京都駅ビル構内 ・イベント展示 「京都美風 京の御朱印めぐりと
御朱印帳」 2017/04/30
の続きで、


お次は特別公開のお寺へ向かっています。





でもその前に・・・、







古知谷阿弥陀寺1
途中の崇導(すどう)神社に立ち寄って、お参り~。 ( ̄人 ̄)



いや、り道するのも程々に。 (^^;)


本日はやや遠方のお寺を目指しているにもかかわらず、

「京なび」や「御朱印」のイベント展示と、あちこちに立ち寄ったりで、


なかなかへ進んでいませんので。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺2
ちなみに本日訪れているのは、大原地区。 (゚д゚)



洛北(らくほく)と呼ばれるエリアで、京都市街地・北部の中でも
滋賀県に近いほどに位置するんですね。




寂光院(じゃっこういん)までの道を示す石標が現れましたが、
左へ十八丁とは如何ほどの距離なんでしょうか。 (^^;)



ちなみに今目指しているお寺は、さらにの方なんですが。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺3
まあぐ必要はありません。


お天気も良い事ですし、あまり訪れる機会のない大原地区なので、
散策を兼ねて参りましょう。 (^^)




それにしても、辺りはに囲まれて、何とものどかな景色ですね~。


京都市街から少し離れるだけで、こんな日本の風景に出会える
とは思いませんでした。



ホント、ここが左京区とは思えない位。 (^^;)   ←(コラ)









古知谷阿弥陀寺4
そうこうしている内に、目指すお寺の看板が見えてきました。


その名も古知谷阿弥陀寺(こちだにあみだじ)。 (゚д゚)ノ



交通アクセスの関係から、普段なかなかが向かない大原地区
ですが、

でも今回せっかく訪れるので、中でも一番遠いこちらのお寺に
お伺いしたワケであります。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺5
毎度おなじみ、本特別公開の白い案内看板も掲げられています。



これを目にすると、いつも何気にテンションががったりで。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺6
山門としては少々珍しい竜宮造りの様式なんですね。


ひとまずはこちら山門前で一礼して、潜入~・・・。  ~(  ̄人 ̄)




門をくぐると、すぐに御本堂を含めた伽藍が見えて来るかといきや、


けどけど、勾配の山道が続くばかり・・・。 (;´д`)









古知谷阿弥陀寺7
だんだん道がくなって来ましたよ! (@_@;)



スマホのナビで確認すると、山門から600m程歩いて来た様ですが、
入山の受付はまだの模様。









古知谷阿弥陀寺8
む~、む~~。  ~~(;´д`)ノ     ←(大げさ)



やっと受付が見えてきましたが、その頃には息もえ絶え。 (^^;)



う~ん、来訪前の下調べ不足か、この様な試練がち受けていたとは、

るべし、古知谷阿弥陀寺。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺9
いやホント、お参り前にこんな登山をするとは思わなかった。 (^^;)





当寺は古知谷光明山(こうみょうざん)と号する浄土宗の寺である。
慶長十四年(1609)に、弾誓(たんぜい)上人が念仏道場として
開創された。

(以下、お寺の駒札等より抜粋。)









古知谷阿弥陀寺10
受付で拝観料800円をお納めし、境内を散策する頃には
呼吸も整って、何とか復活。


改めて、六体地蔵様と鐘楼堂との対比で1枚、パチリ♪ (^^;)





「弾誓上人絵詞伝」によると、上人が諸国行脚の途中に京に登り、
五條の橋の上から彼方此方を眺めると

北の方角に紫雲が棚引き、仄かに佛影が現れている所があった。
それが古知谷であった。





なるほど、この様な由来から一般的には地名をとって「古知谷
阿弥陀寺」と呼ばれているんですね。









古知谷阿弥陀寺11
それにしても、見渡す限り深いお寺。


いや、ここまで深く入って来たので当然ですか。 (^^;)





諸国行脚を終えられ再び古知谷へと分け入られた上人は、松の木陰
を庵に、鉦鼓(しょうこ)を枝に掛け、明け暮れ念佛されていた。










古知谷阿弥陀寺12
弟子達が上人の跡を慕い集まって念佛し、その事を聞き伝えて多くの
貴賤の群衆が念佛を授かり、名号を受ける為にれるようになった。

そして終に佛閣僧舎が建立され、それが当寺のこりとなる。





創建当初はどの宗派にも属さず、弾誓上人独自の教えを基に
建立された「阿彌陀寺」。

江戸時代の宗教統制を経て、浄土宗知恩院派に編入されて
今日に至るワケですか・・・。 ( ̄人 ̄)









古知谷阿弥陀寺13
さて、それではお堂内を拝観して参りましょう。


ちなみにいつもの如く、ここから先のお堂内は撮影禁止なので、
写真はパンフレット他より拝借をば。 (^^;)




今回、創建以来450年ぶりに御開帳されるという、秘仏三体が
公開されているそうですが・・・、









古知谷阿弥陀寺15
オオー、まずこちらが鎌佛阿弥陀様ですネッ!  w(*゚0゚*)w




・鎌仏阿弥陀如来立像(かまぼとけあみだにょらいりゅうぞう)
 
 江戸時代作・像高9.7cm 木製




う~ん、想像していたより、かなりおさい。 (^^;)   ←(コラ)



ちなみにこちらの鎌仏様、御開山である弾誓(たんぜい)上人が、
なんと草刈鎌(くさかりがま)で彫った仏像だそうな。


弾誓上人は手先の器用な方だったんでしょうね~。



上人はこの様な小さな仏像を彫って、人々に与える事を修行
一環として行っていたんですね。


作仏僧(さぶつそう)と呼ばれ、当時は上人に限らず、この様な
僧が多く存在したそうな。



ちなみにこの鎌仏様、かの有名な仏師・円空(えんくう)が彫る、
円空仏(えんくうぶつ)のモデルになったとか。



小さな躯体ながら、日本仏教史、そして日本彫刻史においても
大変貴重なお仏像なんですね・・・。 ( ̄人 ̄)









古知谷阿弥陀寺14
続いて右となりに祀られている阿弥陀様を拝見。




・感得阿弥陀如来立像(かんとくあみだにょらいりゅうぞう)
 
 平安~室町時代・像高72.73cm 木製・桜




「鎌佛」様のあとに拝見すると、異様にきく見えたり。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺25
今回、本特別拝観のポスターのイメージ写真としても掲載
されているんですね。



ちなみにこちらの感得阿弥陀様、専門の仏師が彫ったものではなく、
ごく一般の僧侶が霊木を彫って作ったものだとか。



つまり、素人が彫ったお仏像。 (゚д゚)    ←(コラコラ)



でもでも彫りが荒いながらも、印を結んだ手などは実に写実的
表現で、とても当時の一般的な僧侶が彫ったものとは思えません。



垂れている衣のドレープ等の様式を見ると、鎌倉時代から室町時代に
かけて彫られた仏像と推測されるものの、

専門の仏師が彫ったものではないので、作成年月日や作者の銘が
記されておらず、詳細が不明なのは残念な所・・・。



しかしながら、こちら感得阿弥陀様、創建当時には御本尊として
祀られていた仏像と伝わるそうな。


その様な事から、古知谷阿弥陀寺の当時を知る上でも、貴重
一体なんですね。 ( ̄人 ̄)









古知谷阿弥陀寺16
続いて右端はお地蔵様。




・地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)
 
 鎌倉時代・像高33.33cm 木製




制作者は不明で、どのような経緯でお寺に伝わったかも不明
だそうな。

でも今回の調査で、価値ある文化財と判明したとか。



の文様の施し方には特徴が見られるんですね。

豪華な箔押しや截金文様ではなく、顔料を丁寧に厚く塗り重ねて
模様を表現している技法は珍しい。

しかしながら、今はその顔料の剥落や、全体的な損傷がんで
いるのが心配。



今後の保存修復が待たれる所です・・・。 ( ̄人 ̄;)









古知谷阿弥陀寺17
秘仏三体をお参りした後は、「弾誓上人絵詞伝」(たんぜい
しょうにんえことばでん)も拝見しましょう。 (^^)


計三幅・全37場面で構成され、上人の生涯を絵画表現したお軸
なんですね。



こちらでも係りの方の丁寧な解説があり、実に判り易くて
助かります。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺18
続いては順路を進み、弾誓上人が祀られる石廟(せきびょう)へ。



奥の岩窟の中央には石棺があり、そこには上人が62歳の時に
自ら入られたという即身仏が納められています。


残念ながらお姿を拝見する事は出来ませんが、かつては御開帳
されていたとか。

岩窟にが浸み出し、それ以来閉ざされているんですね。



これは確かに、岩窟内は今も壁面から多くの水が浸み出ていて、
足元もビチャビチャ状態。 (^^;)




ちなみにこの岩窟は弾誓上人のお弟子さん達が彫られたもので、
チャートと呼ばれる大変硬い岩石にもかかわらず、

江戸時代に全て人力で彫られたと考えると、当時の信仰
深さが伺えます。 ( ̄人 ̄)



現在では御住職も上人のお姿を見た事は無いそうな。


でも大学のX線調査によると、少し右肩下がりの合掌した姿で
納められているとか。



弾誓上人が当時のお姿のまま、この石棺に納められていると思うと、
何だか只ならぬ霊気を感じたり。



改めて石棺前で、お参りを・・・。 ( ̄人 ̄;)









古知谷阿弥陀寺19
お次は宝物殿の拝見を。



こちら古知谷阿弥陀寺は、皇族諸家とも大変御縁が深いお寺
だったんですね。


閑院宮(かんいんのみや)家や、有栖川宮(ありすがわ
のみや)家から下賜された、

「御手鏡」・「硯」・「風爐」・「御紋章振袖」などなど、


貴重な品々がズラリと展示されて、思わず入ってしまいます。









古知谷阿弥陀寺20
さて、順路の最後が御本堂になるんですね。


ずい分あと回しになりましたが、現在の御本尊様にお参り
させて頂きましょう。 (^^;)




御本尊


・弾誓佛立像(たんぜいぶつりゅうぞう)

 江戸時代初期 像高74.24cm 木製




頭部には上人が自らの毛髪を植え付けたと伝わる、自作自像
植髪の尊像だそうな。



浄土宗のお寺でありながら阿弥陀仏と同様に、こちらでは開山の
弾誓上人を御本尊とされているんですね。



右脇に祀られている、重要文化財の阿弥陀如来坐像と合わせて、

謹んでお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)






さて、また長居したので、そろそろおいとましましょうか・・・。









古知谷阿弥陀寺21
おっと、書院に戻って御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)



ちなみに種類は通常版と、本特別公開専用の限定版
ご用意されているんですね。



御住職に許可を頂いて、御見本を1枚、パチリ♪ (^^;)









古知谷阿弥陀寺22
ちなみにワタクシは、もちろん限定版の方をチョイス。 (^^;)



紫地の和紙に、かつての御本尊様であった「感得阿弥陀佛」と
金文字で書かれて印象的。




充分に御礼を申し上げて、ありがとうございました~。 m(_ _)m









古知谷阿弥陀寺23
これまた充分に気を付けて下山せねば。 (^^;)



いやホント、帰りはこの下りの山道


足がもつれると、山門までがり落ちてしまい兼ねません。 (^^;)









古知谷阿弥陀寺24
さてさて、そんなこんなで、京都・2017年 春期・特別公開
「古知谷阿弥陀寺」 (こちだにあみだじ)。


無事に山門までって来られて、良かった~。 (^^;)

でもホント、大原は深いお寺で良いお参りをさせて頂きました。


450年ぶりに御開帳された秘仏様方とも御縁が結ばれて大満足。

歴史深く寺宝も多く、遠方ながらも訪れた甲斐あったり。 ( ̄人 ̄)



そんな余韻にりつつも、せっかく大原地区に訪れたので、

もう一ヵ所、本特別公開のお寺へ向かおうと思います・・・。 (^^;)






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4/16(日)。 京都市・東山区は「八坂神社」(やさかじんじゃ)
へ行って参りました。




京都の中でもかなりメジャーどころなので、当ブログでは

ご紹介する機会が少ない神社なんですが・・・。 (^^;)







第4回・祇園大茶会1
そう言いつつも、まずはさらっ西楼門前へ。 (^^;)




さて、本日のお目当ては、コチラ









第4回・祇園大茶会2
第4回・祇園大茶会(ぎおんだいちゃかい)。 (゚д゚)



八坂神社の御本殿下に、今も湧出する御神水(ごしんすい)。

神賑水(しんしんすい)は、この御神水を御本殿にお供えし、
特別に祈願した水だそうな。



陽春の候、裏千家のお点前にて神賑水の一服を頂ける、
というのが祇園大茶会だとか。









第4回・祇園大茶会3
ちなみに第四回目を迎える本催しは、修復された八坂神社
南楼門のお披露目行事としても行われるんですね。



四条通にはくの案内看板が掲げられていますが、


それにしてもこの様なお茶会があったとは、ワタクシ今回めて
知ったり。 (^^;)









第4回・祇園大茶会4
何はともあれ、まずは神域内へ。


門前で一礼してから、潜入~。   ~~(  ̄人 ̄)



今日は特に人出がいですね~。


門をくぐるだけでえらく時間が掛かったり。 (^^;)









第4回・祇園大茶会5
境内もまたスゴイ人出。 (@_@;)


出店も相まって、なかなか前へめません。 (^^;)



そう言いつつも、色々な出店からの良い匂いにつられて

キョロキョロ・・・。   ~(゚д゚ )~( ゚д゚)









第4回・祇園大茶会6
いや、本日の目的はべ歩きではありません。 (^^;)


それに、まずは御本殿へお参りを。 (^^;)




御祭神 (十三座)


中御座 ・素戔嗚尊(すさのをのみこと)

東御座 ・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)

御同座 
・神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)
・佐美良比売命(さみらひめのみこと)

西御座
・八柱御子神(やはしらのみこがみ)
・八島篠見神(やしまじぬみのかみ)
・五十猛神(いたけるのかみ)
・大屋比売神(おおやひめのかみ)
・抓津比売神(つまつひめのかみ)
・大年神(おおとしのかみ)
・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
・大屋毘古神(おおやびこのかみ)
・須勢理毘売命(すせりびめのみこと)

傍御座
・稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがの
 やつみみのかみ)




それではお賽銭をすべり込ませ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。



手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)




御本殿には主祭神である素戔嗚尊(すさのをのみこと)を始め、
多くの神様が祀られています。



そう言えば、八坂神社はまだちゃんとしたレポをした事が
ないんですよね。


こちらはまた機会を改めて。 (^^;)





さて、お参り後、うしろを振り向きますと・・・、









第4回・祇園大茶会7
おお、朱塗りも鮮やかに修復済み! w(*゚0゚*)w


こちらが明治時代初期に再建されて以来、約140年ぶりに進め
られていた南楼門(みなみろうもん)なんですね。




老朽化が激しく、耐震補強も必要と判断された為、昨年2月
から修復工事が実施されていたそうな。


南楼門は高さ約14m、幅約9mで、銅板葺きの2層の門。









第4回・祇園大茶会8
祇園祭の神輿(みこし)は必ずこの南楼門を通り、長刀鉾
(なぎなたぼこ)の稚児が社参する際にもくぐるんですね。



では、ワタクシもくぐらせて頂いて、お清め~。  ~~(  ̄人 ̄) 



いや、くぐる事にお清めの効果があるかは不明ですが、 (^^;)

でもでも、門帳も新調されて、ホント清々しい気持ちになります。









第4回・祇園大茶会9
門下に祀られる二体の随神(ずいしん)像も、修復・彩色が
なされています。 ( ̄人 ̄)




ちなみに「随神」とは、矢大神(やだいしん)・左大神(さだいしん)
とも呼ばれる神様で、御社殿や神社社地などの守護神なんですね。


二神とも、弓矢と剣で武装していますが、これはその昔、貴人の護衛に
当たった近衛府(このえふ)の舎人(とねり)の姿を表すとか。


「随身」(ずいしん)と呼ばれていた彼ら。 その随身がじて、
主神に従い守護するという意味で「随神」となったそうな。









第4回・祇園大茶会10
さて、門をくぐり抜けて、南側からも1枚、パチリ♪



新調された門に、野点の御茶席、そしてまだも少し残っていて、
趣がありますね~。




こちらも結構な人出ですが。 (^^;)    ←(その内の一人)









第4回・祇園大茶会11
さて、修復された南楼門を拝見した後は、御茶席に行き
ましょうか。



全3会場ある様ですが、中でもワタクシのお目当ては、こちらの

常磐殿(ときわでん)会場。 (゚Д゚)



この常磐殿は元々、光照院門跡(こうしょういんもんぜき)
の寝殿であった、大変格式の高い建物なんですね。



普段は一般非公開ながら、今回の祇園大茶会に合わせてお茶席
として特別公開されるというからスゴイ。



いや、ワタクシ、特別公開というフレーズにいので、今回事前に
予約まで入れて訪れたワケであります。 (^^;)









第4回・祇園大茶会12
オオー、ここが常磐殿エリア! w(*゚0゚*)w



白砂に豊かな緑、赤い毛氈も相まって、これまたがあります。



それにしても、八坂神社内にこの様な未知の領域があったとは
らなかった。 (^^;)









第4回・祇園大茶会13
ちなみにこちら常磐殿、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、


「伏見」・「後伏見」・「花園」・「光厳」・「崇光」・「後光厳天皇」の
6代の天皇が住まわれた、


いわゆる皇居だったんですね。



明治時代に旧三井邸に移築され、戦後にここ八坂神社へ
寄進されたそうな。









第4回・祇園大茶会14
せっかくなので、先ほどくぐって来た南楼門を背景に絡めて、
パチリ♪




今から約200年前、時の天皇・光格(こうかく)天皇より、
常磐御殿(ときわごてん)という名を賜り現在に至るワケですか。



いずれにしても、普段は滅多にち入ることの出来ない場所です。


めて、カメラと記憶に収めておかねば・・・。 ( ̄人 ̄)





そうこうしている内に、お客さんの入れ替え準備が終わって、

殿内への入場許可が出ました。









第4回・祇園大茶会15
いざ、ダッシュ! ===( *゚Д゚*)ノ



いや、別にる必要はなかったんですが、出来るだけ前方
お席に座りたかったので。 (^^;)









第4回・祇園大茶会16
そして何事も無かった様に、さらっと最前列のお席へ。 ( ̄人 ̄)



おお、茶道具もまた上等な品々。

薄器は鵬雲斎大宗匠(ほううんさい だいそうしょう)箱・
「扇面双鶴蒔絵」、そして茶杓は同じく鵬雲斎作で「寿松」等々・・・。


これは見事な逸品。



詳しくは良くりませんが。 ( ̄人 ̄)     ←(やっぱり)



いや、殿内に掲示されていた説明書きのけ売りだったり。 (^^;)









第4回・祇園大茶会17
芸・舞妓さん方が接待頂けるんですねッ! w(*゚∇゚*)w



今回訪れた目的は、こちらでもあったりして。 (^^;)



因みに祇園東の芸・舞妓さん4名様が、お点前・控えで接待
頂ける模様。


でもモタモタして、全員揃われた写真を撮りしてるし。 (^^;)









第4回・祇園大茶会18
舞妓さん撮影をメインで来た訳ではありませんが、でもでも、


楼門竣工のおめでたい中、常磐殿で芸・舞妓さんの御接待による
お茶会というのも、多分今回が最初最後でしょう。



少なくともワタクシがきている間は。 (^^;)









第4回・祇園大茶会20
そんな事を言っている内に、お茶をお持ち頂けましたよ。



芸妓さんで、お名前は雛菊(ひなぎく)さんだそうな。


ありがとうございます~。 ( ̄人 ̄)









第4回・祇園大茶会21
千社札も頂けるですかッ!! w(*゚∇゚*)w



ありがとうございます~。  。・゜・(/Д`)・゜・。



お茶会への参加者全員に配られるんですね。


これは不意打ち的に嬉しいサプライズ。 (^^;)









第4回・祇園大茶会22
ではめまして、お茶の御賞味を。



お茶は宮田圓月堂(みやたえんげつどう)、お茶菓子は
鼓月(こげつ)の上用饅頭。



薄皮に甘さ控えめの上品な餡、そこに香り深いお茶の風味と
味が相まって、


実に結構な御点前でございます・・・。



詳しくは良くりませんが。 ( ̄人 ̄)     ←(また)









第4回・祇園大茶会19
いやホント、お茶の素人であるワタクシでもとなく
違いが分かったり。 (^^;)



ちなみに今回のお茶には、神賑水(しんしんすい)と呼ばれる
特別な水が使われているんですね。



御本殿の下には青龍が住むといわれる龍穴があるそうな。


その池から湧き出る水を汲み上げ、御本殿に一晩お供えする事で
霊験あらたかな神賑水になるとか・・・。









第4回・祇園大茶会23
その神様の霊力が宿った水を使い、芸妓さんのお点前の技術
によって、本・祇園大茶会のお茶として提供されるんですね。



まろやかな口当たりに加え、神様のパワーも感じられる様で、

特別なお茶を頂いている事を体感できます。 ( ̄人 ̄)



それにしても、芸・舞妓さん方も日頃は茶道のお稽古にんで
おられるのでしょう。

全く無駄のない所作の全てが、目にもやか。


写真を撮る手が止まって、思わず入ってしまいます。





さて、そうこうしている内に、お茶会もわりの時間に・・・。


最後に、本日ご接待頂けた芸・舞妓さん4名様が揃われる
との事で、改めて1枚ずつ。 (^^;)









第4回・祇園大茶会24 第4回・祇園大茶会25
左から、舞妓さんの雛佑(ひなゆう)さん。


そして、芸妓さんの満彩希(まさき)さん。









第4回・祇園大茶会26 第4回・祇園大茶会27
続いて芸妓さんの富多愛(とみたえ)さん。


そして、同じく芸妓さんの雛菊(ひなぎく)さん。



祇園東の芸・舞妓さん方、本日は御接待頂けて、

ありがとうございました~。 m(_ _)m




そして最後はしぶりに・・・、









第4回・祇園大茶会28
ああ、皆さん、いずこへ~ッ。  (´Д`) ノ   ←(お久しぶりです)



ホント久しぶりに約束を入れられて、何気に満足。 (^^;)









第4回・祇園大茶会29
あと最後に、 ゴスインは・・・。  ( ゚д゚)    ←(ありません)



いや、八坂神社ほど規模のきい神社となると、境内・境外を
含めて多くの摂・末社があり、

それぞれの御朱印を頂けるんですよね。



こちらでも、と思いましたが、いくら格式の高い常磐殿
言えども、そこは単に建築物



神様が祀られているお社ではないので、さすがに御朱印は
頂けません。 (^^;)









第4回・祇園大茶会30
さてさて、そんなこんなで、第4回・祇園大茶会(ぎおん
だいちゃかい)。 


めて参加した催しでしたが、今回は修復された南楼門の
お披露目行事として執り行われた特別な回だったんですね。


これまた特別な神賑水を使って、艶やかな芸・舞妓さん方
のお点前で頂けたお茶も格別だったり。 (*^^*)


本行事に合わせて特別公開された、常磐殿もまた印象的
でしたね~。


色々と良いタイミングが重なって、とても貴重なひと時を
過ごさせて頂きました。 (^^)



贅沢を言うと、芸・舞妓さん方にを取られて、

滅多にち入ることの出来ない常磐殿内の写真を、あまり
撮れなかったという事位でしょうか・・・。 (^^;)   ←(贅沢すぎ)






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4/2(日)。 京都市・中京区は「善長寺」(ぜんちょうじ)へ行って
参りました。



さて、本日のお目当ては、コチラ






京都 新京極 御朱印めぐり6
ずいぶん以前に書きました、→京都 新京極 御朱印めぐりキャンペーン 
2015/02/28
き。 (゚д゚)



いや、きと言いましても、前回巡ったのが、→社寺巡り 京都市・中京区
「誓願寺」(せいがんじ)・写経体験 2015/12/25
だったので、

何気に1年以上も放置していたシリーズになるんですね~。









善長寺1
そんな事を言いつつも、さらっと新京極商店街へ。 (^^;)



本日この周辺を通り掛かり、フト本キャンペーンをい出したので、
一ヵ所くらいはっておきたいな~というのが


本日の趣旨なワケであります。 (^^;)









善長寺2
それにしても、アーケード内は安定の混雑ぶり。 (^^;)


お土産物店の他、飲食店などなど数多くの店舗がを連ねて、
いつもわっている商店街なんですよね。



ワタクシも色々とお店を覗きながら、通りを北上。 (^^;)









善長寺3
アーケード内には、御朱印巡りキャンペーンの中吊り広告も健在


いや、今も催しが継続中の様で、一安心。 (^^;)









善長寺4
そうこうしている内に、目的のシューズショップに到着♪



いや、もとい、目指すお寺さんに到着。 (^^;)


こちらのお店の右どなりが善長寺さんなんですね。









善長寺5
それでは失礼しまして、正面から山門を1枚、パチリ♪


これまた両側は建物に挟まれて、とても窮屈そう。 


事前にお寺の存在を知っていないと、さらっとスルーして
しまいそうな佇まいです。 (^^;)



それにしても、先ほどから人通りが全く切れず、まともな1枚が
撮れません。 (^^;)









善長寺6
潔くめて、人波をかいくぐり山門の麓へ。


スニーカーを絡めての1枚に。 (^^;)



おや、その山門右手の寺号標には、「くさよけ」・「くさがみ」
なるキーワードが記されていますよ。



何を意味するのか疑問ですが、ひとまずの所は門前で一礼し、

潜入~。 (^^;)









善長寺7
細くっ直ぐに伸びた、石畳の参道を進んで行きます。




大原山・善長寺は永正年間の初め(1502)、僧・顕興忍想上人
により京都市綾小路室町の善長寺町に創建され、
徳川家康上洛の折の定宿でもあった。

(以下、お寺の縁起書より抜粋。)









善長寺8
それにしても、参道の両側にも建物が迫って

圧迫感がスゴイ。 (^^;)




天正十九年(1591)に、豊臣秀吉の命で現在地に移転した。
その後、天明八年(1788)の大火、元治元年(1864)の兵火で消失。
明治二十二年(1889)にも火災に遭った後、明治四十一年
(1908)に再建されて現在に至る。




ひっそりとした佇まいながら、家康・秀吉とゆかりいお寺
なんですね~。









善長寺9
広くはない境内ですが、でも一角にはこうして坪庭もあって
趣があります。 (^^)




地蔵堂に祀られている地蔵菩薩は、立江(たちえ)地蔵尊縁起に
よれば四国十九番・徳島県 立江寺の地蔵尊と同体で、

永正八年(1510)、当山二世・澄全和尚の時代に安置されたと
されている。









善長寺10
フトくぐって来た山門の方を見ると、商店街の人通りはやか。

静かな境内とは対照的です。 (^^;)




またこの地蔵尊は、瘡神(くさかみ)といわれる大原大明神の
真作であることから、「くさ」の神さん・くさがみさんと言われる
様になったのではないかと推測されている。





なるほど、山門ふもとの寺号標に記されていたくさよけなる
キーワードは、このエピソードに由来するものだったんですね。









善長寺14
御本堂の扁額にも「くさよけ地蔵尊」と掲げられています。



ちなみに「くさ」とは、天然痘(てんねんとう:疱瘡・ほうそう)
の事だとか。


その昔、こういった伝染病は不治の病だったんですね。


中でも特に致死率の高かった天然痘。 助かっても全身には酷い
痘跡(あばた)が残るそうな。



ワクチンや抗生物質も無かった時代は、ただ神仏にお祈り
する他なかったワケですか・・・・。 ( ̄人 ̄;)



元はくさ除けに御利益がある、こちら善長寺。

それが転じて、皮膚病除け全般に御利益があると伝わる
お寺なんですね。









善長寺12
それではいよいよ、その霊験あらたかなくさよけ地蔵尊
が祀られる御本堂へ、


お参りに向かいましょう・・・。   ~~(  ̄人 ̄)









善長寺13

御本尊


・阿弥陀如来(あみだにょらい) ・ 安阿弥(あんあみ)作




おや、御本尊は阿弥陀様だったんですね。


いや、お話の流れからすると、お地蔵様かと思い込んで
いたので。 (^^;)



でもでも、浄土宗・西山禅林寺派に属するお寺という事で、
何気に納得したり。 (^^;)





では改めまして、お賽銭をすべり込ませ、


手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)




ワタクシ幸い今の所、皮膚病には悩まされておりませんが、


でも予防的なお願いも兼ねて、お参りを。 (^^;)









善長寺15
それにしても、境内は終始かですね~。



外の通りは途切れる事の無い人通りでわい続けていますが、

お参りに入って来る人は皆無。 (^^;)



いやホント、まるで山門に結界が張られているかの様に。 (^^;)









善長寺11
同じ商店街では60mほど南に御鎮座される錦天満宮だと、

こうしてっ切り無しに参拝者が訪れているんですよね~。



すぐ近くなのに、このは一体何なのかと思ったり。 (^^;)






そんな事を言いつつもスキを狙って・・・、









善長寺16
またお堂内を撮ってしまいました。  (^^;)



もうしわけありません。 (^^;)




でもホント、参拝者はワタクシ以外誰もないので、

実にり易い。 (^^;)     ←(コラ)









善長寺17
なので、角度を変えてもう1枚。 (^^;)    ←(コラコラ)



でもよく見ると、厨子の扉はまってますよ。


それもそのはず、こちらに祀られている瘡神(くさがみ)様こと
立江地蔵菩薩は、秘仏なんですね。



お姿を見る事は出来ませんが、でもでも改めて持ちを込めて、

お参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)









善長寺18
御本堂のすぐ右手には、北向地蔵尊が祀られているので、
合わせてお参りを。



「北向地蔵尊」と呼ばれているので、もちろんに向かって

安置されております・・・。 ( ̄人 ̄)    ←(当たり前)



いや、仏教における「北向地蔵尊」のいわれに付いては、
またの機会に。 (^^;)









善長寺19
さて、分にお参りもさせて頂いたので、そろそろおいとま
しましょうか。



本日はあまり長居はしておりませんよ~。 (^^;)









善長寺21
そんな事を言いつつも、御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)



でも寺務所のお玄関が暗く、無人オーラを感じましたが、

び鈴を押すと出て来て頂けて、良かった~。 (^^;)









善長寺22
それにしても、なぜか呼び鈴が3つも並んでいて、一瞬どれを
押したら良いのか迷ったり。 (^^;)




そんなかい事はいておいて、 (^^;)









善長寺23
じきに頂けました御朱印がこちら。 (^^;)


御朱印を書ける方が御不在だった様で、き置き分になるとの事。


ワタクシ、書きには全くこだわりませんので、ありがたく拝領
致します~。 ( ̄人 ̄)



その書には、瘡神(くさがみ)様である「立江地蔵尊」
(たちえじぞうそん)の筆に、

中央にはお地蔵様を象ったが押されています。


秘仏である瘡神様、実際に拝見すると、この様なお姿をされて
いるのでしょう・・・。



色々と深くはお聞き出来ませんでしたが、でもでも充分に御礼
を申し上げて、

ありがとうございました~。 m(_ _)m









善長寺24
さてさて、そんなこんなで、京都市・中京区は「善長寺」
(ぜんちょうじ)。

それにしても、寺域の外はやはり、安定の混雑ぶり。 (^^;)


でもその分、境内では久しぶりに静かなお参りをさせて
頂きました。 ( ̄人 ̄)



1年以上も放置していた新京極・御朱印巡りシリーズながら、
ちゃんと御朱印も頂けて良かった~。


残る社寺も、またい出した頃にご訪問を・・・。 (^^;)



あとこちら「善長寺」、移転前の創建地には現在、神社
御鎮座されているそうな。



この辺りもまた機会があれば、関わりを解くべく、

是非訪れてみたいと思います。 (^^)






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2/18(土)。 京都市・右京区は、養徳院(ようとくいん)へ行って
参りました。



さて、本日のお目当てはコチラ。 (゚д゚)







2016年・第51回「京の冬の旅」1
2017年 第51回・「京の冬の旅」 文化財特別公開 2017/01/10
の記事でご紹介しました特別公開


毎年冬と夏、1つのテーマを基に、普段は見学する事の出来ない
社寺や建築・庭園・仏像などが公開される催しなんですね。



いや、こうして記事でご紹介しておきながら、まだ一度もって
なかったんですよね~。


そんな折、コメントでおススメのお寺情報をけたので、さっそく
お伺いしようかなと。 (^^;)









養徳院1
そんな事を言いつつも、まずは妙心寺(みょうしんじ)へ到着。


今回お伺いする「養徳院」は、妙心寺の寺域内にある塔頭
(たっちゅう)寺院なんですね。



ちなみに塔頭とは元々高僧のお墓の事で、現在では大寺院の
敷地内にある小さな個別のお寺を指すワケですが・・・、









養徳院2
はい養徳院、どこにあるかかりませ~ん。 (^^;)



臨済宗(りんざいしゅう)・妙心寺派の総本山という事もあり、敷地は
日本最大の約10万坪にも及ぶ禅寺。


この広大な寺域の中に、46ヵ所もの塔頭が点在しているんです。



いや、ご先祖様が眠る塔頭に訪れるお墓参りネタとして
よく記事には書いているんですが、


他の塔頭は特別公開くらいにしか訪れる御縁が無く、地理感覚が
さっぱりだったり。 (^^;)



そんなワケで・・・、









養徳院3
居合わせたバスツアーの団体さんにいて行ったりして。 (^^;)



特別公開云々の説明をされるガイドさんの声が聞こえたので、

付いて行けばとかなるかな~と思ったり。 (^^;)









養徳院4
そしてこれまた、さらっと養徳院へ到着。 (^^;)


いや、この先にある大雄院(だいおういん)も今回、
同じ「京の冬の旅」で特別公開されているんですね。


団体さん御一行の目的地はそちらだった模様。 (^^;)









養徳院5
では改めまして、養徳院の山門を正面から1枚、パチリ♪



お隣の大雄院と比較すると人出も少なく、かな趣。



ではワタクシも同調して、心静かに、潜入~。 ~(  ̄人 ̄)









養徳院6
山門をくぐると、思いのほか豊か。

趣のある境内を、まずはゆっくりと拝見していきましょう。 (^^)





妙心寺の塔頭寺院で、天正十一年(1583)、豊臣秀吉の重臣であった
石河光重(いしこ みつしげ)が、父・光延(みつのぶ)の
菩提を弔うため創建した。

(以下、公式ガイドブックより抜粋。)









養徳院7
開祖は妙心寺第六十七世・功沢宗勲(こうたく そうくん)で、
功沢も光延の子であり、功沢のあとを嗣いだ水庵宗掬(すいあん
そうきく・心華霊明禅師)も石河氏出身であった。





なるほど、こちら養徳院は石河家と深い関わりがあるんですね。


ちなみに石河家は戦国~安土桃山時代、4代に渡って美濃国(岐阜県)
鏡島城(かがしまじょう)を治めていたそうな。









養徳院8
前庭も1枚、パチリ♪

無駄な装飾を省いた枯山水にまたを感じたり。 (^^;)





当初は現在の大雄(だいおう)院・幡桃(はんとう)院・海福(かいふく)院・
雑華(ざっけ)院の敷地を含む広大な領地を有していたが、次第に
衰微縮小された。





資料を拝見すると、妙心寺境内の4分の1ほどを占める寺域に
なるでしょうか。

ホント、かつては広大な領地だった事にき。









養徳院9
往時は隆盛を極めた養徳院。

現在の境内は、ただかな時が流れています。




安政六年(1859)の再建時に現在の堂宇が建立された。
このとき現在の小方丈の北にあったものが、昭和十年に現在地に
移されている。





お庭も拝見した後は、いよいよ御本堂へお参りに向かいましょう。


それでは、いざいざ~。  ~~(  ̄人 ̄)









養徳院10
おっと、受付で拝観料600円をお納めしてから。 (^^;)



加えましていつもの如く、内部は撮影禁止なので、ガイドブック
他より拝借を。 (^^;)









養徳院11
改めまして、まずはお参りから。


こちら室中の間は、主に仏事・儀式の際に使われるお部屋で、
一般的な寺院で言うと「御本堂」にあたるんですね。




御本尊


・宝冠釈迦如来(ほうかんしゃかにょらい:安土桃山時代) 

・左脇侍:普賢菩薩(ふげんぼさつ)
・右脇侍:文殊菩薩(もんじゅぼさつ)




仏様方を前に、心めてお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)




比較的るい仏間で、養徳院創建時から伝わるお釈迦様も、
間近でお顔の表情まではっきりと拝見できます。


いやホント、厨子は参拝者から~くて~い位置に
祀られているお寺が多いので、

ワタクシ的にはりがたい限り。 (^^;)




中央の厨子左側には、石河家代々の御位牌が、そして右側には
養徳院歴代の御住職の御位牌が祀られています。


合わせてお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)









養徳院12
さて、毎度ご説明を頂けるのも、特別公開のりがたい所。 (^^;)


お寺の沿革にもあった、養徳院と石河家とのわりについて
お聞きしてみると・・・、



御開基の光重(みつしげ)に始まり、妙心寺67世であった
功沢宗勲(こうたく そうくん)が御開基に。

養徳院2世として継いだ水庵宗掬(すいあん そうきく)もまた
妙心寺は73世で、

宗勲と宗掬のいずれもまた石河家出身だとか。



許可を頂いて石河家の氏系図を撮らせて頂いたんですが、


徳院創建に際し、河家を中心にして心寺も加わり、
その後はお隣で特別公開中の雄院も絡んでくるとは、

実にやこしい。 (^^;)



本日の所は、石河家に大変ゆかりいお寺と、ざっくりと理解
しておくに留めておきましょう。 (^^;)









養徳院13
続きまして、寺宝の拝見を。 (^^;)



鉄鉢(てっぱつ)と呼ばれ、鉄で出来た鉢だそうな。

主に托鉢(たくはつ)などに使われたとか。


奈良時代に鑑真和上(がんじんわじょう)が、中国から
日本に持って来られたと伝わるんですね。



苦難続く道中ながら大宰府に到着できたのも、神様のお陰
だと、この鉢を宇佐八幡宮(大分県)に納められたものの、

その後紆余変遷により、長らく行方知れずに・・・。



しかしながらこちら養徳院の末寺である、北九州・小倉にある
開善寺(かいぜんじ)の住職の夢枕に八幡大神が立ち、

朽ちる前に早く探し出すように、とのお告げが。









養徳院14
そして無事に探し当てられ、こちら本寺に奉納したと、
そんな謂れがこうして由緒書きに遺されているんですね。


最後の方に記されていますが、この鉄鉢をた者は厄災を
逃れる事が出来、功徳が訪れるそうな・・・。



これはまたと無い機会です。

ではワタクシも謹んで、この鉄鉢を・・・、 ( ̄人 ̄)



る! ( ゚ ゚)


が開くほど、る!! ( ゚ ゚)









養徳院15
鉄鉢を見るのはどほどに、お庭の拝見も。 (^^;)


いやホント、功徳が授かる鉢とは言え、あまりにガン見
しているとかなりしいので。 (^^;)



さて、こちらが苔の枯山水(かれさんすい)のお庭。


右手には変形の春日灯篭が配置されています。

上の宝珠は長く、が開いたような形で、傘の部分も
長いんですね。

全体的に頭でっかちで、しい様式だそうな。









養徳院16
地をうように植えられた、中央の木もまたしい。


こちらの木、実はの木なんですね。



藤の花と言えば、藤棚につるを這わせて、垂れさがる花を
鑑賞するのが一般的ですが、


養徳院を始め、妙心寺の塔頭にはこの様なスタイルで
藤が植えられている事がいとか。


棚で植わっていると、他の木々がられて鑑賞出来なく
なるので、この様な特殊な剪定をされているそうな。



う~ん、何だか藤の自己犠牲的な行為にも感じられ、

そこにの心も感じたり・・・。 (^^;)









養徳院28
難しい解釈はいておいて、再び寺宝の拝見を。 (^^;)


こちらは床の間のお軸で、白と黒の阿吽の鷹の図


曽我直庵(そが ちょくあん)という、安土桃山時代から
江戸時代にかけて活躍した絵師の作なんですね。









養徳院18
ちなみに、同時代に活躍した絵師として、


狩野永徳(かのう えいとく)
長谷川等伯(はせがわ とうはく)
海北友松(かいほう ゆうしょう)
雲谷等顔(うんこく とうがん)


と、実にそうそうたる絵師たちが名を連ねながらも、


当の曽我直庵(そが ちょくあん)の名は・・・、



あまりいた事が無い。 (^^;)    ←(コラコラ)




でもでも、それもそのはず、現存する曽我直庵の作が非常に
ない上に、

経歴自体もに包まれた絵師だからなんですね。



しかしながら野山の重要文化財に指定される作があったり、

はたまた京都では野天満宮の宝物館に所蔵されている
絵馬があったりと・・・、









養徳院17
絵の評価自体は非常にいものが多いんですね。


養徳院寺宝の、「鷹の図」もり。



対の鷹が極めて繊細に描かれているのが印象的。

特に動物の題材を得意とした伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)
に相通ずるものも感じたり。


その一方で、対象となる止り木や岩などは々しく描き、
大胆不敵とも思える表現にまた、非凡さを感じたりで・・・。


いや、あくまでワタクシ個人的な解釈なんですが。 (^^;)



でもホント、貴重な寺宝に変わりはなく、行く行くは重要文化財に
指定されるかもと、目されているとか・・・。









養徳院19
そんな事を言いつつも、こちらが最後の寺宝、

その名も酒茶論(しゅちゃろん)。 



シュチャロン?   ?(゚д゚)?



2,000もの文字がびっしりと書き連ねられたお軸ですが、

でも確かにあまりき慣れない銘の一幅。




一体が書かれているのか、係りの方にお聞きしてみると・・・、









養徳院29
場人物は3人。


お酒好きの忘憂君(ぼうゆうくん)と、
下戸で茶人の滌煩子(じようはんし)が中国の故事を
引き合いに、


「お酒」と「お茶」の徳について互いに論争している場面から
始まるんですね。


しかしながら、お互いに相らず。  (#゚Д゚) **** (゚Д゚#)



そんな所、第三者である閑人(かんじん・ひまじん)が現れ、



「酒は酒、茶は茶で、れぞれに良い所があります。
徳の高い人同士でうのはおやめなさい。」 と諭し、 


勝敗無しでめでたくまるという内容なんだとか。




いや、2,000文字を超える漢文体のお軸だったので、

もっと理解不能な的な内容かと身構えていたりで。  (^^;)



でもでも、この「お酒 VS お茶」に限らず、当時はこういった論争
そのものが非常に流行したそうな。









養徳院20
ちなみに蘭叔玄秀(らんしゅく げんしゅう)筆のお軸なんですね。



石河家が4代に渡って治めていた、美濃国・鏡島城(かがしまじょう)
のほど近くにある乙津寺(おっしんじ)というお寺。


そちらの当時の御住職が蘭叔玄秀であり、のちに織田信長の
帰依を受け、

最終的に妙心寺53世として就かれたワケですか。



う~ん、このタイミングにして、石河家・養徳院・妙心寺の、

それぞれの相関関係が理解出来たり。 (^^;)     ←(やっと)




それにしても、蘭叔玄秀が残したこの様なお軸は、この「酒茶論」が
現存する唯一の物であり、


大変貴重な文化財であるとか・・・。 ( ̄人 ̄)









養徳院21
さて、またえらく長居した上にも降って来ました。


御堂内から拝見した枯山水のお庭を、一回りしてからおいとま
しましょうか。 (^^;)









養徳院22
ひと際目を引く、立派な十三重塔が印象的ですね~。



元々は、とある那須塩原のお寺にあったものらしく、廃寺に
なったのを折に、

こちら養徳院へ移築されたものだそうな。









養徳院23
制作年代は不明なものの、塔の軸部に彫刻された四面
仏様方は彫りが深く、お姿もはっきりと。 ( ̄人 ̄)

      

東 : 薬師如来
西 : 阿弥陀如来
南 : 釈迦如来
北 : 弥勒菩薩



こうして方角ごとに仏様が浮彫にされているんですね。


顕教四方仏(けんぎょう しほうぶつ)と呼ばれる様式の
ようですが、なかなかに奥の深い世界なので、


歴史や意味についての詳しい考察は、またの機会に・・・。 (^^;)









養徳院24
でも最後に、御朱印だけは頂いてからおいとまを。 (^^;)


ちなみに、その十三重塔に因んだしいデザインの御朱印が
ご用意されているそうな。



しかも特別公開期間のお忙しい中、書きで頂けるとか。 (゚Д゚)









養徳院25
そんなワケで、許可を頂いてお手元を1枚、パチリ♪ (^^;)



4種類の内、あまり見ないデザインの御朱印をチョイスしましたが、

かなりアート系御朱印の模様。



まさに先ほどの十三重塔の四方仏をモチーフにしたデザイン
なんですね。




お話をしながらも御住職、何の迷いもなくサラサラ
お帳面に仏様のお顔を浮かび上がらせて、


う~ん、これぞホント職人技。 (^^;)    ←(表現)









養徳院26
そんな事を言いつつも、こちらが頂けました御朱印。 (^^;)


「南無四方佛」と書いて頂けました。


デザインアートな仏様方のお顔に、これまた大判な朱の印が
印象的。



そのいずれにも、南無~・・・。 ( ̄人 ̄)









養徳院27
さてさて、そんなこんなで、2017年・「京の冬の旅」 特別公開:
「養徳院」(ようとくいん)。

石河家にゆかり深くして、公開のお寺で、良いお参りを
させて頂きました。 ( ̄人 ̄)


寺宝も多く、中でも珍しい酒茶論のお軸は印象に残ったり。


珍しい御朱印もまた、印象的だったりして。 (^^;)



でもホント、いずれも本特別公開でなければ会う機会が
なかったんですよね~。


何気に「京の冬の旅」に、感謝を。 (^^;)


今後も引続き、妙心寺・塔頭を含めて、多く公開への
お導きを期待しております・・・。 (^^;)






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12/4(日)。 京都市・伏見区は羽束師神社(はづかしじんじゃ)へ
行って参りました。






羽束師神社2
いや、前回更新しました→運転免許証のこと。 2016/12/14の記事で、
試験場となりの自動車練習場の写真を撮りに来たんですよね。



ただそれだけの為に。 (^^;)



さすがにそれだけで帰るのはったいないな~と・・・、









羽束師神社1
近くに御鎮座される神社へと向かっているワケであります。 (^^;)



さて、自動車練習場からは徒歩10分程、西羽束師川沿いに北上すると、
神域が見えてきました。









羽束師神社25
けっこう住宅街の中に御鎮座されているんですね。



長~い参道の先には、石の鳥居が見えています。









羽束師神社4
そして無事に到着♪



それでは気持ちを整えまして、鳥居前で一礼し、

いざ潜入~。 ~(  ̄人 ̄)









羽束師神社5
境内にはワタクシ以外に参拝者はおらず、静かでいい雰囲気。 (^^)


いやホント、最近は特別公開の拝観が続いていたので、久しぶりの
通常お参りはやっぱりち着くな~と。 (^^;)





当社は雄略天皇二十一年丁己(477)の御鎮座である。『続日本記』
(しょくにほんき)大宝元年(701)四月三日条に、

「波都加志神等の御神稲を今より以後中臣氏に給へ」と書かれ、
当社について最もい記録である。

(以下、由緒書きより抜粋。)









羽束師神社6
境内の一角に「羽束師大神」のお社が祀られているので、
まずはお参りを・・・。 ( ̄人 ̄)





羽束師(はづかし)は桂川及び諸河川の合流点に位置して、低湿地
であるが故に、古くから農耕が行われ、「乙訓・羽束師郷」(おとくに・
はづかしごう)と称されて開けてきた土地である。





社名にもなっている「羽束師」は、この周辺の地名なんですね。


ちなみに京都府の中でも、難読な地名に入るとか。









羽束師神社7
おっと、まずはこちら手水舎でお清めをせねば。 (^^;)





日本書紀にも記されているが、「はつかし」と言うを持った人々の集団が
大宝律令(たいほうりつりょう)に組み入れられた以前から、この地域に
生活していた事が分かる。

更に、御所に食物を供給する羽束師園(はづかしその)も存在した処で
あって、この事が神社の発展につながったとも考えられる。





こうして拝見すると、創建から1500年余りの御鎮座なんですね。


その間に社名も、「波都賀志社」→「羽束社」→「羽束師社」→「羽束石社」
→「羽束志宮」と変遷を繰り返してきたとは、これまた歴史を感じますね~。









羽束師神社8
ちなみに現在の正式社名は、羽束師坐高御産日神社
(はづかしにますたかみむすびじんじゃ)と言うそうな。


これまた難読な。 (^^;)





平安時代初め、延喜式の制が整えられると当社は式内大社に列せられ、
月次(つきなみ)・新嘗の幣に預かって、名実共に式内第一の社となり、

むすびの御神威を顕現され天下豊平の加護を垂れ給うたのである。









羽束師神社9
う~ん、むすびの御神威とは、どういう意味なんでしょうかね。



疑問ながらも、ひとまずは御本殿へお参りに行きましょう。 (^^;)









羽束師神社10
おお、よく見ると、割拝殿(わりはいでん)ではありませんか。 (゚д゚)


床が土間になっており、中央をり抜けられる拝殿の事を「割拝殿」と
呼ぶんですね。



いや、ワタクシもこれまでくの神社を巡って来ましたが、この「割拝殿」、
実は見かける事が少ないんですよね~。



何気にレアだな~と、チョト感動したり。 (^^;)









羽束師神社11
そんな事を言いつつも、さらっと通り抜けて御本殿前へ。 (^^;)




御祭神



・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
・神皇産霊神(かんみむすびのかみ)




それではお賽銭をすべり込ませ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。



手順正しく、心をめてお参りさせて頂きます・・・。 ( ̄人 ̄)





御祭神の産霊神は、「むすび」の力を持っている神様と言う
意味だそうな。


「むす」は「まれる」・「む」を指し、「ひ」は生み成す力=「霊力
を表すとか。


なるほど、この生成霊力こそ、むすびの御神威なワケですか。









羽束師神社26
失礼しまして、御本殿を横からも1枚、パチリ♪ (^^;)



ちなみに御祭神は、元々農耕の信仰を担う神様で、五穀豊穣を祈る
人々の間に、稲霊を崇めるむすび信仰として育まれていったんですね。


古くから農耕が行われてきたこの土地に、こうして両・産霊神
が祀られている事に、


改めて納得。 (^^;)









羽束師神社12
おや、御本殿の両どなりにこれまたズラリとお社が並んでいますよ。


先ほどの割り拝殿もそうでしたが、この様な境内社の配置もまた
しい様な・・・、






そんな事を言いつつもスキを狙って・・・、









羽束師神社13
また御本殿を撮ってしまいました。  (^^;)



でも、格子戸が閉まっているので、うまく撮れずに残念。 (^^;)




それにしても、いつもより~いフリからのお約束。 (^^;)  ←(そこ)









羽束師神社14
境内社へもお参りを。 (^^;)



御本殿の東西に、合わせて十一社として祀られているんですね。


大同三年(808)、朝廷祭儀を司る齋部廣成(いんべのひろなり)公が
平城天皇の御奏聞を得て、勧請造営されたお社だそうな。




西側より、

・貴布弥社
・西宮社
・稲荷社
・厳島社
・愛宕社
・若王子社



順にお参り~・・・、   ~~ (  ̄人 ̄)









羽束師神社15
そして東側へ回って・・・、


・籠守勝手明神
・大神明神
・春日明神
・八幡大神
・天照皇大神




流しお参り~・・・、    ( ̄人 ̄ )~~   ←(コラコラ)

 

これも毎度ながらも、一応持ちは込めてお参りしておりますので、

の為。 (^^;)









羽束師神社16
こちらが境内社最後のお社ですね。


お稲荷様が祀られているので、お参りを・・・。 ( ̄人 ̄)




ちなみにここは神域の深部であるようですが、

フト御本殿の裏手を拝見してみると・・・、









羽束師神社17
なんと御本殿の後ろに、背中合わせになる形でお社が
祀られていますよ。 (゚д゚)



神様の名称等は記されていませんが、いずれにしてもこれまた
しい配置の様な・・・。









羽束師神社18
さて、存分にお参りさせて頂いたので、おいとましましょうか。



天気予報によると、そろそろも降って来そうな頃なので。 (^^;)









羽束師神社19
でもこちら社務所で御朱印を頂くのは忘れずに。 (^^;)



しかし残念な事に、宮司(ぐうじ)さんがちょうど寄合いにかけられ、
書き置きの分もないとの事。 (;´д`)    ←(運が悪い)



いや、数多く社寺をっていると、よくある事だったり・・・。 


今回は御縁が無かったという事で、さらっとめましょう。 (^^;)




でも、物はついでにと、お話の方をしだけ。 (^^;)









羽束師神社20
御本殿の真後ろにあったお社についてお聞きしてみると、


元々はご近所の土地に祀られていたお社で、特に神様としての
名称はいそうな。 (゚д゚)




でも、その地域を護る意味で祀られていたらしいので、あえて分類
するならば、

土地の守護神である産土神(うぶすながみ)様、といった
所かも知れません。 ( ̄人 ̄)









羽束師神社6
境内の一角に祀られていた、石の「羽束師大神」も、元々は
個人宅にあった阿弥陀様だったとか。



御本殿の手前にも同じようにもう一社ありましたが、地域や個人宅
で管理できなくなった様や様を、

宮司さんが引き取って来られて、こうして境内に厚く祀られて
いるそうな・・・。 ( ̄人 ̄)









羽束師神社23
今回、御朱印には御縁はありませんでしたが、

でもでも、地域に根差された温まるエピソードをお聞きする
事が出来て良かった。 (^^)



充分に御礼を申し上げて、ありがとうございました~。 m(_ _)m









羽束師神社24
さてさて、そんなこんなで、京都市・伏見区は羽束師神社
(はづかしじんじゃ)。


自動車練習場の写真を撮ったりに、ふらりと訪れましたが、
創建から1500年を誇る古社で、良いお参りをさせて頂きました。


いやホント、久しぶりにかなお参りが出来たような気が。 (^^;)



ちなみに鳥居そとに、こちら本社とゆかり深い「向見返天満宮」
も御鎮座されているそうな。


また近くに訪れた際はお参りして、ついでに今回御縁の無かった
御朱印も頂ければと思います。 (^^;)






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