社30
正式な手順ではこのようにへと、唱え詞を奏上しながらくぐって
行くんですね。


本日は参拝者も少ないようなので、しい作法に従ってくぐりましょう。



いや、混雑していると、ただ真っ直ぐり抜けるだけになってしまいます
からね~。


茅の輪をくぐること自体にお祓いの意味があるので、一応それでも
大丈夫だそうですが。 (^^;)









上新田天神社14
ちなみに最初の一歩は、必ず左足から入るそうな。



そう言えば、舞妓さんのお店出しでも、お玄関から出る最初の一歩は
左足からと決まっていますが、

何かこういった神事と関係があるんでしょうかね。









上新田天神社12
その辺りの考察はまたの機会にして、一先ずはくぐりましょう。 (^^;)



ゴニョゴニョと奏上しながらへ、  ( ̄人 ̄)~

そしてへとくぐって行きます。  ~( ̄人 ̄)




でも足元に気を付けないと、階段を踏み外しそうになって、

アブナイアブナイ。 (^^;)









上新田天神社13
足元に気を取られていると、今度は横に通った青竹にをぶつけて、

アイタタ。 (ーー;)



写真を撮りながらくぐっているのにも、無理があったり。 (^^;)









上新田天神社15
でもでも、無事に清められて、御本殿前に到着~。  ( ̄人 ̄)~




御祭神



・菅原道真公(すがわらみちざねこう)

・宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ) (相殿神:あいどのしん)




それではお賽銭をすべり込ませ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。




今年前半の御礼を申し上げ、

残る半年も無病息災、お願いします~・・・。 ( ̄人 ̄)









上新田天神社16
おや、フト社殿の軒下を見ると、大きな奉納絵馬が。



傷みが進んでいるようなので、何がかれているかはっきり判りませんが、
でも絵巻風に何かを表しているようで・・・、






そんな事を言いつつもスキを狙って・・・、









上新田天神社17
また御本殿を撮ってしまいました。  (^^;)



もうしわけありません。 (^^;)




それにしても、こちらが御由緒にもあった重要文化財の御本殿なんですね。


軒に唐破風、そして全体に彩色が施されて、今まであまり拝見した事のない
様式に見受けられます。



そう言いつつ、またりまくり。 (^^;)   ←(怒られますよ)









上新田天神社18
怒られない内に、末社へもお参りを。 (^^;)




御本殿の右手には「御神牛」・「御神木」、


そして「千里稲荷神社」・「祖霊社」が祀られています。 ( ̄人 ̄)









上新田天神社19
6月末にもなると、さすがに暑いですね~。



また長居しましたし、熱中症にも掛からない内においとましましょう。 (^^;)









上新田天神社20
もちろん、こちら社務所で御朱印を頂いてから。 (^^;)


そして毎度、お話のお伺いも、しだけ。 (^^;)




重要文化財の御本殿についてお聞きしていたところ・・・、




宮司(ぐうじ)さん : 「良かったら、近くでって行かれますか? (^^) 」









上新田天神社21
エエッ! いいんですかッ!? (@_@;)



そんなワケで、なぜか拝殿内に上げて頂ける事に。 (^^;)




どうやら先ほど御本殿を外からバシバシ撮っていたのを、
られていたようです。 (^^;)




う~ん、一応辺りを気にしながら撮っていたつもりなんですが、

全然気付かなかった。 (^^;)









上新田天神社22
お邪魔します~。



でもホント、少し前に、各地の神社仏閣にがかけられる事件がありましたが、
それ以来、社寺では警戒を強められているようです。




いや、ワタクシは決してしい者ではありませんので。 (^^;)   ←(不審者)









上新田天神社23
ここで、殿内から参拝者側に向かって・・・、


撮ってしまいました。  (^^;)



もうしわけありません。 (^^;)




いや、別に謝罪する必要はありませんか。 (^^;)



それにしても、いつもはから殿内を撮っているのに、今回はバージョン
の神様視点。



何気にしい1枚かも。 (^^;)









上新田天神社24
さて、御本殿の方ですが、江戸期以前のお宮は白木の造りが多かった
ものの、徳川幕府に入ってから世の情勢も安定し、

お社にもこのような極彩色が施されるようになったとか。



昔は彩色も、もっとやかに残っていたそうな・・・。



宮司さん自ら色々と解説まで頂けるとは、恐縮すぎます。 (^^;)



40数年前に、広島県は厳島神社の宮大工さん達の手によって、落止め
(はくらくどめ)の処理が施されたものの、

それでも現在ではかなり色がせてしまっているんですね。



彩色をし直せば綺麗になるものの、さすれば文化財としての価値が
無くなってしまうと言うワケですか。



文化財保護も、しい問題の狭間に位置したり・・・。 ( ̄人 ̄;)









上新田天神社25
蟇股(かえるまた)の部分には、天神様の使者である、御神牛のお姿
も見受けられます。


こんなに間近で彫刻の細部まで拝見できるとは、何気に感動。 (^^;)



天神様を象徴する、加賀梅鉢の紋章もまた印象的です。



あと、御神鏡うしろの扉に描かれたの絵柄、実はこれも天神様が
祀られている事を象徴するものなんだそうな。



う~ん、これはりませんでした。 (^^;)









上新田天神社26
周辺の再開発についても、お話いただけました。



御本殿うしろのきなマンション、丁度お社を見下ろす様な形で、景観を
著しく壊されるので、崇敬者の方々は建設を大反対されていたとか。


しかしながら、施工主である大企業は、行政をも含んだその反対を
押し切り、こうして建設に至ってしまった訳ですか。



いやワタクシも、最初にこの大きなマンションを見た時に、神域には似つかわしく
ないな~と、違和感を感じたのは、間違いではなかったんですね。



ちなみに今日本各地では、この様に鎮守杜を侵食している例が
増えているそうな・・・。 ( ̄人 ̄;)









上新田天神社27
さて、手短にお伺いするつもりが、また長居してしまったので、
今度は本当においとまを・・・。



一応お気遣い申し上げて、ワタクシからり上げて。 (^^;)









上新田天神社28
最後に、こちらが頂けました御朱印。  (^^;)



千里乃氏神・「千里天神」と書いて頂けました。




充分に御礼を申し上げて、ありがとうございました~。 m(_ _)m









上新田天神社29
さてさて、そんなこんなで、大阪府・豊中市は「上新田天神社」
(かみしんでんてんじんしゃ)。


静かな丘に御鎮座されるお社で、良いお参りをさせて頂きました。 ( ̄人 ̄)



何より、貴重な文化財を間近で拝見できて、ご説明も頂けて大満足


ふらりと訪れたお社ながら、予想外の特別公開に出会えたようで、
ちょっとビックリな位。 (^^;)





おっと、あと茅の輪くぐりで清めて頂けて良かった。 (^^;)

残る半年も、無病息災で過ごせるよう、を付けたいですね~。



早くも猛暑が続く今日この頃。

まずはこの夏のさを乗り越えられるよう気を付けたいと思います。 (^^;)






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1/10(土)。 大阪府・吹田市(すいたし)は高浜神社(たかはま
じんじゃ)へ 行って参りました。



さて、本日のお目当てはズバリ、十日戎(とおかえびす)。  (゚д゚)




と言いますのも少し前、→2015年 阪急梅田駅・十日戎キャンペーン 
2015/01/09
で、
阪急沿線10社の「えべっさん」 を紹介するイベントに参加
したんですよね。



その時、「吉兆引換証」の付いた福笹を頂けたので、せっかくですから
1社くらいはお伺いしておきたいな~と。 (^^;)









高浜神社1
そんなワケで本日は、阪急・相川駅(あいかわえき)を下車。



ちなみに今回は10社の中でも、普段特に訪れる機会のない神社を
目掛けて向かっている次第なんです。 (^^;)









高浜神社2
駅から西側へ進むと、すぐに見えてくるのは安威川(あいがわ)。


駅名の「相川」とは表記が違う様ですが、何かわりがあるんでしょうかね。




それにしても普段訪れる機会の少ない土地なので、こうして散策する
だけでも新鮮な趣。 (^^;)









高浜神社3
そんな事を言っている内に、徒歩8分ほどで神社に到着♪




「商売繁盛~で、笹もってこい」





大きな石鳥居を目の前に、境内のスピーカーからは「十日えびす」独特の
軽妙なお囃子が聞こえてきます。



この関西特有のえべっさんムードに、ワタクシのテンションも
上がって参りましたよ~。 (^^)



では本日は特別に、お囃子のリズムにりながら、潜入~。   ~~(^^ノノ









高浜神社4
いや、普通に潜入しましょう。 (^^;)





当社の創立は悠遠にして不詳なるも、古文書によれば天平七年(735)、
既に吹田の大宮にして存在せし古社である。

又貞観十一年(869)には素戔嗚大神を祀って疫病の流行を止めてもらった
と伝えられる。

(以下、由緒書きと案内看板より抜粋。)





社名である「高浜」は、「吹田」の別称である模様。その地名にちなんで
高浜神社と名付けられたんですね。









高浜神社5
参道の両脇には様々な露店が軒を連ねて、とても賑やか。

焼きとうもろこしやベビーカステラなど、良い香りが漂ってお腹が空いて
きますが・・・、


まずはこちら手水舎でお清めを。 (^^;)





神社の前面・「御所の内牛丸」附近に、太政大臣藤原氏の吹田殿
(すいたどの)営まれて、
建長三年(1251)・御嵯峨上皇御遊幸の時、当社にも御参拝され、

「来て見れば 千代も経ぬべし高浜の 松に群れいる鶴の毛衣」 を詠まれた。





当時はここ高浜の地に、藤原氏一門の別邸が沢山営まれたんですね。


その中でも、太政大臣(だいじょうだいじん)・藤原(西園寺)公卿の吹田山荘
である、「吹田殿」が最も有名だったそうな。









高浜神社6
他にも足利将軍家代々・領主竹中氏代々などの崇敬厚かったようで、
その往時が偲ばれます・・・。 ( ̄人 ̄)





それにしても行事やお祭りのある時は、露天やテントが点在しているので、
境内の全景を撮るのが難しい。 (^^;)









高浜神社7
御本殿前は、これまたスゴイ行列。



関西でいかに「えべっさん」がしまれているか、良く判ります。 (^^;)









高浜神社8
しばらく待って、空いたタイミングを計らって1枚、パチリ♪



それではワタクシもお参りさせて頂きましょう。 (^^)









高浜神社9

御祭神



主神(御正中)
・素盞鳴尊(すさのおのみこと)


配祀神(相殿:あいどの)
・天照大神(あまてらすおおみかみ)
・春日大神(かすがおおかみ)
・住吉大神(すみよしおおかみ)
・菊理姫大神(くくりひめおおかみ)


不詳神二座(吹田連の祖神)
・火明命(ほのあかりのみこと)
・天香山命(あめのかぐやまのみこと)




それではお賽銭をすべり込ませ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。



手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)




でも人出が多いので、あまり集中してお参りできないのは致し方
ないところです。 (^^;)









高浜神社10
その上境内の一角では、カラオケ大会が催されているんですね。



ステージ上では大音量で演歌の熱唱と、一方のスピーカーからは負けじと
えべっさんのお囃子が流れて来るしで、


何だか境内はワケのらない空間に。 (^^;)



落ち着いてお参りするなら、また日をめての方が良いでしょう。 (^^;)





そんな事を言いつつもスキを狙って・・・、









高浜神社11
また御本殿を撮ってしまいました。  (^^;)



でも、本日は扉がまっているんですね。




本年1回目はうまく撮れずに、残念。 (^^;)    ←(コラコラ)









高浜神社12
続いて、末社にもお参りを。 (^^;)




御祭神

・宇賀御魂大神(うがのみたまのおおかみ)



の連鳥居が印象的なお稲荷様です。









高浜神社13
お次にこちらは「和加久寿大明神」。


御神木である、鶴の松が祀られているんですか。



昔の境内にはこの様な松の大木が沢山あり、鶴がを作っていたそうな。


でも太閤秀吉公が大阪城築城の時、用材として切られてしまったとか。



今日では(ミイ)さんの信仰となって受け継がれているんですね。



御由緒にあった御嵯峨上皇がまれた歌も、この地の松郡に因んでいた
とは、また奥ゆかし・・・。 ( ̄人 ̄)









高浜神社14
さて、いよいよ本日のメインイベント、吉兆の授与に向かいましょうか。



阪急梅田駅・十日戎キャンペーンで頂いた福笹を取り出し、引換所へ

いざダッシュ。 ===( ゚д゚)ノ





いや、別に走る必要はありません。 (^^;)









高浜神社15
おお~、すぐに目の前で吉兆をび付けて下さるんですね。



福笹が一気にやいで参りました。 (^^)









高浜神社16
そしてじきに授与頂けました笹が、コチラ。 (*゚д゚*)



ちなみに吉兆(きっちょう)とは神社用語で、福笹に付ける縁起物
の事。


商売繁盛を願って、「大福帳」や「小判」、「鯛」、「扇」などの細工物を
生命力満ち溢れる笹に結び付け、福笹と呼ぶんですね。



商いには「商売繁盛」を、そして一般家庭には「家内安全」を祈願して
買い求められるワケなんです。





それにしても、笹も吉兆も無料なのに、予想以上に豪華な装いになって
ビックリ。 (^^;)




でも中には本キャンペーンで、全10社巡るツワモノな方もおられるとか。



う~ん、このSサイズの笹が、吉兆だらけになってしまいそうな。 (^^;)









高浜神社17
福笹を授与頂いても、えべっさんにお参りしなければ意味がありません。



お次は吉兆の付いた福笹を握りしめ、えべっさんの祀られるお社へ


いざダッシュ。 ===( *゚д゚)ノ





いや、ですから別に走る必要はありません。 (^^;)









高浜神社18

御祭神



・事代主命(ことしろぬしのみこと:恵美須様)
・大国主命(おおくにぬしのみこと:大黒様)




タイミング良く、巫女さんの奉納舞が始まりました。


ワタクシも神前に福笹を並べて、ササッと参列。 




そしてお参りを。 ゴニョゴニョ・・・。 ( ̄人 ̄)









高浜神社19
舞の後はシャラシャラ~ンと、福鈴まで振って頂けるんですね。



ありがたい福パワーを注入頂けて、ありがとうございます~。 (* ̄人 ̄*)









高浜神社20
ちなみに本来の縁起物の授与所はこちらですか。



「熊手」に「福ざる」、「福だるま」など、これまた福々しい授与品がズラリと
並んでいますが、


本日ワタクシは全て無料にて、大変失礼致しました。 (^^;)










高浜神社21
さて、またずいぶん長居したので、そろそろおいとましましょうか。




おっと、そのに・・・、









高浜神社22
こちら社務所で、御朱印を頂くのも忘れずに。 (^^;)



ちなみに十日戎は神社の1年の内でも、特にお忙しい時期。




さすがに色々とお話をお聞きするのはやめておきましょう。 (^^;)









高浜神社23
そうこうしている内に、こちらが頂けました御朱印。



社名である「高浜宮」(たかはまぐう)と書いて頂けました。



おお、よく見ると、金銀砂子柄の和紙に書かれたものが貼り付け
られていますよ。



これは何気にしいタイプの御朱印かも。 (゚д゚)




「伊勢神宮」(いせじんぐう)・式年遷宮記念の御朱印帳 2015/01/17
ご紹介しました御朱印帳の第一号にもなるので、


これまた何気に縁起が良いかも。 (^^;)









高浜神社24
さてさて、そんなこんなで、大阪府・吹田市(すいたし)は「高浜神社」
(たかはまじんじゃ)。

吹田でも歴史ある古社で、良い十日戎のお参りをさせて頂きました。 (^^)



それにしても、福笹・吉兆・福鈴と、全てが無料の授与品で恐縮な限り。 (^^;)


またの機会、本来の縁起物を頂戴したいですね~。



でも今回のところはありがたく、無料のにあやかっておきましょう・・・。 (^^;)






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