8/6(日)。 京都市・東山区は「仲源寺」(ちゅうげんじ)へ行って
参りました。







仲源寺1
そんなワケで、ひとまずは鴨川に掛かる団栗橋(どんぐりばし)を
渡って東方向へ。



いや、目指すお寺は四条通にあるので、向こうに見える四条大橋
を渡れば早いんですが、

なに分人通りが多いので。 (^^;)









仲源寺2
続けて川端通も渡って行けばもうすぐですが、う言えば、

ここは京都五花街(ごかがい)の一つである、宮川町
近くにあるんでした。



せっかくなので、少しり道して・・・、









仲源寺3
風情ある街並みを1枚、パチリ♪



結局のところ回りばかりしている様な。 (^^;)



でもでもこの暑い中、京丸うちわが目にも涼やかですね~。


京の花街ではの御挨拶に、芸・舞妓さんがお得意先へ
こうして名入りのうちわを配る風習があるんですね。



芸・舞妓さん同様、なかなか本物はお目に掛かれないので、
何気にラッキーだったり。 (^^)









仲源寺4
寄り道も程々に、やっと目指すお寺が右手にえてきました。 (^^;)



ちなみに八坂神社への参道でもある、祇園商店街の南側に
位置しているんですね。









仲源寺5
対岸に渡って、お寺の前景を1枚、パチリ♪



こうして拝見すると、何とも窮屈そうな佇まい。 (^^;)



いや、もっと言うと、ここにお寺がある事に付かず、

通りしてしまいそうな佇まいでもあったり。 (^^;)   ←(コラ)





さてそんな事を言いつつも、ここ祇園周辺で行われる行事ごとへの
行き帰りは、こちらの「仲源寺」さんの前を通る事も多いんですが、

これまでちゃんとお参りした事が無く、レポをした事もなかったん
ですよね。



いや、祇園周辺で行われる行事といっても、









仲源寺6
舞妓さん撮影が殆どだったりして。 (^^;)



先日8月1日に行われた花街の夏の御挨拶回り・八朔(はっさく)の
撮影に参戦したんですが、

ここ四条通にも多くの芸・舞妓さんが行き交って、とても華やか
なんですよね~。









仲源寺7
でも今年はあまり時間が取れず、途中参戦となったので、
撮れたお写真はな目だったり。 (^^;)



なので今回はフルレンスでの八朔レポが出来ず、でもせっかく
撮りに行ったので、こうして1~2枚でもせておこうかな~と・・・、









仲源寺8
いや、こうしてたびたびこの周辺に舞妓さん撮影に訪れているので、

花街の中心に位置する「仲源寺」さんに、一度はちゃんとお参り
しておきたいな~というのが


今回の趣旨なワケであります。 (^^;)    ←(くだりが長い)





それにしても、この門構えを拝見してい出したんですが・・・、









仲源寺9
舞妓さんのお店出し御挨拶回り撮影に訪れた時、珍しく
こちらが巡回ルートに入り、さらにサービスで山門前にて、


撮影タイムが設けられたんでした。 (゚д゚)



いや、ずい分と以前のお話になるんですが。 (^^;)









仲源寺10
でもホント、それくらい何かと御縁の深いお寺さんなのかも。



山門前で一礼し、ひとまずは潜入をば~。  ~~(  ̄人 ̄)




今回は何かと前へんでいないので、少々き気味で。 (^^;)









仲源寺11
浄土宗に属する寺院で、一般に目疾地蔵(めやみじぞう)の
名で人々に親しまれている。

平安時代の治安二年(1022)、仏師・定朝(じょうちょう)が四条橋
の東北に地蔵菩薩を祀った事に由来する。

(以下、お寺の駒札より抜粋。)









仲源寺12
まずはこちら手水鉢でお清めを。

芳しくないお天気に加えて境内も薄い感じなので、
思わずストロボ撮影。 (^^;)





寺と地蔵菩薩の名の由来は、安貞二年(1228)の鴨川
氾濫時に、勢多判官・中原為兼(せたのはんがん・なかはら
ためかね)が、防鴨河使(ぼうかし)になった際、この地蔵菩薩が
溺れ人を救う姿を見、









仲源寺13
それ以降、地蔵菩薩を「雨止地蔵」(あめやみじぞう)と称し、
中原」の傍らに人と水を添えて寺名とした事による。





なるほど、「仲源寺」の寺名は、鴨川の氾濫から民衆をうべく
朝廷から派遣された、中原為兼の名が由来になっていたんですね。

地蔵菩薩より為兼におげが下ると、たちまち水は引き、
平常の鴨川の姿に戻ったそうな。









仲源寺14
その後、信仰深い老夫婦の眼病を地蔵菩薩自らの右眼
移し、苦しみを救ったという逸話から、いつしか「目疾地蔵」に
なり、現在も眼病治療に霊験があるとして広く信仰を集めている。





この様なエピソードもあって「雨止地蔵」が「目疾地蔵」へと
じたワケですか。



今更ながら妙に納得。 (^^;)









仲源寺15
ちなみに「雨止み」には、知恩院や八坂神社への参詣人が
地蔵堂の軒下で雨宿りした事から、との説もあるとか。




本日は嫌~な空模様ですが、出来ればは降らないで
ほしい所です。


を持って来ていないので。 (^^;)









仲源寺16
そんな事を言いつつも、御本堂へお参りを。 (^^;)




御本尊


・延命地蔵菩薩坐像(えんめいじぞうぼさつざぞう)





丈六サイズのお地蔵様で、きなお姿に圧倒されてしまいます。




では改めまして、お賽銭をすべり込ませ、


手順正しく、心をめてお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)





御本堂の右手には「大黒天」・「天道大日如来」・「北辰妙見大菩薩」・
「道了大権現」がられているんですね。



続けてお参りさせて頂きますが・・・、


お堂前も何気に薄いので、これまたさらっとストロボ撮影。 (^^;)









仲源寺17
おや、そんな事を言いっていると提灯に明かりがりましたよ。 (゚д゚)



り易くして頂き、ありがとうございます~。 ( ̄人 ̄)  ←(偶然です)



空模様に加えてもう暮れなので、点いても当然ですか。 (^^;)






そんな事を言いつつもスキを狙って・・・、









仲源寺18
またお堂内を撮ってしまいました。  (^^;)



もうしわけありません。 (^^;)




でもこうして改めて御本尊様のお姿を拝見すると、かに、

信仰深い老夫婦の眼病を自らの右眼にされたという
エピソード通り、


お地蔵様の右眼が少しく潤んでいる様な・・・。




今一度沿革を噛みしめ、お参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)









仲源寺19
おや、フトお堂内の左手を見ると、京丸うちわが。 (゚д゚)



花街の中心に位置するお寺なので、やはり芸・舞妓さん
からの信仰も厚いのでしょう。



それにしても、こうして京丸うちわが奉納されているお寺さん
というのは


めて見たかも。 (^^;)









仲源寺20
そんな事を言いつつも、続けて境内をって行きましょう。 (^^;)



多くのお地蔵様が祀られているんですね。



順にゆっくりとお参りして行きます。   ~~(  ̄人 ̄)









仲源寺21
境内の一角には立派なお堂があり、これまたひと際きな
仏様が祀られていますよ。 (゚д゚)



元・国宝ながら、現在は重要文化財指定の観音様だそうな。




・千手観世音菩薩坐像(せんじゅかんぜおんぼさつざぞう)




丈六(像高248cm)木彫りの坐像で、平安時代後期は春日
仏師の作と伝わるんですね。



そう言えば山門に掲げられた木札を思い出したんですが、
こちら仲源寺さんは洛陽三十三所観音巡礼の

十六番札所でもあったんでした。 ( ̄人 ̄)



いや、お地蔵様が多く祀られる中、観音様のお姿を拝見して
フト思い出したり。 (^^;)






そんな事を言いつつも、またスキを狙って・・・、









仲源寺22
撮ってしまいました。  (^^;)    ←(コラコラ)



思いのほかアップなお写真になりましたが、でもでも端麗な
お姿で、気品も感じられますね~。
  

さすがに箔は殆ど剥落しているものの、全体的な保存状態が
良好なのは印象的です。



国の重文でもある観音様に、これほどお近づきになれるのも
珍しい事かも知れません。



改めまして、お参りを・・・。 ( ̄人 ̄)









仲源寺23
さて、分にお参りもさせて頂いたので、そろそろおいとま
しましょうか。



そろそろも降って来そうなので。 (^^;)









仲源寺24
そう言いつつも、しっかりと御朱印は頂いてから。 (^^;)



いや、先ほどから寺務所には明かりが点いて、無人ではない
事が分かっていたので、

安心して長居してたりして。 (^^;)









仲源寺25
書いて頂くお手元もったりして。 (^^;)   ←(怒られますよ)


いや、一応許可は頂いておりますので、念の為。 (^^;)



ここでまた、モノはついでにと、しだけお話のお伺いも。


お寺の歴史的な事をお聞きしつつも、やはり場所柄的な事もあって、
いつしか花街の話題になったんですが、

特に祇園から近い事もあって、芸妓さん・舞妓さんが
サッとお参りに来られる姿が見られるそうな。 (゚д゚)



加えて女将さん方も良く来られるというから、ここはやはり
京都花街の中心に位置するお寺さんなんだな~と、


めてしみじみと感じたり・・・。 ( ̄人 ̄)









仲源寺26
そんなエピソードをお聞きしていると、急に大粒のがバラバラ
と降って来て、背中がたい。 (;´д`)



もっと色々とお聞きしたかったんですが、閉門のお時間も
近かったので、御礼をもそこそこに

御本堂の軒下に避難。 (^^;)









仲源寺27
ちなみに頂けました御朱印がこちら。


「大悲殿」(だいひでん)と書いて頂けました。



「大悲」とは、観音様の大いなる慈悲の御心の事、
そして「殿」は、御堂を意味するそうな。



ちなみに御本尊の御朱印と合わせて2種類あったんですね。

今回は動的に観音様の分に。 (^^;)



宿りさせて頂いている中、めてそれぞれの仏様に

お参りを・・・。 ( ̄人 ̄)









仲源寺29
そんな事を言っている内に、じきに雨はがったり。


傘を持っていなかったので、リアル雨止み効果にも
感謝を申し上げておいとましましょう。 (^^;)



ありがとうございました~。 m(_ _)m









仲源寺28
さてさて、そんなこんなで、京都市・東山区は「仲源寺」
(ちゅうげんじ)。


丈六のお地蔵様・観音様はきなお姿で、印象的でしたね~。


祇園商店街に面した人通りの多い中、境内は思いのほか
静かで、ち着いたお参りをさせて頂きました。 (^^)



今回は微妙に八朔ネタと絡めましたが、京都花街とも
御縁の深いお寺さんなので、

この機に一応はちゃんとレポできて良かった。 (^^;)



舞妓さん撮影も最近はかなり疎遠になっていますが、

また機会があればめて行きたいと思います。 (^^;)






powered by TomiryuMap






スポンサーサイト
7/2(日)。 京都市・上京区は大将軍八神社(だいしょうぐん
はちじんじゃ)へ行って参りました。




さて本日のお目当ては、


茅の輪くぐり! w(*゚Д゚*)w     ←(気合い入ってますね)




いや、先日の→社寺巡り 大阪府・茨木市 「新屋坐天照御魂神社」
(にいやにいますあまてるみたまじんじゃ) 2017/07/15
には、

期待していた茅の輪が設置されてなかったんですよね~。



調べもせずに、ふらりと訪れたのが悪かったんですが。 (^^;)









大将軍八神社1
そうブツブツ言いつつも、一条通を西方向へ向かっていますと、
じきに指すお社が見えてきます。



う~ん、それにしてもこの時点でズブ濡れ状態だったり。


いや、つい先ほどまでも役に立たないほどのゲリラ的な豪雨
だったんですよね。 (^^;)









大将軍八神社2
そうこうしている内に、無事に到着♪



でも何だかんだでお参り前に、こうして降りになって良かった。 (^^;)









大将軍八神社3
何はともあれ一礼し、神門をくぐって潜入をば~。 ~(  ̄人 ̄)



本日こそはぐらせて頂くべく、まずは茅の輪のお姿を確認、



と思いきや・・・、









大将軍八神社4
茅の輪、無い~。  (;´д`)ノ     ←(ご愁傷様です)




いやホント、事前にお電話までして有る事を確認したのに、

なんで~?   (´д`;) ~ (;´д`)






当社は延暦十三年(794)、平安遷都の際に桓武(かんむ)天皇
の勅願によって、奈良・春日山麓より大将軍神を平安京大内裏の

北西角(陰陽道の天門)の地に勧請し、国家守護、国民の繁栄を
祈念したのが始まりである。

(以下、由緒書きより抜粋。)









大将軍八神社5
有るはずのの輪が無いのは、これまた想外の展開ですが、

ひとまずは気持ちを鎮めるべくおめを。 (^^;)





「大将軍神」とは、陰陽道・道教の信仰による方位を司る星神
であり、この神の方位を犯すと厳しい咎めを受けるというので、
古来より非常にれられてきた。










大将軍八神社6
なるほど、社名としても冠されている「大将軍」とは、古代中国
における方位の神様の事なんですね。


茅の輪は無かったものの、お清めして冷静さを取り戻したり。 (^^;)





社号は初め、陰陽道のお堂として大将軍堂と称され、応仁の乱
の荒廃後に神社として復興。

江戸時代に大将軍神を始め、暦の神・八将神と素戔鳴尊、その御子
八神が習合し、大将軍八神宮と改称した。










大将軍八神社7
落ち着いて拝見すると、く整えられた境内ですね~。

の日の社寺巡りも、久しぶりだったり。


こうしてっとりとしたお参りも、たまには良いものです。 (^^)





以後、白虎大将軍の通称で京都西方守護の信仰や、方除厄除
十二社参りの一社として参詣を集め、明治以降に現名称となった。





明治時代に施行された神仏分離令により、現在の神社としての
姿が形成されたワケですか。


ちなみにかつて大将軍堂は、1340年から約100年の間、祇園社・現在の
八坂神社の管理下にあったとか。


八坂神社の御祭神がこれまた「素盞鳴尊」であり、 その神格
大将軍神と似通っている事から、関連付けられたと考えられるそうな。



改めて、お社のい歴史が感じられます・・・。 ( ̄人 ̄)









大将軍八神社8
それではいよいよ御本殿へ。   ~~(  ̄人 ̄)



う~ん、本来ならこの御本殿前に茅の輪が設置されてある
はずなんですが、

でもいものは仕方ありません。 (^^;)









大将軍八神社9
少々納得がいかないままお参りへ。 (^^;)




御祭神


大将軍神(だいしょうぐんしん)

・素戔鳴尊(すさのおのみこと)
・天津彦根命(あまつひこねのみこと)


大歳神(だいさいしん)
・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)


大陰神(だいおんしん)
・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)


歳形神(さいぎょうしん)
・田心媛命(たきりひめのみこと)


歳破神(さいはしん)
・湍津姫命(たきつひめのみこと)


歳殺神(さいさつしん)
・天穂日神(あめのほひのみこと)


黄幡神(おうばんしん)
・活津彦根神(いくつひこねのみこと)


豹尾神(ひょうびしん)
・熊野樟樟日命(くまのくすびのみこと)




それではお賽銭をすべり込ませ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。



手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)





こうして八柱の方位神が御祭神として祀られているんですね。


それが明治時代に「神仏分離令」によって、素盞鳴尊とその御子・
八神と習合して今に伝わるとは、これまた何気に興味深い。




ちなみに方位神だけに、特に方除・厄除の御神徳があるという事には
妙に納得。 (^^;)









大将軍八神社10
一方で、改めて納得いかないのが茅の輪がない事。 (^^;)


お電話でも本日まで設置されている事を確認していただけに、
不思議で仕方ないので・・・、









大将軍八神社11
こちら社務所で直接お問い合わせする事に。 (^^;)



さっそくお聞きしてみると、確かについ先ほどまで、御本殿前に
茅の輪はあったとの事。 (゚д゚)


しかしながら先ほどのゲリラ的な雨と風で、倒れると危険
と判断され、

早々に撤去されてしまったとか。 (;´д`)   ←(運が悪い)



いやホント、こんな事ならもう少しめに来るべきだった。 (^^;)



ちなみに、撤去した茅の輪はまだ残してあるとの事ですが・・・、









大将軍八神社12
なんと、こんな所にたわっていたとは! (@_@;)


手水舎の隣にあったのに全然付かなかった。 (^^;)



う~ん、こんな状態の茅の輪を見るのはめてなので、
ある意味衝撃的ですが、


でもでも、せっかくお伺いしたので、この茅の輪でれを
って頂きたく、

しかしながらこの状態からぐるのも難しいな~と・・・、





そう色々と思案しつつもスキを狙って・・・、









大将軍八神社13
また殿内を撮ってしまいました。



もうしわけありません。 (^^;)



イレギュラーな状況からも、いつものお約束を入れるのは
れずに。 (^^;)









大将軍八神社14
摂・末社にもお参りを。 (^^;)



御本殿の左側が順路になってるんですね。


お社のりなども拝見しながら進んで行きます。









大将軍八神社15
まずはこちら、地主神社(大杉大明神・豆吉明神)で
静かにお参りを。 ( ̄人 ̄)



雨上がりの境内に、塗りの鳥居が映えて印象的。 (^^)









大将軍八神社16
おや、右隣りには船のイカリが祀られていますよ。


こちらの神社と何か関わりやれがある物なんでしょうかね。


少々です。 (^^;)




その奥には方徳殿と呼ばれる立派な宝物庫が見えますが、
残念ながら・・・、









大将軍八神社17
普段は非公開なんですね。


イカツイ大将軍神像が守っていて近寄れません。 (^^;)



重要文化財に指定された80体にも及ぶ御神像を始め、数多くの
貴重な御神宝が収蔵されているそうな。


毎年5月と11月には一般に公開されている様なので、こちらは
機会があればまたお伺いしたい所。 (^^;)









大将軍八神社18
「大金神神社」、「歳徳神社」、そして「三社」、「五社」と、続けて
ゆっくりとって行きます。  ~~(  ̄人 ̄)




さて、これで全てのお社でお参りはみましたが、

るは一つ・・・、









大将軍八神社19
先ほどの茅の輪。 (^^;)



よく見ると、おトイレの目の前だったんですね。


こういう場合、おトイレの(けが)れパワーと、茅の輪の
(はら)いパワーの

どちらがるんでしょうかね。



何だか究極の対決みたいで、ちょっとシュール。 (^^;)









上新田天神社30
そんな独り言はいておいて。 (^^;)


ちなみに茅の輪は正式な手順では、このように左へ右へと
唱え詞を奏上しながらぐって行くんですね。



でも本日の様に、茅の輪がたわった状態では不可能なので、

知恵を絞って導き出した方法で一つ・・・、 ( ̄人 ̄)









大将軍八神社20
輪の中にって、左へ右へとクルクルる!  w(*゚Д゚*)w



え給え、め給え~、  w(*゚Д゚* )w~~


り給え、え給え~・・・、  ~~w( *゚Д゚*)w  ←(危ないヒト)









大将軍八神社21
ホント、これ位にしておきましょう。


時々参道を通る参拝者からの視線がいので。 (^^;)



でもでも、このタイミングで完全に雨が上がって夕陽
晴れやかに。

一時のゲリラ的な豪雨もウソの様。



横たわった茅の輪ながら、無事にい清められた様な
気もして一安心。 (^^;)



かなり我流な方法でしたが。 (^^;)









大将軍八神社22
さて、またずい分と長居したので、そろそろおいとましましょうか。


その前に、御朱印を頂くべく、再び社務所へ。 (^^;)



閉門近くだったので、あまりお話をお伺い出来ず残念。









大将軍八神社23
そうこうしている内に、こちらが頂けました御朱印


星神大将軍」(せいじん だいしょうぐん)と書いて頂けました。



神社の御朱印では社名が一般的な中、こうして「御祭神」の
お名前が記されるというのは少々珍しいかも知れません。



お寺では御本尊の御名前が書かれることが多いんですよね。



海外からの宗教であった仏教と同様に、かつての創建が陰陽道の
お堂がルーツであったという所に、何か関係があるのかも・・・。



オチも近いこのタイミングでえ過ぎかも知れませんが。 (^^;)









大将軍八神社24
さてさて、そんなこんなで、京都市・上京区は「大将軍
八神社」
(だいしょうぐんはちじんじゃ)。


平安京造営の折、陰陽道によってこの地、御所の北西に
創建されたのが始まりだったんですね。



日本古来の神様とは異なる大将軍神から、何か特別な
パワーを頂けたお参りが出来たような・・・。 ( ̄人 ̄)




あと、本来の手順とはかなり掛け離れましたが、茅の輪り、
いや、茅の輪ぐりで半年の穢れを清めて頂けて、


ワタクシ的には一応納得。 (^^;)



でも8月も間近で、まだまだい日が続くんですね~。 (;´д`)


夏越祓(なごしのはらえ)に沿って、ひとまずは夏を越し、
残る半年も無病息災で過ごせる様にを付けねば・・・。 (^^;)






powered by TomiryuMap






社寺巡り 京都・2017年 春期特別公開 「古知谷阿弥陀寺」
(こちだにあみだじ) 2017/05/13
の続きで、


もう一ヵ所、特別公開のお寺へ向かっています。







寂光院1
いや、訪れる機会の少ない京都・大原地区なので、これを機に
何とかもう一ヵ所くらいは巡っておきたいな~と。




そう言いつつも、もう夕方になり、閉門のお時間が近づいて
いるんですが。 (^^;)









寂光院2
ぶつぶつとり言を呟きながらも、がり込む様に目指す
お寺へ到着。



さてこちらは、その名も寂光院(じゃっこういん)。 (゚д゚)ノ











寂光院3
大原でお寺というと、まずは代名詞的な三千院
(さんぜんいん)では?


という自らのツッコミはいておいて、 (^^;)









寂光院4
寂光院(じゃっこういん)も大原では大変有名なお寺。

以前から一度はれてみたいと思っていたんですよね。



皇室ともゆかり深いお寺とあって、菊の御紋がかし彫り
になった門扉がまた、

印象的・・・。  ~~(  ̄人 ̄)









寂光院5
さて、こちらが受付ですね。


特別公開の拝観料をお納めして、いざ潜入を、

と思いきや・・・、









寂光院6
少し進んだ客殿が、特別公開専用の受付である模様。 (゚д゚)



う~ん、これまでくの特別公開を拝観して来ましたが、

窓口がけられた受付というのはめてかも知れません。



何はともあれ、拝観料800円をお納めして潜入をば。 (^^;)



ちなみにいつもの如く、お堂内は撮影禁止なので、
写真はパンフレット他より拝借。 (^^;)









寂光院9
お庭は撮影OKとの事なので、1枚パチリ♪



おお、客殿内には京都画壇の画家たちによる絵画が
ズラリと展示されていますよ。 (゚д゚)



明治四十二年(1909)、三宅呉暁や山元春挙など、京都画壇を
代表する日本画家たちによって、
寂光院の旧書院に平家物語にちなんだ四十四面の襖絵が
描かれたそうな。



そういった御縁から、明治から昭和戦前にかけての京都・円山
四条派
の画家達によって描かれた

多くの絵画がこちら寂光院にまっているんですね。




それにしても、いきなり絵画の拝観からスタートというのも、
順路としてはしいかも知れません。 (^^;)









寂光院7
そんな事を言いつつも、望月玉成(もちづきぎょくせい)筆の、
「鶉(うずら)と八千草図」を拝見。 (^^;)



柔らかい印象ながら、実に繊細で写実的に描かれてますね~。

生き生きとした二羽のウズラも、また愛らしい。 (*^^*)



「円山・四条派」は、円山派の祖である円山応挙(まるやまおうきょ)
の写生的画風に、

四条派の祖である呉春(ごしゅん)が影響を受けているんですね。



写実的な描写に拘らず、装飾性とも調和させているこの画には、
同派の後発である玉成の特徴が、特に感じられたり・・・。 ( ̄人 ̄)



そんながします・・・。 ( ̄人 ̄)   ←(実は良く判っていない)



いや、京都画壇の系譜も奥い世界なので、本日の所は
雰囲気をしむ程度にしておきましょう。 (^^;)









寂光院8
やや逃避気味に、お次は三宅呉暁(みやけごぎょう)筆・
「枯木野猿図」(かれきやえんず)の拝見を。 (^^;)


旧書院はお玄関の襖絵に当たるんですね。



老木に腰掛けた一匹の

しげに遠くを見つめ、どこかろな表情の様にも見えます。


これまた四条派の一人に相応しく、繊細なタッチですね~。



平家物語に記された、後白河法皇が隠棲中の建礼門院をかに
訪ねたとされる故事・大原御幸(おおはらごこう)。


呉暁はその晩春の寂光院をイメージして、この絵を描いたとか。



平家物語という文章からのイメージだけで、これほどの絵を描き
上げてしまうとは、


やはりいつの世もアーティストって、スゴイ・・・。 ( ̄人 ̄)









寂光院10
多くの絵画が展示されていますが、拝観も程々に、先へまねば。

閉門のお時間が近いと言いながら、えらく長居してるし。 (^^;)



それにしても、お次はいきなり境内のへ出て行くんですね。


いや、特別公開の順路としては、しい展開だな~と。 (^^;)









寂光院11
今回の拝観では、こちら収蔵庫が特別に公開されている模様。



旧御本尊である「地蔵尊」が安置されているとの事ですが、

そもそも、御本尊とはどういう事でしょうか。  ?(゚д゚)?



疑問に思いつつも、ひとまずは収蔵庫内へ。  ~(  ̄人 ̄)



引き続き、内部は撮影禁止なので、 写真はパンフレット
他より拝借しつつも・・・、









寂光院31
庫内中央には、なんと黒焦げの仏像!?  (@_@;)




・地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)
 
 鎌倉時代・像高2.6m 木製 : 重要文化財





こちらのお地蔵様、今から17年前は2000年5月未明、放火
事件で焼損した

旧御本尊だそうな。



こけら葺き御本堂も焼け、御堂内に安置されていたお地蔵様も
こんな焦げになってしまったんですね。



それにしても、あまりに々しいお姿・・・。 ( ̄人 ̄;)









寂光院12
これ以上の劣化を防ぐ為、お地蔵様は樹脂加工が施され、現在は
こうして空調が整った収蔵庫に安置されているワケですか。



焼損しながらも原型を保っていた事などから重文指定は継続
されたのは何より。



消火活動の際に雨状放水という、シャワーを浴びせる様な
方式が取られたのも、

こうして原形を保つ事が出来た要因だったんですね。



壮絶な火災現場の中、お像の正面からの放水も避け、消火剤
も使われなかったとか。



いやホント、消火活動に当たられた消防士さん方の咄嗟の判断に、
お地蔵様の姿をしでも護りたいという


の心が感じられたり・・・。 ( ̄人 ̄)









寂光院13
胎内に収められていた約3,400体の小地蔵像(像高10~15cm)
も多くが無事だったんですね。


大切に保管されている小地蔵様方のお姿を、こちら収蔵庫では
間近で拝見する事が出来ます。 ( ̄人 ̄)




それにしても、本放火事件、犯人逮捕のまま2007年5月9日、
すでに公訴時効が成立しているそうな・・・。



残念な限りですが、でもでも、こうしてお地蔵様を拝見すると、
黒くけ焦げたお姿になろうとも、

人々を救わんとするパワーが、今なお躯体から放たれて
いる様に感じます。



こうして特別公開の日にお会い出来た事に感謝しつつ、

改めまして、お参りを・・・。 ( ̄人 ̄)









寂光院14
存分にお参りしたので、お次の順路へ・・・、  ~~(  ̄人 ̄)



と思いきや、係りの方の案内によると、特別公開の内容は
以上で終了との事。



なんか公開箇所・・・、なくないですか?   ?(゚д゚)?



いや、いつも特別公開というと、御本堂内でお寺の歴史
ご説明があったりするもので。 (^^;)



そう思ってお聞きしてみると、









寂光院15
先ほど巡って来た「京都画壇の絵画」と「収蔵庫」の2ヵ所のみが
特別公開エリアで、

御本堂を含めたお寺の境内に立ち入るには、通常拝観として
拝観料がまた別に必要との事。



マジッスカ?  (゚д゚)     ←(混乱気味のヒト)



いや、ワタクシもこれまで多くの特別公開をって来ましたが、

通常拝観と特別公開のエリアがこれほど明確にけられている
箇所にお伺いしたのは、あまり無かった様な・・・。 (^^;)







寂光院16
そう言いながらも、さらっと受付にって来たり。 (^^;)



せっかく大原のここまでお伺いしたので、通常拝観せずには
れません。



特別公開の800円とは別に、通常拝観料600円

改めてお納めをば。 (^^;)









寂光院17
そして長~い石段を上り切り、山門を前に一礼を。

息も整えてから、潜入~。 ~~(  ̄人 ̄)



本日はこのタイミングで沿革のくだりなどを。 (^^;)





天台宗の尼寺で、山号を清香山、寺号を玉泉寺といい、寂光院は
玉泉寺の子院であった。

推古二年(594)に、聖徳太子が御父・用明天皇の菩提を
弔うために建立されたと伝えられる。

(以下、公式サイト他より抜粋。)









寂光院18
傾きつつある陽も相まって、境内のお庭は趣がありますね~。 (^^)


洛北でも屈指の古刹と云われる、寂光院の由縁が垣間見られます。




初代住持は聖徳太子の御乳人であった玉照姫(たまてるひめ
:慧善比丘尼)で、その後、代々高貴な家門の姫君らが住持となり、

法燈を守り続けてきたと伝えられるが、史料が湮滅(いんめつ)して
名前はわらない。









寂光院19
の池(みぎわのいけ)も拝見を。

平家物語は「大原御幸」の一段で、後白河法皇が建礼門院の
閑居を訪ねた折の一首に因んだ池だそうな。





阿波内侍(あわのないじ)は、出家以前は宮中にあった
建礼門院(けんれいもんいん)徳子に仕え、

寂光院のある草生の里では柴売りで有名な大原女(おはらめ)
のモデルとされている。









寂光院20
書院の軒先と、山門を絡めて1枚、パチリ♪

さすがにこの時間帯になると参拝客も減って、写真も撮り易い。 (^^;)





3代の建礼門院徳子(平清盛息女・高倉天皇中宮・安徳天皇母)は、
文治元年(1185)年9月に入寺し、真如覚比丘尼と称した。

源平の合戦に敗れ長門国壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子・
安徳天皇の菩提を弔いながら、この地に侍女たちと共に閑居して終生
を過ごされた。




この風情ある庭園は、まさに平家物語を描写したものだとか。

改めて寂光院、平家物語と縁い寺院なんですね~。










寂光院21
それでは、やっとな感じで、・御本堂へお参りを。



閉門のお時間がって来ているので、時間は巻き気味に。 (^^;)









寂光院22

御本尊


・六万体地蔵菩薩立像(ろくまんたいじぞうぼさつりゅうぞう)

 財団法人・美術院作





お賽銭をすべり込ませ、


手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)





2000年5月の不慮の火災から僅か5年後、消失した御本堂と共に
御本尊も平成の仏師によってたに建立されるに至ったんですね。


形・大きさ共に元通りに再現され、彩色(さいしき)も鎌倉時代制作
当時そのままに再現されているとか。



黒焦げになってしまった・御本尊様も、制作当時はまさに、
この様なお姿だったのでしょう。




地蔵菩薩の本願は抜苦与楽(ばっくよらく)で、それは「慈悲」
の心を表すそうな。


どのようなお姿になろうとも、慈悲深いお地蔵様にわりありません。



改めて、お参りを・・・。 ( ̄人 ̄)









寂光院23
寂光院では阿波内侍(あわのないじ:藤原信西の息女)を
第2代と位置づけているそうな。


崇徳天皇の寵愛を受けた女官で、出家のあと永万元年(1165)に
入寺し、「証道比丘尼」と称したんですね。



建礼門院(けんれいもんいん)のお像と共に、御本尊の
後方に祀られているので、合わせてお参りさせて頂きます。









寂光院24
さて、急いで順路に従って拝観を続けましょう。



5時の閉門のお時間が迫って、本気でって来た。 (^^;)









寂光院25
そんなワケで、建礼門院御庵室跡(ごあんじつあと)を、


流し拝観~。    ( ̄人 ̄ )~~   ←(コラコラ)




壇ノ浦の合戦で平家が敗れたあと、ひとり助けられて
京都に連れ戻された建礼門院は、

御本堂の北奥、丁度この辺りに隠棲されていたんですね。



いや、時間がしているので、流しお参り的に拝観を。 (^^;)









寂光院26
おお、こちらが先にお参りした、御本尊が安置される収蔵庫
でしたか。


いや、このタイミングながら、境内建物それぞれの位置関係が
把握出来たり。 (^^;)



それにしても、こちらの公開時間は4時までだったんですね。


既に入口の扉はめられて、アブナイアブナイ。 (^^;)









寂光院27
お次は、宝物殿(鳳智松殿:ほうちしょうでん)へ。



続けて流し拝観~。    ~~(  ̄人 ̄)   ←(もったいない)



いやホント、殿内は平家物語・大原御幸や、建礼門院ゆかりの
貴重な寺宝が数多く展示されているんですが、



なにぶん時間がしているので、流しお参り的に拝観。 (^^;)









寂光院28
タイムリミットの5時が目前なので、最後はけ足で階段を下りて
おいとまを。 (^^;)



おっと、閉門が間近と言えども・・・、









寂光院29
こちら受付で御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)



訪れる機会がないので、是非頂いておきたい所。 (^^;)









寂光院30
御本尊様である「地蔵尊」(じぞうそん)と書いて頂けました。


何とか頂けて、かった~。 (^^;)



充分に御礼を申し上げて、ありがとうございました~。 m(_ _)m









寂光院16
さてさて、そんなこんなで、京都・2017年 春期・特別公開
「寂光院」 (じゃっこういん)。


終盤は時間が押してただしい展開になりましたが、 (^^;)

でもでも、平家物語ゆかりの尼寺で、良いお参りをさせて
頂きました。


御本尊様からは、それぞれのパワーを頂けて
大満足。 ( ̄人 ̄)



寺宝も多いので、ゆっくり拝観出来なかったのだけが、
チョト残りだったり・・・。 (^^;)






さて、そんなワケで2017年春期・特別公開シリーズはひとまず
これにて終了


また2ヵ所しか巡れませんでしたが、先の古知谷阿弥陀
を含めて、遠方の大原地区で内容の濃い拝観が出来たので、

ワタクシ的にはとりあえず満足。 (^^;)



この後、また暫くは通常お参りですかね~。



いや、そう言っている内に、お次は京の夏の旅
シリーズが迫って来たり・・・。 (^^;)






powered by TomiryuMap






京都駅ビル構内 ・イベント展示 「京都美風 京の御朱印めぐりと
御朱印帳」 2017/04/30
の続きで、


お次は特別公開のお寺へ向かっています。





でもその前に・・・、







古知谷阿弥陀寺1
途中の崇導(すどう)神社に立ち寄って、お参り~。 ( ̄人 ̄)



いや、り道するのも程々に。 (^^;)


本日はやや遠方のお寺を目指しているにもかかわらず、

「京なび」や「御朱印」のイベント展示と、あちこちに立ち寄ったりで、


なかなかへ進んでいませんので。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺2
ちなみに本日訪れているのは、大原地区。 (゚д゚)



洛北(らくほく)と呼ばれるエリアで、京都市街地・北部の中でも
滋賀県に近いほどに位置するんですね。




寂光院(じゃっこういん)までの道を示す石標が現れましたが、
左へ十八丁とは如何ほどの距離なんでしょうか。 (^^;)



ちなみに今目指しているお寺は、さらにの方なんですが。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺3
まあぐ必要はありません。


お天気も良い事ですし、あまり訪れる機会のない大原地区なので、
散策を兼ねて参りましょう。 (^^)




それにしても、辺りはに囲まれて、何とものどかな景色ですね~。


京都市街から少し離れるだけで、こんな日本の風景に出会える
とは思いませんでした。



ホント、ここが左京区とは思えない位。 (^^;)   ←(コラ)









古知谷阿弥陀寺4
そうこうしている内に、目指すお寺の看板が見えてきました。


その名も古知谷阿弥陀寺(こちだにあみだじ)。 (゚д゚)ノ



交通アクセスの関係から、普段なかなかが向かない大原地区
ですが、

でも今回せっかく訪れるので、中でも一番遠いこちらのお寺に
お伺いしたワケであります。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺5
毎度おなじみ、本特別公開の白い案内看板も掲げられています。



これを目にすると、いつも何気にテンションががったりで。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺6
山門としては少々珍しい竜宮造りの様式なんですね。


ひとまずはこちら山門前で一礼して、潜入~・・・。  ~(  ̄人 ̄)




門をくぐると、すぐに御本堂を含めた伽藍が見えて来るかといきや、


けどけど、勾配の山道が続くばかり・・・。 (;´д`)









古知谷阿弥陀寺7
だんだん道がくなって来ましたよ! (@_@;)



スマホのナビで確認すると、山門から600m程歩いて来た様ですが、
入山の受付はまだの模様。









古知谷阿弥陀寺8
む~、む~~。  ~~(;´д`)ノ     ←(大げさ)



やっと受付が見えてきましたが、その頃には息もえ絶え。 (^^;)



う~ん、来訪前の下調べ不足か、この様な試練がち受けていたとは、

るべし、古知谷阿弥陀寺。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺9
いやホント、お参り前にこんな登山をするとは思わなかった。 (^^;)





当寺は古知谷光明山(こうみょうざん)と号する浄土宗の寺である。
慶長十四年(1609)に、弾誓(たんぜい)上人が念仏道場として
開創された。

(以下、お寺の駒札等より抜粋。)









古知谷阿弥陀寺10
受付で拝観料800円をお納めし、境内を散策する頃には
呼吸も整って、何とか復活。


改めて、六体地蔵様と鐘楼堂との対比で1枚、パチリ♪ (^^;)





「弾誓上人絵詞伝」によると、上人が諸国行脚の途中に京に登り、
五條の橋の上から彼方此方を眺めると

北の方角に紫雲が棚引き、仄かに佛影が現れている所があった。
それが古知谷であった。





なるほど、この様な由来から一般的には地名をとって「古知谷
阿弥陀寺」と呼ばれているんですね。









古知谷阿弥陀寺11
それにしても、見渡す限り深いお寺。


いや、ここまで深く入って来たので当然ですか。 (^^;)





諸国行脚を終えられ再び古知谷へと分け入られた上人は、松の木陰
を庵に、鉦鼓(しょうこ)を枝に掛け、明け暮れ念佛されていた。










古知谷阿弥陀寺12
弟子達が上人の跡を慕い集まって念佛し、その事を聞き伝えて多くの
貴賤の群衆が念佛を授かり、名号を受ける為にれるようになった。

そして終に佛閣僧舎が建立され、それが当寺のこりとなる。





創建当初はどの宗派にも属さず、弾誓上人独自の教えを基に
建立された「阿彌陀寺」。

江戸時代の宗教統制を経て、浄土宗知恩院派に編入されて
今日に至るワケですか・・・。 ( ̄人 ̄)









古知谷阿弥陀寺13
さて、それではお堂内を拝観して参りましょう。


ちなみにいつもの如く、ここから先のお堂内は撮影禁止なので、
写真はパンフレット他より拝借をば。 (^^;)




今回、創建以来450年ぶりに御開帳されるという、秘仏三体が
公開されているそうですが・・・、









古知谷阿弥陀寺15
オオー、まずこちらが鎌佛阿弥陀様ですネッ!  w(*゚0゚*)w




・鎌仏阿弥陀如来立像(かまぼとけあみだにょらいりゅうぞう)
 
 江戸時代作・像高9.7cm 木製




う~ん、想像していたより、かなりおさい。 (^^;)   ←(コラ)



ちなみにこちらの鎌仏様、御開山である弾誓(たんぜい)上人が、
なんと草刈鎌(くさかりがま)で彫った仏像だそうな。


弾誓上人は手先の器用な方だったんでしょうね~。



上人はこの様な小さな仏像を彫って、人々に与える事を修行
一環として行っていたんですね。


作仏僧(さぶつそう)と呼ばれ、当時は上人に限らず、この様な
僧が多く存在したそうな。



ちなみにこの鎌仏様、かの有名な仏師・円空(えんくう)が彫る、
円空仏(えんくうぶつ)のモデルになったとか。



小さな躯体ながら、日本仏教史、そして日本彫刻史においても
大変貴重なお仏像なんですね・・・。 ( ̄人 ̄)









古知谷阿弥陀寺14
続いて右となりに祀られている阿弥陀様を拝見。




・感得阿弥陀如来立像(かんとくあみだにょらいりゅうぞう)
 
 平安~室町時代・像高72.73cm 木製・桜




「鎌佛」様のあとに拝見すると、異様にきく見えたり。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺25
今回、本特別拝観のポスターのイメージ写真としても掲載
されているんですね。



ちなみにこちらの感得阿弥陀様、専門の仏師が彫ったものではなく、
ごく一般の僧侶が霊木を彫って作ったものだとか。



つまり、素人が彫ったお仏像。 (゚д゚)    ←(コラコラ)



でもでも彫りが荒いながらも、印を結んだ手などは実に写実的
表現で、とても当時の一般的な僧侶が彫ったものとは思えません。



垂れている衣のドレープ等の様式を見ると、鎌倉時代から室町時代に
かけて彫られた仏像と推測されるものの、

専門の仏師が彫ったものではないので、作成年月日や作者の銘が
記されておらず、詳細が不明なのは残念な所・・・。



しかしながら、こちら感得阿弥陀様、創建当時には御本尊として
祀られていた仏像と伝わるそうな。


その様な事から、古知谷阿弥陀寺の当時を知る上でも、貴重
一体なんですね。 ( ̄人 ̄)









古知谷阿弥陀寺16
続いて右端はお地蔵様。




・地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)
 
 鎌倉時代・像高33.33cm 木製




制作者は不明で、どのような経緯でお寺に伝わったかも不明
だそうな。

でも今回の調査で、価値ある文化財と判明したとか。



の文様の施し方には特徴が見られるんですね。

豪華な箔押しや截金文様ではなく、顔料を丁寧に厚く塗り重ねて
模様を表現している技法は珍しい。

しかしながら、今はその顔料の剥落や、全体的な損傷がんで
いるのが心配。



今後の保存修復が待たれる所です・・・。 ( ̄人 ̄;)









古知谷阿弥陀寺17
秘仏三体をお参りした後は、「弾誓上人絵詞伝」(たんぜい
しょうにんえことばでん)も拝見しましょう。 (^^)


計三幅・全37場面で構成され、上人の生涯を絵画表現したお軸
なんですね。



こちらでも係りの方の丁寧な解説があり、実に判り易くて
助かります。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺18
続いては順路を進み、弾誓上人が祀られる石廟(せきびょう)へ。



奥の岩窟の中央には石棺があり、そこには上人が62歳の時に
自ら入られたという即身仏が納められています。


残念ながらお姿を拝見する事は出来ませんが、かつては御開帳
されていたとか。

岩窟にが浸み出し、それ以来閉ざされているんですね。



これは確かに、岩窟内は今も壁面から多くの水が浸み出ていて、
足元もビチャビチャ状態。 (^^;)




ちなみにこの岩窟は弾誓上人のお弟子さん達が彫られたもので、
チャートと呼ばれる大変硬い岩石にもかかわらず、

江戸時代に全て人力で彫られたと考えると、当時の信仰
深さが伺えます。 ( ̄人 ̄)



現在では御住職も上人のお姿を見た事は無いそうな。


でも大学のX線調査によると、少し右肩下がりの合掌した姿で
納められているとか。



弾誓上人が当時のお姿のまま、この石棺に納められていると思うと、
何だか只ならぬ霊気を感じたり。



改めて石棺前で、お参りを・・・。 ( ̄人 ̄;)









古知谷阿弥陀寺19
お次は宝物殿の拝見を。



こちら古知谷阿弥陀寺は、皇族諸家とも大変御縁が深いお寺
だったんですね。


閑院宮(かんいんのみや)家や、有栖川宮(ありすがわ
のみや)家から下賜された、

「御手鏡」・「硯」・「風爐」・「御紋章振袖」などなど、


貴重な品々がズラリと展示されて、思わず入ってしまいます。









古知谷阿弥陀寺20
さて、順路の最後が御本堂になるんですね。


ずい分あと回しになりましたが、現在の御本尊様にお参り
させて頂きましょう。 (^^;)




御本尊


・弾誓佛立像(たんぜいぶつりゅうぞう)

 江戸時代初期 像高74.24cm 木製




頭部には上人が自らの毛髪を植え付けたと伝わる、自作自像
植髪の尊像だそうな。



浄土宗のお寺でありながら阿弥陀仏と同様に、こちらでは開山の
弾誓上人を御本尊とされているんですね。



右脇に祀られている、重要文化財の阿弥陀如来坐像と合わせて、

謹んでお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)






さて、また長居したので、そろそろおいとましましょうか・・・。









古知谷阿弥陀寺21
おっと、書院に戻って御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)



ちなみに種類は通常版と、本特別公開専用の限定版
ご用意されているんですね。



御住職に許可を頂いて、御見本を1枚、パチリ♪ (^^;)









古知谷阿弥陀寺22
ちなみにワタクシは、もちろん限定版の方をチョイス。 (^^;)



紫地の和紙に、かつての御本尊様であった「感得阿弥陀佛」と
金文字で書かれて印象的。




充分に御礼を申し上げて、ありがとうございました~。 m(_ _)m









古知谷阿弥陀寺23
これまた充分に気を付けて下山せねば。 (^^;)



いやホント、帰りはこの下りの山道


足がもつれると、山門までがり落ちてしまい兼ねません。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺24
さてさて、そんなこんなで、京都・2017年 春期・特別公開
「古知谷阿弥陀寺」 (こちだにあみだじ)。


無事に山門までって来られて、良かった~。 (^^;)

でもホント、大原は深いお寺で良いお参りをさせて頂きました。


450年ぶりに御開帳された秘仏様方とも御縁が結ばれて大満足。

歴史深く寺宝も多く、遠方ながらも訪れた甲斐あったり。 ( ̄人 ̄)



そんな余韻にりつつも、せっかく大原地区に訪れたので、

もう一ヵ所、本特別公開のお寺へ向かおうと思います・・・。 (^^;)






powered by TomiryuMap






4/16(日)。 京都市・東山区は「八坂神社」(やさかじんじゃ)
へ行って参りました。




京都の中でもかなりメジャーどころなので、当ブログでは

ご紹介する機会が少ない神社なんですが・・・。 (^^;)







第4回・祇園大茶会1
そう言いつつも、まずはさらっ西楼門前へ。 (^^;)




さて、本日のお目当ては、コチラ









第4回・祇園大茶会2
第4回・祇園大茶会(ぎおんだいちゃかい)。 (゚д゚)



八坂神社の御本殿下に、今も湧出する御神水(ごしんすい)。

神賑水(しんしんすい)は、この御神水を御本殿にお供えし、
特別に祈願した水だそうな。



陽春の候、裏千家のお点前にて神賑水の一服を頂ける、
というのが祇園大茶会だとか。









第4回・祇園大茶会3
ちなみに第四回目を迎える本催しは、修復された八坂神社
南楼門のお披露目行事としても行われるんですね。



四条通にはくの案内看板が掲げられていますが、


それにしてもこの様なお茶会があったとは、ワタクシ今回めて
知ったり。 (^^;)









第4回・祇園大茶会4
何はともあれ、まずは神域内へ。


門前で一礼してから、潜入~。   ~~(  ̄人 ̄)



今日は特に人出がいですね~。


門をくぐるだけでえらく時間が掛かったり。 (^^;)









第4回・祇園大茶会5
境内もまたスゴイ人出。 (@_@;)


出店も相まって、なかなか前へめません。 (^^;)



そう言いつつも、色々な出店からの良い匂いにつられて

キョロキョロ・・・。   ~(゚д゚ )~( ゚д゚)









第4回・祇園大茶会6
いや、本日の目的はべ歩きではありません。 (^^;)


それに、まずは御本殿へお参りを。 (^^;)




御祭神 (十三座)


中御座 ・素戔嗚尊(すさのをのみこと)

東御座 ・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)

御同座 
・神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)
・佐美良比売命(さみらひめのみこと)

西御座
・八柱御子神(やはしらのみこがみ)
・八島篠見神(やしまじぬみのかみ)
・五十猛神(いたけるのかみ)
・大屋比売神(おおやひめのかみ)
・抓津比売神(つまつひめのかみ)
・大年神(おおとしのかみ)
・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
・大屋毘古神(おおやびこのかみ)
・須勢理毘売命(すせりびめのみこと)

傍御座
・稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがの
 やつみみのかみ)




それではお賽銭をすべり込ませ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。



手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)




御本殿には主祭神である素戔嗚尊(すさのをのみこと)を始め、
多くの神様が祀られています。



そう言えば、八坂神社はまだちゃんとしたレポをした事が
ないんですよね。


こちらはまた機会を改めて。 (^^;)





さて、お参り後、うしろを振り向きますと・・・、









第4回・祇園大茶会7
おお、朱塗りも鮮やかに修復済み! w(*゚0゚*)w


こちらが明治時代初期に再建されて以来、約140年ぶりに進め
られていた南楼門(みなみろうもん)なんですね。




老朽化が激しく、耐震補強も必要と判断された為、昨年2月
から修復工事が実施されていたそうな。


南楼門は高さ約14m、幅約9mで、銅板葺きの2層の門。









第4回・祇園大茶会8
祇園祭の神輿(みこし)は必ずこの南楼門を通り、長刀鉾
(なぎなたぼこ)の稚児が社参する際にもくぐるんですね。



では、ワタクシもくぐらせて頂いて、お清め~。  ~~(  ̄人 ̄) 



いや、くぐる事にお清めの効果があるかは不明ですが、 (^^;)

でもでも、門帳も新調されて、ホント清々しい気持ちになります。









第4回・祇園大茶会9
門下に祀られる二体の随神(ずいしん)像も、修復・彩色が
なされています。 ( ̄人 ̄)




ちなみに「随神」とは、矢大神(やだいしん)・左大神(さだいしん)
とも呼ばれる神様で、御社殿や神社社地などの守護神なんですね。


二神とも、弓矢と剣で武装していますが、これはその昔、貴人の護衛に
当たった近衛府(このえふ)の舎人(とねり)の姿を表すとか。


「随身」(ずいしん)と呼ばれていた彼ら。 その随身がじて、
主神に従い守護するという意味で「随神」となったそうな。









第4回・祇園大茶会10
さて、門をくぐり抜けて、南側からも1枚、パチリ♪



新調された門に、野点の御茶席、そしてまだも少し残っていて、
趣がありますね~。




こちらも結構な人出ですが。 (^^;)    ←(その内の一人)









第4回・祇園大茶会11
さて、修復された南楼門を拝見した後は、御茶席に行き
ましょうか。



全3会場ある様ですが、中でもワタクシのお目当ては、こちらの

常磐殿(ときわでん)会場。 (゚Д゚)



この常磐殿は元々、光照院門跡(こうしょういんもんぜき)
の寝殿であった、大変格式の高い建物なんですね。



普段は一般非公開ながら、今回の祇園大茶会に合わせてお茶席
として特別公開されるというからスゴイ。



いや、ワタクシ、特別公開というフレーズにいので、今回事前に
予約まで入れて訪れたワケであります。 (^^;)









第4回・祇園大茶会12
オオー、ここが常磐殿エリア! w(*゚0゚*)w



白砂に豊かな緑、赤い毛氈も相まって、これまたがあります。



それにしても、八坂神社内にこの様な未知の領域があったとは
らなかった。 (^^;)









第4回・祇園大茶会13
ちなみにこちら常磐殿、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、


「伏見」・「後伏見」・「花園」・「光厳」・「崇光」・「後光厳天皇」の
6代の天皇が住まわれた、


いわゆる皇居だったんですね。



明治時代に旧三井邸に移築され、戦後にここ八坂神社へ
寄進されたそうな。









第4回・祇園大茶会14
せっかくなので、先ほどくぐって来た南楼門を背景に絡めて、
パチリ♪




今から約200年前、時の天皇・光格(こうかく)天皇より、
常磐御殿(ときわごてん)という名を賜り現在に至るワケですか。



いずれにしても、普段は滅多にち入ることの出来ない場所です。


めて、カメラと記憶に収めておかねば・・・。 ( ̄人 ̄)





そうこうしている内に、お客さんの入れ替え準備が終わって、

殿内への入場許可が出ました。









第4回・祇園大茶会15
いざ、ダッシュ! ===( *゚Д゚*)ノ



いや、別にる必要はなかったんですが、出来るだけ前方
お席に座りたかったので。 (^^;)









第4回・祇園大茶会16
そして何事も無かった様に、さらっと最前列のお席へ。 ( ̄人 ̄)



おお、茶道具もまた上等な品々。

薄器は鵬雲斎大宗匠(ほううんさい だいそうしょう)箱・
「扇面双鶴蒔絵」、そして茶杓は同じく鵬雲斎作で「寿松」等々・・・。


これは見事な逸品。



詳しくは良くりませんが。 ( ̄人 ̄)     ←(やっぱり)



いや、殿内に掲示されていた説明書きのけ売りだったり。 (^^;)









第4回・祇園大茶会17
芸・舞妓さん方が接待頂けるんですねッ! w(*゚∇゚*)w



今回訪れた目的は、こちらでもあったりして。 (^^;)



因みに祇園東の芸・舞妓さん4名様が、お点前・控えで接待
頂ける模様。


でもモタモタして、全員揃われた写真を撮りしてるし。 (^^;)









第4回・祇園大茶会18
舞妓さん撮影をメインで来た訳ではありませんが、でもでも、


楼門竣工のおめでたい中、常磐殿で芸・舞妓さんの御接待による
お茶会というのも、多分今回が最初最後でしょう。



少なくともワタクシがきている間は。 (^^;)









第4回・祇園大茶会20
そんな事を言っている内に、お茶をお持ち頂けましたよ。



芸妓さんで、お名前は雛菊(ひなぎく)さんだそうな。


ありがとうございます~。 ( ̄人 ̄)









第4回・祇園大茶会21
千社札も頂けるですかッ!! w(*゚∇゚*)w



ありがとうございます~。  。・゜・(/Д`)・゜・。



お茶会への参加者全員に配られるんですね。


これは不意打ち的に嬉しいサプライズ。 (^^;)









第4回・祇園大茶会22
ではめまして、お茶の御賞味を。



お茶は宮田圓月堂(みやたえんげつどう)、お茶菓子は
鼓月(こげつ)の上用饅頭。



薄皮に甘さ控えめの上品な餡、そこに香り深いお茶の風味と
味が相まって、


実に結構な御点前でございます・・・。



詳しくは良くりませんが。 ( ̄人 ̄)     ←(また)









第4回・祇園大茶会19
いやホント、お茶の素人であるワタクシでもとなく
違いが分かったり。 (^^;)



ちなみに今回のお茶には、神賑水(しんしんすい)と呼ばれる
特別な水が使われているんですね。



御本殿の下には青龍が住むといわれる龍穴があるそうな。


その池から湧き出る水を汲み上げ、御本殿に一晩お供えする事で
霊験あらたかな神賑水になるとか・・・。









第4回・祇園大茶会23
その神様の霊力が宿った水を使い、芸妓さんのお点前の技術
によって、本・祇園大茶会のお茶として提供されるんですね。



まろやかな口当たりに加え、神様のパワーも感じられる様で、

特別なお茶を頂いている事を体感できます。 ( ̄人 ̄)



それにしても、芸・舞妓さん方も日頃は茶道のお稽古にんで
おられるのでしょう。

全く無駄のない所作の全てが、目にもやか。


写真を撮る手が止まって、思わず入ってしまいます。





さて、そうこうしている内に、お茶会もわりの時間に・・・。


最後に、本日ご接待頂けた芸・舞妓さん4名様が揃われる
との事で、改めて1枚ずつ。 (^^;)









第4回・祇園大茶会24 第4回・祇園大茶会25
左から、舞妓さんの雛佑(ひなゆう)さん。


そして、芸妓さんの満彩希(まさき)さん。









第4回・祇園大茶会26 第4回・祇園大茶会27
続いて芸妓さんの富多愛(とみたえ)さん。


そして、同じく芸妓さんの雛菊(ひなぎく)さん。



祇園東の芸・舞妓さん方、本日は御接待頂けて、

ありがとうございました~。 m(_ _)m




そして最後はしぶりに・・・、









第4回・祇園大茶会28
ああ、皆さん、いずこへ~ッ。  (´Д`) ノ   ←(お久しぶりです)



ホント久しぶりに約束を入れられて、何気に満足。 (^^;)









第4回・祇園大茶会29
あと最後に、 ゴスインは・・・。  ( ゚д゚)    ←(ありません)



いや、八坂神社ほど規模のきい神社となると、境内・境外を
含めて多くの摂・末社があり、

それぞれの御朱印を頂けるんですよね。



こちらでも、と思いましたが、いくら格式の高い常磐殿
言えども、そこは単に建築物



神様が祀られているお社ではないので、さすがに御朱印は
頂けません。 (^^;)









第4回・祇園大茶会30
さてさて、そんなこんなで、第4回・祇園大茶会(ぎおん
だいちゃかい)。 


めて参加した催しでしたが、今回は修復された南楼門の
お披露目行事として執り行われた特別な回だったんですね。


これまた特別な神賑水を使って、艶やかな芸・舞妓さん方
のお点前で頂けたお茶も格別だったり。 (*^^*)


本行事に合わせて特別公開された、常磐殿もまた印象的
でしたね~。


色々と良いタイミングが重なって、とても貴重なひと時を
過ごさせて頂きました。 (^^)



贅沢を言うと、芸・舞妓さん方にを取られて、

滅多にち入ることの出来ない常磐殿内の写真を、あまり
撮れなかったという事位でしょうか・・・。 (^^;)   ←(贅沢すぎ)






powered by TomiryuMap